ピットは半値で酒を売り出す模様
異端者の手で作られる異端の酒は地下にある蒸留所から王都の地層に張り巡らされた地下通路を通じて各々の酒場に運び込まれる。ここ敗者の街区にも週二十本の異端の酒が届けられる契約を異端酒業者と正式に取り交わした。
異端の酒に魔導機で製造した発泡水を混ぜ、それを瓶詰めしたら異端のハイボールの出来上がりだ。飲んでみると、ピット酒なんかよりもはるかに上等なのは酒に疎い俺の舌でも明らかだ。
異端のハイボールの価格は銅貨三枚。別にソフィアが契約をまとめてくれたエール酒は銅貨五枚に決めた。ピット酒の銅貨二枚には敵わないが良心的な価格設定にしたつもりだ。
酒屋には簡単な酒場も併設し、従業員は敗者の街区から雇用した。
ただ、やはり商売は甘くないらしい。なんとか開店まで漕ぎ着けてはみたものの客はまばらで、来店したとしても酒の値段を見るとすぐに店を出て行ってしまう。
「ここの住民の財布の紐はかたいですからねぇ」とカノは客の呼び込みをしながら言った。
「でもなんて言ったってここのお酒の原酒は異端の酒ですから。一度飲んだらリピーターになること間違いなしですよ。あっそこのお兄さん! 一杯いかがですか!」
通りを歩く男性はカノの呼び声に相好を崩すが、酒の値段を見てお辞儀をして立ち去ってしまう。
「とにかく住民たちに一杯目を飲んでもらわないとな」
俺とカノがお店の呼び込みをしていると、この店の最大のライバルがホクホク顔でやってくるのが見えた。もちろんその男とは太っちょピットだ。
閑古鳥が鳴いているうちの店を見てピットは完全にバカにした様子だ。
「素人が客商売なんてほんとバカな連中だぜ。もっと安くて美味しいピット酒があるんだから誰もこんな酒買わねよなぁ」
ピットは店内をニヤついた顔で見回してからカノの方を向いた。
「カノ、俺と結婚したら客引きなんかさせずに、ずっとお姫様扱いして可愛がってやるんだけどな」
カノはそんなピットをチラリと横目で見てから冷たく言い放つ。「冷やかしだったら帰ってくださいねぇーピットさん」
「その態度は褒められたものじゃねぇなぁ。どうせ商売に失敗して、お前らは俺に頭を下げてお金を借りることになるのは目に見えているんだから。その時はそこの元聖騎士を名乗る嘘つき、お前が土下座するまで一文たりとも貸さないから覚悟しておけよ。よし、そろそろ開店準備を始めろ!」
ピットが命令すると取り巻きの男らは何やら俺たちの店の前に机を組み始めた。そしてそこに次々とピット酒を並べていく。
「おい、お前ら、うちの店の前で何してるんだ」
ピットは自分の頭を指で軽く叩いた。
「お前はちょっと武芸に自信があるみたいだがよ、街のドンに一番必要なのはここよここ、明晰な頭脳よ」
ピットは通りに声を響かせた。
「みんな聞け! 特別大サービスだ! 自慢のピット酒を半値の銅貨一枚で販売するぞ!」
敗者の街区の住民たちの動きは早かった。あっという間にピットらが簡単に作った酒屋には人だかりができ、住人たちは激安のピット酒を何本も抱えて通りへと消えていく。これじゃうちの店に寄り付くわけがない。
カノは怒り心頭だ。
「ピットさん! いい加減にしてください! 店の入り口の前で商売するのは流石にルール違反ですよ!」
「俺の縄張りを荒らそうとする奴らは早いうちに潰しておくほうが得策なんだよ! お前らの店が撤退するまで毎日ここで半額セールだ!」
「別にここはピットさんの縄張りでもなんでもないじゃないですか!」
「浮気性のカノがそこの男と暮らすようになってから俺は腹を括ったんだ。俺がもっともっといい男になってカノの目を覚ましてやるよ! 俺こそがそいつよりカノの結婚相手に相応しいんだからな!」
「別に私は浮気性じゃないですし、ピットさんと結婚なんて絶対にしません!」
その時、遠くで馬の足音が聞こえる。目を向けると通りを駆ける敗者の街区には珍しい馬車の姿。一体何事かと考えていたら馬車はうちの酒屋の近くで止まった。
貧民街には不釣り合いな豪奢な馬車をピットやカノ、通りの住民は物珍しそうな顔で眺めた。その表情は、キャビンから露出度の高いサキュバスの仮装をした女性たちが降りてくると、驚愕のものと変化した。
仮装姿の三人の女の子らは俺の前に立って言った。
「ドン様、ソフィア様からお店のお手伝いをしろといわれてやってまいりました。なんでもしますので私どもをどうぞ自由に使ってください」
結果から述べると店舗初日はこれ以上はないと言っていいくらい大盛況のうちに終わった。
店に訪れる敗者の街区に住む男たちは皆一様に目を輝かせた。なんせ魅了スキルを持つ、王都一の娼館で働く女性が直接接客してくれるのだ。
しかもピット酒よりは高いとはいえかなり良心的な料金。予想よりも多くの住民が本物の酒の味に舌鼓を打ってくれている。客の中には馴染みの屋台の親父もいて、異端のハイボールを店で売り出したいと申し出てくれた。もちろんピット酒からシェアを奪うのが今回の目的。二つ返事で申し出に応じた。
盛況な店内で唯一罵声を飛ばすのはピットだ。
「こんなの卑怯だ! それに、どこからこんな女の子を呼んだんだ! この街の風紀が乱れるだろぉ!」
ピットはそう言いながらもサキュバス衣装の女子を目で追いかけては鼻の下を伸ばしている。どうしても気を引きたいのかハイペースで異端のハイボールを頼み、ポケットから銀貨を取り出して女の子の胸の谷間に挟む始末だ。
隣で店内の様子を眺めていたカノが言った。
「これでピットさんの関心がサキュバスさんたちに移ったら嬉しいのですが」
「一番の常連になったりしてな」
「あっドン、そろそろ裏の顔スキルが切れる頃合いじゃないですか」
「ああ、店は店員に任せてそろそろ帰ろう。明日も忙しいからな」
「そうですね、明日はいよいよ闇ギルド本部の立ち上げですね!」




