長い一日の始まりは宴でした
ジャン・ルブラン公爵の息子であるリュカ・ルブラン子爵が従者らと一緒にギルド本部に入ってくるのを信じられない気持ちで俺は眺め見た。
事前にルブラン家が正式に闇ギルド「ミチーノ・ファミリー」の後ろ盾になるとの契約はここ敗者の街区で交わすと通告されていたが、実際に貴族がこんなスラム街を訪れる光景は非現実的だ。
小さなサニはよくわかっていない様子だが、カノは例の如くガチガチに緊張している。失礼がないようソフィアに応援を頼んだものの、彼女はまだ到着していない。ここは俺が対応しないといけないようだ。
丁寧に挨拶をするとリュカ・ルブランは愛想の良い笑みを浮かべて手を差し出した。
「あなたが噂のドン・ミチーノ氏ですか。以前に妹のエレナがお世話になったようで。うちの妹に気に入られた人物は元聖騎士のレオン・シュタインという男とあなただけですよ」
差し出された手を握るとリュカ・ルブランは続けて言った。
「父も先日の依頼の件については感心しておりましたよ」
その後、そつなくルブラン家が我々ミチーノファミリーの後ろ盾になる旨の覚書が取り交わされた。一体なぜこんな大貴族が小さな闇ギルドと取引を結ぶのか、その理由を見極めようとしたが、リュカ・ルブランの言動からは何も分からない。
ただ一つ奇妙なことがある。リュカ・ルブランはなぜだか始終ソワソワとした様子なのだ。そういえば先ほどからなん度も従者に姿見を用意させて自身の姿をチェックしている。これは一体どういうわけだ?
「子爵様、どうなされたのです?」俺がそう問いかけるとリュカ・ルブランはさらに緊張した面持ちとなった。
「ドン・ミチーノ氏。こ、ここにあのソフィア様が訪れるという話は本当なのですかね」
「え? 少し遅れてますがいずれ到着すると思いますよ」
「心から感謝してますよ! ドン・ミチーノ氏!」
「え?」
当惑していると馬車が走行するけたたましい音が聞こえてきた。どうやら少し遅れてソフィア御一行がご到着らしい。
馬が止まると、どういうわけかリュカ・ルブランは直立不動となった。
扉が開き、先導でうちの屋敷に入ってくるのは正装をしたセネカだ。仕事モードのセネカはキリッとした表情で、いつもの子供っぽさは少しもない。
続いて酒などが詰まったバスケットを持った娼館の女性陣たちが入ってきた。そういえばソフィアが宴でリュカ・ルブランをもてなすと言っていたのを思い出す。そして、最後にやってきたのはソフィア・グレイシャーだ。
ソフィアの顔つきはただただ威厳に満ちたものだ。俺と一緒にいる時の柔らかな表情とはまるで違うな、そんなことを考えていたら思っても見ないことが起きた。
リュカ・ルブランがソフィアの前に跪いたのだ。
「ソフィア様、お会いできて光栄であります」
ソフィアは子爵を見下ろしたまま言った。
「リュカ・ルブラン子爵、私が所属するミチーノ・ファミリーの後ろ盾になってくれるとのこと、感謝いたします。本日は私自ら、お礼をいたしますわ」
「お安いご用ですソフィア様。これからも何なりとお申し付けください」
俺はルブラン家の長男がソフィアに平伏する姿を唖然として眺めるしかない。いや、これはどういう力関係なんだ?まるで大貴族の息子がソフィアの前だと犬のようじゃないか。
いつの間にか俺の隣に立っていたセネカはボソッと言った。
「貴族といえどソフィア姉さんに会うだけでも半年は予約が必要なんだ。たとえ会えても体には指一本触れさせない。王都で兄貴くらいだよ。ソフィア姉さんに自由に会える男の人は」
いやいや、指一本どころかこの前なんて顔に胸を押しつけられたんだけどな。もちろんそんなことをセネカに言うわけにはいかないが。
いつの間にかギルド受付横の団欒スペースは宴の場となっている。足を組んで座るソフィア・グレイシャーをリュカ・ルブランは酒を飲みながら崇めるような顔で見ていた。
そして子爵の表情を見て全てを理解する。なるほど、俺達は計らずともルブラン家の父親、息子、娘の信頼を獲得したってわけか。
宴の様子を見ているとソフィアは優しい笑みを浮かべながらこちらを向いて手を振った。どうやらこの場は彼女に任せておけば大丈夫らしい。
俺は賑やかな一階を離れ、二階にある自分の主室に行き、今朝発行された王都新聞に目を通した。あれから何日もたつが巨石城に侵入者が出たなどという記事は一度も出ていない。巨石城に侵入者が出て、しかも団長自身が取り逃がしたとなると騎士団の信用は失墜する。内々でことを抑え込むつもりのようだ。
それにしても、巨石城の地下でナダエルらが話していたことが気がかりだった。一体騎士団内で何が起きている?団長のセシルさえ知らない計略があるというのか。新聞を一通り読み終えた頃、扉がノックされた。
「ドン、よろしいでしょうか」
そう言って部屋に入ってきたのはカノだ。「いやー、ルブラン家の子爵さんにソフィアさん。まさか敗者の街区にこんなVIPが訪れるとは考えてもなかったですよ」
「ああ、俺もだよ。それでカノ、ニーナの修道院に関する調査はどうなっている?」
カノはいつになく真剣な顔つきになった。
「あの副団長さんが言っていた通りです。ニーナちゃんがここへ来た日、修道院のシスターが殺害されています。異端者が関わっていたようで聖女の団長さん自らが検分を行なったという話も聞きました。騎士団はシスター殺しの重要参考人としてニーナちゃんを追っているようです」
「ニーナが起きる様子はないか?」
カノは頷いて答えた。「顔色は悪くないので、健康に問題はないと思うのですが」
無情のキルケを圧倒してからしばらく経つが、あれからニーナは滔滔と眠り続けている。
カノはため息をついた。
「ルブラン公爵とのコネクションができたことでそう簡単に騎士団から取り締まりを受けることはなくなりましたが一般人の殺人となるとやはり別です、よね?」
「もちろん。異端者による一般人の殺害は大罪だ。しかも今回の被害者は聖職者、問答無用で捜査の対象になる」
それは俺たちだけでなく三大闇ギルドでも同じことだ。貴族の後ろ盾がある三大闇ギルドの異端者同士がいくら殺し合いをしたとしても騎士団は迂闊に手を出せないが、一般市民、さらに聖職者を殺害したとなると話は大きく変わる。どんな人物がバックにいようが、正義の旗印のもと聖騎士団はその犯人を捕える義務がある。
「もちろん、たとえ殺害したとしてもニーナがやったわけじゃない」
カノは再びため息をついてから言った。
「もしニーナちゃんが関わっているとしたら百パーセント魔王さんの仕業、ですよね」
「ああ」
マニーナなら人間などいとも容易く殺めることができるだろう。
「ただあいつ、頭はぶっ飛んでいるけど、そう力もなさそうなシスターを殺すかな?」
「うーん、魔王さんの思考はちょっと理解しかねます」
なんにせよ、ニーナが起きない限り俺たちはどうすることもできない。
俺は立ち上がり上着を羽織った。
「あれ?ドン、お出かけですか? お供しますよ」
「一人で大丈夫だ。すぐ帰ってくると思う」
たまたま予定が重なってしまったが、今日はバンピーを介して伝えておいたセシルとの待ち合わせの最後の日なのだ。おそらく今日も彼女はくることはないだろうが、念のために顔を出しておく必要がある。
そしてまさかこの日、セシルと思わぬ形で関わることになろうとはこの時の俺は考えてもいなかった。




