俺が生きていく世界
ナダエルの顔をした男は言った。
「なんの話だ? レオン・シュタイン」
俺は少しも躊躇いもせずに、剣先を男の首に突き刺した。
「俺は気が立ってるんだ。ふざけた答えを返すと呆気なく死ぬぞ。お前みたいな奴がどうやって聖騎士団に入り込んだ? 答えろ! カポネの狂犬グリッツ!」
男はふっと笑みを浮かべた。
「どうやって気づいた? 俺とお前は会ってもいないじゃねぇか」
「お前に訊ねる権利などない、俺は本気でお前を殺すぞ」
「おお、こえーな。分かったぁよ」
男がそう言うと、ナダエルだった顔がぐにゃりと変化した。この光景は鏡を通して何度も見たことがある。俺のサブスキル「裏の顔」と同じだ。
俺は現れた男の顔をしばらく眺めた。想像していた通りの男が俺の前にいた。
俺の前で跪くのはカポネの狂犬グリッツだ。グリッツは快活に笑ってから「そうか、俺もようやく気づいたぜ! あんたの正体によ!」と言った。
「まさか、俺があんたに不覚を取られるとはなぁ。ドン・ミチーノ! 全く失敗したもんだぜ。うまくいけば聖騎士団を支配し、聖女をあのバカ王子とくっつけて退場させれたんだけどなぁ! まさかルブラン家と取引を結ぶとはな!」
グリッツはそう言って楽しそうにケラケラと笑った。
「でもいい気になるなよ。これで晴れてあんたがたとカポネファミリーは抗争状態。ガンビーノとあわせて二つの闇ギルドを敵に回した意味は分かってるよなぁ」
俺は剣先をグリッツの首に突きつけた。
「異端者のお前が幾人もの騎士を殺したんだ。いくら貴族の後ろ盾があるカポネファミリーに所属しているといえど、異端審問にかければ死罪は免れない。俺はお前を騎士団に突き出すだけだ」
「まぁ、聞けよ。俺をうちのファミリーに送り届ければ、抗争は避けられる。もちろんもうあんたのとこのファミリーを吸収したいなんて提案はしない。共闘だ。うちとあんたが組めば、ラ・ボエームだけじゃなくポルナイ全体の利権をまとめて奪える。あんたのファミリーだって幸せになれるってわけだ」
「これだけの騎士を殺害したお前と手を組むわけがないだろが!」
「こいつらはみんなあんたのことを無能扱いして馬鹿にしてきた奴らだぜ。あんたの代わりに俺が復讐してやったと思えばいいじゃねぇか」
「いくら馬鹿にされようが俺にとっては長い時間、寝食をともにした仲間だったんだ。いつからだ? いつから副団長ナダエルの姿で騎士団を欺いていた? 本物のナダエルはどこにいるんだ? 答えろ!」
記憶にある聖騎士副団長のナダエルはここ最近目にしてきた悪事に手を染めるような人では決してなく、正義を愛する真っ当な人物だった。追放された時の言動からどうも微妙な違和感があったのだ。
そしてナダエルが騎士を引き連れてミチーノファミリーの屋敷に訪れた時、頭上に浮かぶ靄がかった古代文字を見てその疑問は確信に変わった。本来のナダエルのスキルは聖守護者。異端スキルを保持しているはずがない。
靄の形や濃さがグリッツと似ていたのも俺は気づいていた。
グリッツは言った。
「あの男もまたあんたや聖女と一緒で馬鹿正直な聖騎士でな。カポネとの取引にちっとも応じようともしねぇ。歴代の副騎士団長は闇ギルドとの調整役も兼ねてたのによぉ」
「それでナダエルはどこにいるんだ?」
「決まってんだろ。俺が消したんだよ。あいつはたびたびうちの計画を妨害してきたからよ」
剣の柄を握る手がぎゅっと強くなる。グリッツをこの場で殺したい衝動を必死に抑えた。
その時、空から鳴き声が響く。目を向けると、空で翼を広げるのはセシルの飼う伝書鳥のミネルバだ。セシルは危険な現場に赴く際、ミネルバに斥候役を任せることがある。ミネルバの鳴き声でセシルは遠く離れた場所の状況を把握することできるのだ。
リリスから報告を受け、セシル自身が出向くことになったのだろう。確かにこの凄惨な現場はセシルしか扱えない。俺たちも引き揚げ時のようだ。
丁度、ポーションと捕縛紐を抱えたセネカが戻ってきた。後ろには聖騎士の姿がある。
「セネカ! どうだ? 治療は済んだか!?」
「うん! 洞窟にあった上ポーションのおかげでバッチリだよ! 騎士さんも何人か治療できたよ! はい、兄貴にもポーション!」
セネカがぽいっと投げたポーションを受け取り、そのまま飲み干す。ただの上ポーションでなく、聖加護が付随されていて回復力はものすごい。おそらくセシル自身の手作りなのだろう。
なにはともあれこの騎士たちがいれば、セシルにグリッツを引き継ぐこと容易そうだ。俺はセネカから捕縛紐を受け取り、グリッツをぐるりと縛り付けた。流石にグリッツといえど、この瀕死の状態で捕縛されたらなにも抵抗はできないだろう。
グリッツは鋭い眼光で俺を睨みつけた。
「本当にこの俺を聖騎士団に突き出そうというのか? 一体それがあんたのファミリーのなんの得になる? 交渉次第ではカポネから金だって引き出せるんだぞ」
「お前の処遇は聖騎士団と法に委ねると決めたのだ」
「まさか此の期に及んで正義漢ヅラか? あんたは片一方の足だけじゃない、今や全身どっぷりと裏の世界に浸かってしまってんだよ。もう少し頭使った方がいいんじゃねぇのか!」
俺はなにも答えずにグリッツの顔だけを見た。いつのまにかにやけ顔は消え、焦りの色が見える。この狂気に満ちた男も一人の人間なのだ。
上ポーションで回復した先輩騎士が俺に尋ねた。
「レオン、この男は? ナダエルはどこに?」
ナダエルのこと、さらにこの男の正体を告げると先輩騎士は呆気に取られたように言った。
「レオン、元下級騎士のお前があのグリッツを捕縛しただと? 無能のお前なんかにそんなことできるわけないだろう? なによりナダエル副団長を異端者が偽っていたなど大変な事案だぞ」
それ以上のことを話にするわけにもいかないので黙ってると、セネカにポーションを飲ませてもらい意識を回復したばかりの騎士が顔を上げた。
「お、俺はみたぞ……意識は朧げだったが、確かにレオンがそこの男を切り伏せたのを。もしレオンがいなかったら俺たちは確実に全滅していたはずだ」
俺を取り囲む騎士たちは全員唖然としてしまった。
「レオン、お前、聖騎士団に戻ってこいよ。カポネの幹部を捕縛したとセシル団長が知ったら大出世だ。陛下から勲章だってもらえるぞ」
「俺は騎士団に戻れるような人間ではないです。出世は俺の代わりに先輩の誰かがしてください」
俺はセネカに言った。「帰るぞ」
俺とセネカが並んで帰ろうとしたその時、「まだ余力があるみたいだぞ!」騎士たちが声を上げた。
振り返るとグリッツの周りで蔦が再びうごめいている。まさかこの状態でさらに抵抗するのか? 剣を引き抜こうとした時、グリッツは笑いながら声をあげた。
「カポネの掟として聖騎士団に生きたまま捕まるわけにはいかなくてねぇ! レオン・シュタイン! お前にはカポネの血の報復が待っているだろうよ! ファミリーはお前を逃しはしない! せいぜい地獄を味わうんだな!」
蔦はグリッツの首に絡まり付き、ぎゅっと締め上げた。グリッツは汚い呻き声を上げたかと思うと、地面に崩れ落ちていった。地面で悶え苦しむものの、グリッツの動きは次第に止まっていく。
しばらくしてセネカに「兄貴、左の腕に光が灯ってるよ」そう言われた時も、俺はなにも考えることができそうになかった。




