聖騎士団団長の憂鬱 (セシル視点)
異端者を捕縛するため私は裏街と呼ばれる王都でも治安の悪い地域に来ていた。内偵担当騎士によればお目当ての大物異端者は酒場内にいるという。
念の為、第一聖騎士団の精鋭たちに王都中心にある酒場を包囲させた。ただし、彼らはあくまで保険。予定通りことが運べば、彼らの力を借りるまでもないだろう。
私は側近のリリスを一人連れて、酒場に足を踏み入れた。客がまばらな店内。今回の捕縛対象異端者はすぐに確認できた。「死の商人ゲーテ」。今の今まで呑気に酒を楽しんでいたようだけど、私が店に入ると、体をキュッと硬直させた。
ゲーテは恐る恐ると言った調子で振り返り、驚愕の顔で私を見た。
「聖女セシル!」
「もう状況は理解したでしょう。椅子から降りてその場に跪きなさい。拘束するから」
この場には一般人が複数いるからできるだけ穏当に捕縛を終えたい。そんな私の希望は異端者の愚かな判断によって潰えてしまった。
(異端スキルの発動……最後の悪あがきってやつ?)
報告に上がってるゲーテの異端スキル「死の商人」の能力は武具の高速同時生成。何十もの武具を体の周りに浮遊させ、不規則な軌道で同時攻撃すると報告書には書かれていた。
報告書の通り、椅子に座るゲーテの周りに鎌、三日月刀、大剣と複数の武具が出現し始める。
(流石に私たちと本気で戦うつもりはないだろう。狙いは明確。人質を取った上での逃走)
「リリス! 一気に決めるわよ!」
リリスが剣を引き抜き、ゲーテに向かって飛翔する。その間、私は聖術を詠唱した。今、唱えている聖術は相手の身体的自由を完全に奪うゲツセマネの祈り。これでゲーテを拘束すればすぐに雌雄は決する。
リリスはゲーテの周りに浮かぶ武具が他の一般人に向かわないよう応戦中。さすが剣聖スキルが発現しているだけあって滑らかな動きで武具を叩き落としていく。
詠唱が終わり、聖術が発動するとゲーテの体は不自然な動きでねじれ始めた。四肢の関節がバキッと外れるたびに店内に異端者の叫び声が響く。ついにはゲーテは顔面蒼白、目を見開いて私を見た。「こ、この化け物が……」
「化け物はあなたの方でしょう、異端者。あなたのせいで何人の王都民が犠牲になったと思っているの」
私はゲーテの肉体を操作し、強制的に地面に跪づかせる。いつの間にか彼の周りを漂っていた武具も姿を消していた。
闇ギルドに生成した強力な武具を売り捌き、抗争の激化に一役買っていた異端者は今や私の前に哀れな格好を晒していた。
「異端者ゲーテ、いまさら泣いても仕方がないわ。異端審問の場であなたの言い分はしっかり聞いてあげるから、今はただ祈ってなさい。リリス、捕縛をお願い」
「セシル様、当該異端者の連行が完了しました」
リリスから報告を受けると私はほっと息をついた。仲間の異端者がゲーテの奪還を企てる可能性を想定していたけれど、無事に任務を遂行できたみたいだ。
緊迫感が抜けると、ふと先ほど見た光景が頭に浮かんだ。実は酒場に突入する直前、男と腕を組んで怪しげな建物に入る、とある人物が目に入ったのだ。男の顔は見えなかったけれど、女は間違いなくあのソフィア・グレイシャーだった。
「リリス、つかぬことを聞くけどあの建物は一体何をする場所なの?」
ソフィアと男が入っていった建物について尋ねると、いつも冷静沈着なリリスが何故だか顔を赤く染めてしまう。「セシル様、別に知らなくてもいいんじゃないでしょうか。それとも任務に関わることですか?」
「別に任務には関係ないけど、疑問に思って。一見、宿のようにも見えるけど、看板に書かれている御休憩三時間銀貨二枚とはどういう意味かしら?」
「あの、セシル様。お立場的に大きな声でそのようなことを口にしない方が良いかと。せっかく格好良く異端者を捕縛なされたばかりなのですから……」
「どういう意味?」
リリスは一度ため息をついてから、私にそっと耳打ちをした。その思わぬ言葉に私は声をあげていた。
「そ、それって全然休憩になってないじゃない!」
私の大きな声に撤収作業をする周りの騎士たちが一斉にこちらに顔を向けた。私は咄嗟に表情を元に戻した。
まさか、聖騎士団団長である私の頭にいかがわしいイメージが宿ったなど、彼らに悟られるわけにはいかない。
そうはいっても体は正直で、いつもの反応を起こしてしまっているから厄介だ。
(レイモンド、本当に面倒なものを私に飲ませてくれたわね)
レイモンド王子に飲まされた媚薬は徐々に私の精神を蝕んでいっている。ただ今のところ、王子が私に吐いた言葉とは違って、レオンのことを忘れるなんてことは起きていない。むしろ事態は逆だ。
(いくら媚薬を飲まされたからといって、なんでこんなふしだらな欲をレオンにむけてしまうのよ。私たちは清純な恋愛をしていたのに)
今もそう。ソフィアが連れていた男の後ろ姿にどことなくレオンと似た雰囲気があったせいだろう。一瞬のうちに聖女にふさわしくないイメージが脳裏を駆け巡った。
それは私とレオンがあの連れ込み宿とかいう不健全な場所に手を繋いで入り、その後ベッドの上で起こる光景。事後にどんな会話をするかまで私は想像してしまった。
(何が「二人で性騎士になっちゃったね」よ。そんなうすら寒い冗談を私たちが口にするわけないでしょう……)
全く聖騎士団団長としても聖女としても最低の妄想だ。想像上のこととはいえ、あのレオンを汚してしまったことに自己嫌悪を覚える。
何よりこの欲がレイモンドに向くようになることが恐ろしい。そうなったらレオンだって守ってやれなくなる。
私は頬を叩いて気合を入れ直した。
「それで、レオンの捕縛未遂に関わった騎士の取り調べはどうなったの?」
レイモンド王子の話からしてレオンが計略に陥れられたのは明らか。私の不在時、一体どういう指揮系統で聖騎士団が動いたかを解明する必要があったので、リリスに関わったすべての騎士に話を聞くよう命じておいたのだ。
「取り調べた騎士は皆一様に、レオンを罪人に仕立て上げる計画などなかったと証言しています」
「まぁそう答えるしかない、か。指揮をしていたのはナダエルで間違いない?」
「ええ。それは確実です。関わった騎士全員がナダエル副団長の配下でしたから」
ナダエルは私よりも何十年もキャリアが上で、聖騎士団内に独自のチームを複数持っているし、レイモンド王子とも関係が近いことも知っていたけれど、まさかこのような汚れ仕事まで引き受けるとは思っていなかった。
私の知るナダエルは規則に厳しいところがあり、たとえレイモンド王子から命じられたとしても、冷静にはねつけるようなタイプだったはず。一体何が彼を変えたというのだろう。
「とにかく、ナダエルの周辺で何か不穏な動きがあったらすぐ私に報告するよう第一騎士団に伝えておいて。それからリリス、出かけるから付き合って欲しいの」
私はそう言って、馬に跨った。
リリスは言った。「セシル様、今からどこに向かわれるのですか?」
「ルブラン家の邸宅です。ルブラン家が今回のレオンの一件について説明を求めてきているの。ほらルブラン家にはレオンを可愛がっていたあの令嬢がいるでしょう。流石に私しか対応できないから」




