映し絵 (セシル視点)
教皇庁所属の異端審問官トルケマダ・スロブリン。類を見ない数の異端者を焚刑に処し、一異端審問官にして教皇の信用を一身に集める人物。
異端者を捕縛すると言うことに関しては聖騎士団と目的は一緒だが、トルケマダ審問官は王家ではなく宗教界の頂点である教皇から直属の命を受けて動いている点で我々とは違う。そんな彼が私に何のようがあるのだろうか?
貴賓室に赴くと、白の祭服を纏うトルケマダ審問官がすでに席に鎮座していた。私の前でも立ち上がる様子もなく、目を瞑ったままだ。
「トルケマダ審問官、お待たせしました」
私が呼びかけるとようやくトルケマダ審問官は目を見開いた。心まで見通されているような透徹な眼。この目鼻の整った顔立ちの優男が異端者を匿っていた村ごと焚刑に処したなど、初めは信じることができなかった。
「セシル騎士団長。最後の聴聞対象者はあなたです」
「聴聞? どういうことでしょう」
「今日、西の大森林地帯で起きたことを私たち教皇庁は問題としているのです。勝手ながら今回この件に関わった騎士全てに聴聞を行い、最後の対象者があなたというわけです」
「待ってください。騎士全てってあなたは怪我人にまで聞き取り調査を行ったのですか? 重傷を負ったものも多いんですよ」
トルケマダ審問官は私の問いには答えずに「とても危険な兆候です」と言った。
「もし騎士たちの証言が本当なら下級騎士にすぎなかったレオン・シュタインという男が大物異端者グリッツ・マーズに勝利したということ。教皇庁としてもこれは深く憂慮する事態です」
「なぜレオンがグリッツを捕縛したことが憂慮する事態なのですか? 被害は甚大でしたが、凶悪な異端者を捕縛したことは王都にとっても益になるはずです」
トルケマダ審問官は首を横に振った。
「私どもはレオン・シュタインは異端者、しかも相当悪質な異端スキル保持者に違いないと考えています」
「何を根拠に? 私の右腕である剣聖リリスは彼が異端者ではないと断言しました。彼女の判断が間違うことなどはそうあることではありませんが」
「証言があります。入ってきなさい」
トルケマダ審問官がそう呼びかけると、貴賓室の扉が開かれた。思いがけないことに部屋に入ってきたのは下級騎士バンピー・ウッズだ。この男もあの現場から無事生還した騎士の一人だったのを思い出す。
「他の騎士は命を救ってもらったことを気にしてか取り繕った言葉しか口にしませんが、この騎士は私に貴重な証言をしてくれました。バンピー・ウッズ、お前は確かにレオン・シュタインが異端者セネカ・フォレストを意のままに操り、さらにはエンチャント能力で俊敏性を高めるのを見たのだな?」
「はい、幸い、私は他の騎士と違ってグリッツから直接攻撃を受けることはなかったので、茂みの中で戦いの一部始終を見ていました。トルケマダ様の言う通り、レオンはセネカをまるで手足のように操り、レオンが声をかけるとセネカの体に光が点り、明らかに俊敏性が増しました」
トルケマダ審問官は目を瞑り、バンピーが話すたびに頭をコクっと揺り動かした。バンピーは続けた。
「そして何より、グリッツにとどめを刺した時、レオンは見たこともない速度の動きを見せました。あれは疑いようがなく異端スキル。あんな堕落した凶悪な男はすぐに捕まえて殺すべきです」
その時、感情の歯止めが完全に効かなくなってしまった。
気づくと私は立ち上がり、バンピーの腹に蹴りを入れていた。
「うぐぅ!」
バンピーは腹を抑えながら地面に崩れ落ちた。この程度じゃ今の感情は抑えられない。私は地面でうめくバンピーの頭を足で踏みつけた。
「レオンがいなかったら、今頃君は死体安置所に並んでいたんだよ。助けてもらっておきながらその言葉はないんじゃないのかな」
「団長! い、痛いです! 傷口が広がってしまいます!」
「君の命を救ったのは誰? 言ってみなさい」
「レオンです! レオンに助けられました!」
「命の恩人を陥れようとする性根が腐った騎士はうちにはいらない。追放されたくなかったらトルケマダ審問官に本当のことを言って」
「トルケマダ審問官! ごめんなさい! レオンは異端者なんかじゃありません。団長! 本当に痛いです! 許してください!」
私は別の騎士を呼び、バンピーを連れて行くよう命じてから、トルケマダ審問官の方を向いた。
「あの男はこの程度で話をコロコロ変えるような意思薄弱な人間。レオンが異端者という情報も信頼性に欠けます」
トルケマダ審問官はじっと私の目をみてから言った。
「カポネの狂犬・グリッツ・マーズがマリアンヌ修道院のシスターを殺害した理由は知ってますか?」
私は突然の言葉に驚いてしまい、返答することができなかった。なぜ教皇庁所属の異端審問官がグリッツがシスターを殺害したことを知っているのだ。グリッツの能力を把握し、シスターの死体を検視した我々しかこの件は把握していないはず。
トルケマダ審問官は一枚の映し絵を祭服から取り出してテーブルに置いた。
「カポネファミリーはこの少女を攫う計画を立てていたのです」
「この少女は……」
映し絵には黒髪の少女の姿。何よりこの少女には見覚えがあった。間違いない。遠征から帰ってきた折に凱旋通りで見かけた少女と同一人物だ。
「この少女は一体何者なのです?」
「名はニーナ・ナイトスカイ。異端中の異端とも呼ばれる特殊異端スキルが発現すると預言されていた少女です。殺害されたマリアンヌ修道院のシスターは我々の命を受けてスキルが発現するまでこの少女を監視下に置いていたのです」
「つまり、この少女をグリッツが攫おうとし、その際にシスターが殺害されたと?」
トルケマダ審問官は頷いて答えた。
「ええ。ただしニーナはシスターの協力もあって逃走に成功。今現在も行方知らずのままです」
なるほど。特殊異端スキル発現者となると闇ギルドが欲しがるのも頷ける。
「それで一体この少女とレオンは何の関係が?」
トルケマダ審問官はもう一枚の映し絵を差し出した。
映し絵を見てもすぐには何も理解できなかった。
映し絵にはレオンと少女の姿。場所はおそらくポルナイ。ただ何かがおかしい。少女の顔の作りはニーナに似ているが、頭には角、そして臀部からは尾が伸びている。何よりこの姿、かつて地上に君臨したとされる魔王マニーナそのものなのだ。
「いや、まさか。こんなことありえない……」
もしこの映し絵が事実なら聖騎士団、宗教界、いや、世界全てがひっくり返るほどの歴史的事案。何より、なぜこんな所にレオンがいるの?
トルケマダ審問官は立ち上がってから手を差し出した。
「聖女であるあなたはレオン・シュタイン並びにニーナ・ナイトスカイを捕縛する力と義務がある。もちろん、そのためには教皇庁はいかなる協力も惜しみません。セシル団長、いえセシル、私はこれからあなたを直接支えます。一致団結してこの悪魔どもを根絶やしにしましょう」




