裏の世界
ルブラン家の依頼を終えてからは猫探しをしたり、住人に危害を与えようとするピットたちを追い払う、いつもの日常が続いた。合間に騎士時代と同じように剣を振り、夕方になるとみんなと風呂屋に行って汗を流す。大きな依頼はなく、猫探しや雨漏りの修理など小さな案件をこなす毎日だが、こんな穏やかな時間も悪くない。
そんなある日、自室で王都新聞に目を通していると、ギルド受付担当のサニが部屋にやってきた。
「ドン、お客さんだよ!」
「依頼か? 今日は暇だからどんな案件でもすぐに取り掛かれるぞ」
サニは首を傾げた。
「依頼とは違うみたい」
「依頼じゃないなら、なんだ?」
「カポネファミリーの若頭っていう人で、ドンに直接会いたいって」
その言葉に頭が真っ白になった。
「カポネの若頭って……、もしかしてカポネの狂犬グリッツっていう男か?」
「あんたが噂のドン・ミチーノか」
部屋に通すなり、カポネファミリーの若頭だと名乗るグリッツは言った。グリッツの他にも部下が二名。三人とも頭上には靄がかかった古代文字が浮かんでいた。
俺はグリッツの顔をまじまじと眺めた。グリッツをはじめ闇ギルドの幹部の存在は騎士団でも把握しているが、どんな容姿なのかはほとんど知られていない。もし名乗った名が事実とすれば、目の前にいる男はセシルすら目にしたことがない大物中の大物だ。
グリッツは笑みを浮かべたまま言った。
「ラ・ボエームの話はうちのボスも驚いた様子でしたよ。淑徳のソフィアを落とす男とはどんな玉かとね」
若頭は想像通りの強面だと付け加えた。もちろん今も俺はスキルを使い、顔を人相の悪い強面に変えている。
同じく部屋に呼んだカノは緊張した面持ちで言った。
「そ、それで、何のようですか若頭さん。ラ・ボエームの用心棒のこととあなたたちカポネはなんら関係ないと思うのですが」
「あんたが、カノというエルフか。想像していたより若いんだな」
「わ、若かったら、どうだというんです。カポネの狂犬、グリッツさん」
グリッツは声をたてて笑った。「皆そう呼ぶが、よく教育されたドーベルマンのような犬だぜ、俺はよ。無駄に噛み付いたりはしない。ただ一度嚙みついちまうと、ネジがピンッと抜けちまって、どうも狂っちまうんだ。気づくと噛み付いた相手は無惨な姿で死んでしまっている」
グリッツは笑みを浮かべてカノと俺を交互に見定めた。
「確かに、俺たちの間では今の所、何も起きていない。恨みもないし、争う理由もない。俺たちがここに来たのはよ、まぁいわば親切心ってやつだ」
「親切心? どういう意味だ?」
「今、ガンビーノの連中は顔に泥かけられたってんで、あんたらの素性を調べてるぜ。一体、あんたらが何者か、バックについているのは誰なのかってな。でも俺たちが調べたとこによると、お前らなんの後ろ盾もないスラム出身のぽっとでの組織じゃねぇか」
「だからよ、俺たちがお前らを守ってやろうってわけさ。単刀直入に言う、お前らカポネに入れ。ラ・ボエームの一件はうちのボスも評価していてな。うちに入れば命の保証はしてやるし、それなりのポストも用意してやる」
もちろんカポネファミリーに加わる気なんてさらさらない。できるだけ丁重に断りを入れたのだが、やはりこの男、カポネの狂犬と呼ばれるだけある。途端にグリッツの目には怒りの色が満ち満ちていった。
「あんたみたいな素人がどうこうできる世界じゃないのは知ってるよな」
その声は先ほどと打って変わって怒気がありありと含まれている。
「ガンビーノファミリーの報復はこえーぞー、この前もうちのカジノに黒魔術師送り込まれて、すんでのところで建物ごと吹っ飛ばされるところだった。一般市民なんかお構いなしで火の玉ボンって来るもんだからな。あそこが子飼いにするキルケっていうクソ魔女も頭のネジ一本飛んでんだ。あんたら酒屋始めたらしいがいまだに焼けてないだけ奇跡的だ。神様に感謝しなくちゃなぁ、ドン・ミチーノ」
グリッツは今日のところは帰らせてもらうと言って踵を返したが、数歩歩いたところで足を止めた。
「ドン・ミチーノ、王都にはあんたが知らない、いろーんなおっかない魔物が息を潜めている。裏の世界に足を踏み入れた者は悲惨な最期を遂げるのがほとんどだ。あんたもファミリー抱えてんだから、みんな幸せにしてあげないとなぁ。まっ、気が変わったら連絡してきてくださいよ」
そういうとカポネファミリーの若頭は去っていった。そしてその日の夜、ルブラン家から依頼が届いた。依頼難易度は前回の護衛とは比べ物にならないものだ。
曰く、王都にそびえる巨石城の宝物庫に保管されるとある聖遺物を盗み出して欲しいとのこと。報酬は金貨十枚。依頼内容も内容だが、報酬も段違いだ。
当然、こんな依頼を引き受けるわけにはいかない。できるだけ失礼のないように依頼に断りを入れたが、ルブラン公爵側は報酬を倍にして再度同じ依頼を突きつけてきた。
「裏の世界に足を踏み入れた者は悲惨な最期を遂げる」
公爵と書簡のやり取りしている間も、そんなグリッツの言葉が頭を巡っていた。そしてグリッツが訪れてから一週間後、「魔王の器」ニーナが俺の部屋にやってきて言った。
「ドン、魔王さんが妙な魔術使いが私たちの街に近づいてきていると言っている」




