俺の知らないセシル
人を小馬鹿にしたような笑みは俺を追放した時となんら変わらなかった。上級騎士数名を引き連れてギルド本部に訪れた聖騎士団副団長ナダエルは俺の顔をまじまじと見た後、カノに視線を定めた。
「ほぉ、さすが闇ギルドのドンだけありますな。実に美しいエルフを飼われておる。透き通った肌はさながら絹織物のようだ」
俺が答えるより前にカノが言った。
「そもそも私たちは闇ギルドではなく真っ当な仕事を営む商会。あと、飼うという言葉は心外ですね。ドンはそんな下品な扱いを私にしておりません」
「ただの商会がかの有名な高級娼館ラ・ボエームの用心棒をしているというのですかな?」
「一体、なんのことでしょうか。話していることが皆目見当がつきませんけど」
ナダエルは声をあげて笑い声をたてた。「我々はカードを握っていることを理解して欲しいってことだよ。女エルフのカノ。そしてここからはそのおしゃべりな口を閉じててもらえるかな。私はお前ではなくドン・ミチーノと話しに来たのだ」
ナダエルはそう言うと、実に慇懃なそぶりで俺を直視した。
「今日はセシル様からの命を受けてあなた方の調査にきたのですよ。そして、驚きましたよ。ミチーノファミリーとはこんなスラムを縄張りにする、小さな組織だったとはね」
それは、その通りだ。まさかスラム街にあるこの組織がラ・ボエームの用心棒をしているなど誰が信じるだろう。
ナダエルは奇妙なことを言った。
「ドン・ミチーノ、儲けることは実に結構なことですが、王都で闇ギルドのような裏稼業を営むには多くの根回しが必要だということは知っておりますな」
「根回しとは?」
ナダエルはまたニヤリと笑みを浮かべた。それは皮肉めいたいつもの笑みではなく、どこかゾッとするような見たこともない表情だった。
「もちろん貴族の後ろ盾があれば別ですか、なんの後ろ盾もないあなた方に必要なのは我々、聖騎士団との関係性ですよ。我々と上手に取引することであなたがたの命は生きながらえるといってもいい」
ナダエルの話す意図が読み取れず戸惑った。本来、闇ギルドと聖騎士団は火と油の関係。取引とはなんのことだ。
戸惑っていると、ナダエルは指を五本突き立てた。「それでは50%でどうですかな?」
「どういうことですか?」
「ミチーノ商会から私ども聖騎士団への寄付金ですよ。ラ・ボエームからの報酬の50%。これで手を打ちましょう」
「待ってくださいよ!」
俺が話す前にカノが声をあげた。
「50%の寄付? 一体何の権限があるというんです!」
「だからお前らの命なんて私の手の内にあると言っているんだ。どうせこんな組織だって異端者が所属しているはずだ。強制的に異端審問をかけたらどうなるかくらい分かるだろう?」
その言葉にカノは口を閉じ、唇を噛み締めた。
俺はただただナダエルの話に驚くばかりだ。正義を司る聖騎士団が異端審問を盾に金を要求するなんて聞いたこともない。
「この件に関しては聖騎士団団長セシル様もご存知なのですか?」
「そのことをあなたに教える謂れはありませんな。まぁ真面目な聖女様には聖女様の、私には私の仕事があるとだけ申しておきましょう。それにセシル様は団長の座にはそう長くはおりますまい」
どう言うことだ?そう考えているとナダエルは続けて言った。
「近い将来、セシル様とレイモンド王子の婚姻が発表されることでしょう。ですから、あなた方もここ王都で上手くやっていきたいなら、次期聖騎士団団長である私との関係を第一に考えた方がよろしいと思いますがな」
結局、屋敷から立ち去るまでナダエルの口からはキルケの名前すら出てこなかった。どうやらナダエルたちの来訪はキルケの捕縛でもなんでもなく、俺たちの調査がてら金を巻き上げるのが目的だったようだ。
ナダエルの言動はもちろん、セシルの話も疑問ばかり残る。
純潔の契りを破ると聖術の力は格段に弱まるとされているが、王都新聞に載るセシル・ウェイブの活躍は相変わらずで、依然として彼女は聖騎士団の最大戦力。闇ギルド間の抗争が激化している中、騎士団長から退かせる判断をなぜ王家が取るのかわからない。
そもそも王都民を守ることに情熱を傾けていたあのセシルが易々と結婚なんて受け入れるだろうか。あの映し絵もそうだが、まるでセシルが誰かに操作されている、そんな印象すらある。
そういえば、俺を罵倒するようになった時から、何かの違和感を覚えていたのだ。いつもは昔と変わらない優しい性格なのに、レイモンド王子との会食から帰ってくると、人が変わったかのように俺にキツイ言葉をぶつけるのだ。反対に数日経つと長い時間俺を抱きしめ、純潔の契りを一緒に破ろうと口にしたり、不可解な言動が多々あった。一体あれはなんだったのだろう?
夕日が敗者の街区を染めた頃、扉がノックされてカノが部屋に入ってきた。
「重症ですが、治療を施したので無情のキルケという魔女さんの命には別状はないようです」
「それは良かった、死んでしまったらガンビーノの怒りを買うだけだからな。ニーナの様子は?」
「疲れたようでずっと眠っています。それよりドン! なんで言われるままお金を渡しちゃったんですか!」
「仕方がないだろ。ナダエルが言う通り異端審問にかけられたら俺たちは終わりだからな。今の段階ではできる限り聖騎士団と対立しない方が賢明だろう」
「まぁ、そうですけど……聖騎士団がこんなことするなんて思ってもいなかったです」
「ああ、俺もだ」
その時、威勢のいい声が響いた。
「兄貴! キルケ戦勝利おめでとう!」
そう言って部屋に入ってきたのはセネカだ。
「次のガンビーノとの抗争は僕も参加させてよ!」
「セネカ、これ以上の抗争はしないぞ」
「なんでだよ兄貴。相手さんから攻めてきたんだ、丁寧に返礼してあげようよ」
カノは言った。「セネカ君、ドンは、ここら辺で手打ちできたらいいと考えてると思うんだ」
セネカはぽかんとした顔で「手打ち?」と言った。
「いやいやいや、今が格好の攻め時だよ。あっちから武力を行使してきたわけだからこっちにも大義名分があるよ。なんせ兄貴とニーナちゃんはあのキルケに勝利したんだ。僕の用心棒部隊も強くなってきたし、みんなで力を合わせれば僕らにそう簡単に手出しはできないことくらいは分かってもらえると思うけど」
「セネカ君、ガンビーノファミリーと私たちでは組織の規模がまるで違うの。そして何より」カノはひとつ間を置いてから言った。「副団長さんのいう通りです。私たちは王家や貴族とのコネクションがない。このまま抗争が続けば一方的に裁かれるのは私たちだけということになりかねませんよ」
王家や貴族とのコネクションの欠如。これが俺とカノの共通認識である。なぜ他の闇ギルドのような存在が王都でぬくぬくと息をしているかというと、三大闇ギルドが王家や貴族たちとの太い繋がりがあるからだ。色街を仕切るガンビーノファミリー、賭場を独占するカポネファミリー、そして麻薬で儲けるマルセロファミリーはそれぞれ金と享楽を提供して貴族たちを肥らせている。さらには闇ギルドとして貴族からの依頼を受注することで信頼関係を築いているのだ。
そんな中、飛び込んできたのが例のルブラン公爵からの依頼だった。
「ドン、あの依頼を成功させたら、ルブラン公爵は報酬だけでなく、ミチーノファミリーの後ろ盾になってくれると保証してくれました。後継順位第二位のルブラン公爵が後見人になるとするなら、ミチーノファミリーの地位も安泰。ドンが嫌というなら盗みが得意の私が一人で引き受けますから、私に依頼を割り振ってください」
俺は首を振った。
「カノに任せるわけにはいかない。お前が捕まったらサニが寂しがるだろ」
「でも、今のままだと聖騎士団に寄付金をせびられ、ガンビーノファミリーの襲撃を受ける一方ですよ」
俺は一度息を呑んでから言った。これはガンビーノファミリーからの襲撃を受けた時にすでに決断していたのだ。
「俺があのクエストを一人で引き受ける。そしてルブラン家の後ろ盾を得た上で、ミチーノファミリーを強力な組織へと一気に拡大させる。もう二度と、俺たちの縄張りである敗者の街区でふざけた真似はさせないし、聖騎士団にもびた一文金を渡さない」
以前にソフィア・グレイシャーから言われた通りだ。誰かを守るには力が必要だ。後に引き返せなくなっても前に進むしかない。
それとナダエル、銀貨百枚のお礼はいつか数十倍にしてきっちり支払ってもらうからな。




