すれ違う二人
「銅貨二枚? そのピット酒というお酒の原料は一体何を使ってるのかしら? そんな安価なお酒聞いたことがないわ」
大幅に値段交渉で取引価格を引き下げたソフィアだが、敗者の街区で流通するピット酒の価格を伝えると驚きの顔つきになった。
味が悪く、飲むと体調を壊すことも多いピット酒が敗者の街区で飲まれる理由。それはただただ安いからに他ならない。
ピットによれば門外不出のレシピがあるらしいが、何かよからぬものを使っている気がしてならない。
馬車に戻ったソフィアは思案顔だ。「そうね、それならやはりあのお酒を仕入れたほうがいいみたいね」
ソフィアが馭者に目的地を伝えると、馬車が動き出す。目的地は王都で裏街と呼ばれる治安の悪い地域。あの街に醸造所などあっただろうか?
「危ない場所だけど、隣に元聖騎士の方がいるのだから安心ですわね」
裏街に着き、場所から降りるとソフィアは俺の腕を組んだ。
ここは闇ギルド所属の人間らの突発的な喧嘩、スリ、違法媚薬の取引など、騒動に事欠かないことから、聖騎士時代に俺もよく出入りした場所だ。ただ今日は街の雰囲気がいつもと違うことにすぐに気づいた。
ソフィアは言った。
「あら、ドンの元お仲間たちもお仕事をしているみたいよ」
そう、先ほどから、第一聖騎士団所属の先鋭の聖騎士を複数見かけるのだ。普通彼らがこの街にいることはない。恐らく、これから大物異端者の捕縛でも行われるのだろう。そうなると、この現場の陣頭指揮を取るのは団長ということになる。
予想通り、ソフィアに連れられて通りを歩いていると、酒場全体を取り囲む聖騎士と酒場の扉の前に立つセシルの姿を見かけた。状況から見て、あの酒場内に捕縛対象の大物異端者がいて、今まさに団長が突入するといったところ。緊迫感のある場面だ。
隣のソフィアは噛み締めるような笑い声を漏らした。
「全く、偶然っていうのは面白いわね。あなたを連れて歩いているときに聖女様を見かけるなんて」
「ソフィア、どういう意味だ?」
ソフィアは煙に巻くように言った。
「こちらの話よ。何より、聖女様はお取り込み中のようだし、私たちは私たちの仕事を進めましょう」
側近のリリスを引き連れて酒場に入って行くセシルを背に、俺はソフィアに連れられるままとある建物の中に入って行った。
ソフィアと入った場所は安宿のようなところで醸造所にはまるで見えない。受付に立つのは中年女性。冷たい目つきで俺たちを一瞥するその女に臆することなくソフィアは話しかけた。
「部屋は空いているかしら? この殿方と御休憩がしたいの」
その言葉に俺は慌てて言った。
「おいソフィア、醸造所に行くんじゃなかったのか!」
「ドン、私、少し疲れたわ。一緒に御休憩しましょう。じゃ部屋をお願いね」
ソフィアが受付に銀貨三枚を置くと、受付の女は黙ったまま頷いてから二つの鍵を差し出した。
「ソフィア! 休むならどこかでお茶でも飲もう! こんな場所じゃなくて!」
ソフィアはくすくすと小さく笑ってから俺の手を引いた。「少しからかっただけですよ。目当ての場所はちゃんとこの先にありますから」
廊下沿いに数室の客室があり、その一つの扉にソフィアはルームキーを差し込んだ。扉を開けると、そこには何の変哲もないこじんまりとしたベッドルームが広がる。やっぱりどうみても良からぬ売春宿にしか見えない。
ソフィアは備え付けられていた大きなクローゼットの扉を開いた。「ちょっと窮屈ですが、こちらにきて」
「どういうことだ?」
俺の疑問に答えず、ソフィアはクローゼットに入るともう一方の鍵を取り出した。
よくみるとクローゼットの奥には鍵穴があって、扉状になっている。開錠し、扉を開くと暗い階段が姿を現した。
「暗いのでお気をつけくださいね」
少し降りただけで完全に視界は真っ暗闇になり感覚だけが頼りだ。
階段は地中深くまで続いていて、歩くほどにアルコールの匂いが強くなっていく。ソフィアと訪れた醸造所で嗅いだ匂いとも違う、強いアルコールの匂い。そしてこの匂い、どこかで嗅いだ覚えがある。記憶の糸をたどっていくと、聖騎士時代の時間が脳裏に過ぎる。
確か、騎士団の任務の時、異端の酒と呼ばれる高アルコールの違法酒を提供する酒場を摘発した時にこの匂いを嗅いだ覚えがある。異端の酒は生のまま飲むと喉に火がついたかのように熱くなり飲めたものがじゃないが、一杯二杯と飲むうちに瞬く間に酒の虜になるという。
って、まさか……
「まさか、異端の酒を仕入れるつもりなのか?」
「気づかれましたか? 異端の酒は安価かつアルコール濃度が高いので、薄めて販売すればピット酒に対抗できるんじゃないかと思いまして」
「おいおい、聖騎士団に見つかれば検挙対象だぞ」
「あら、当の王様がお忘れになられたの? 敗者の街区は聖騎士団の管轄外でしょう?」
「管轄外だって俺自身のモラルの問題もある」
暗闇の中でソフィアはクスクスと笑った。
「ドン、私たちは異端者ですよ。私たちの存在自体がアンモラルなのに、違法酒を流通させるくらい何の問題があるんでしょうか?」
答えに窮しているとソフィアは続けていった。
「ドン、一つ忠告しておきますが、あなたは今、極めて稀な立場にいるのです」
「極めて稀な立場?」
「ええ、知らず知らずのうちにドンは王都の中でも大物たちから注目される立場になっている。今は手段など選ばずに早急に力をつけるべきです」
「俺はファミリーが普通に暮らせて、敗者の街区の治安が良くなればいいと考えているくらいで、そう多くは望んでないんだぞ」
「多くを望まなくて、ファミリーを守れますか? 例えばニーナちゃん。あの子の能力は異端中の異端。聖騎士団から彼女を守るだけでも相当な力が必要ですよ。そして推察するに、彼女を追う闇ギルドが王都内にいてもそうおかしくはないと思いますが」
それはソフィアのいう通りだ。今の王都はセシル無双状態。セシルに対抗できる可能性があるニーナの力を欲したい勢力がいてもおかしくはない。事実、ガンビーノには存在がバレているのだ。
ソフィアは言った。
「ドン、ファミリーを守るために早急に二つのことを成し遂げてください。一つは縄張りの確立。もう一つは貴族の後ろ盾を得ること。微力ながら私がそのお手伝いをいたしましょう」
「ソフィア、一体君の狙いはなんなんだ?」
「ニーナちゃんがポルナイで暴れ出し、あなたが私の街を守ってくれた時、人生で初めて心が揺れ動いたのよ、私の冷たいこの心が」
ソフィアは俺の手を掴んだ。
「私、ソフィア・グレイシャーはドン・ミチーノことレオン・シュタイン様に忠誠を誓います。その代わり、王都一の闇ギルドを作り上げてください。私の期待を裏切ったら許しませんからね」
そして手の甲に柔らかいものが触れた。まさかあのソフィア・グレイシャーが俺に忠誠を誓ったのか?続いて本当に暗闇の中に光る古代文字が浮かんだ。
ソフィア・グレイシャー
種族:人間
異端スキル:淑徳の性獣
サブスキル:魅了 目利き 交渉 媚薬のキス 嘘の涙 死の抱擁
隠れスキル:ドンへの献身 無類の愛
忠誠心:30




