王都で人気の有名人に興味を持たれてしまう
「魔王の器」なる異端スキル名を目にしてからある程度悪い予測は立てていたつもりだ。ただ、目の前で起きた事態は俺の想定の遥か上をいっていた。
黒い煙が晴れていき、そこに立っている人物を見ながら聖騎士団図書館の禁書書架に並ぶ、「第三紀元 魔王マニーナ図録」という名の書物を思い返していた。
魔王マニーナ図録はその名の通り、当時の聖女と対峙した魔王マニーナの映し絵が収めれた極めて貴重な資料集。二百年前に刷られたとは思えないほど鮮明な魔王マニーナの映し絵が集められたこの本の歴史的価値は、聖騎士団図書館の中でも群を抜いて高い。
今、俺の目の前に立つのは、あの本で見たままの魔王マニーナだ。
一見すると恐ろしく目鼻立ちが整った美少女だが、髪は銀髪で頭上には二本の角が生えており、さらに臀部からは尻尾が伸び、異形としかいえない姿。服装は胸と腰だけを布で覆い、露出度の高い格好をしている。
魔王マニーナ図録は歴史的資料でありながら、貸出待ちが一年と、聖騎士見習い男子に人気の本でもあったが、それは魔王マニーナは露出度が高い上に、極めて美しい顔立ちをしている点に理由がある。
そのためか、徐々に集まってきた野次馬の男などはマニーナをうっとりとした目で眺めている。
一方で俺は目の前で起きた魔王復活という歴史的出来事にただただ立ち尽くすしかなかった。
マニーナはその紫の瞳で俺をじっと見つめながら言った。
「聖女セシルから守ってくれたお礼をしたい」
その意味がわからず俺はボケた声を出してしまう。「お礼?」
戸惑っていると、マニーナは右腕を天に突き上げた。すると手の平に火球が生まれ、みるみると大きくなっていく。火球が酒樽五つほどの大きさになった時、すっと背中に嫌な汗が流れた。
なんだ?あの馬鹿でかい火球は?騎士団時代に魔術スキルを持つ冒険者や異端者は何人も見てきたが、あんな大きな火球は見たことがない。
そしてふと《《お礼》》の意味が頭をよぎる。
「この子を頼む!」
俺はソフィア・グレイシャーの腕に猫をのせ、背中の長剣を抜いた。次の瞬間、予想通りその火球は蛇腹剣をもつガンビーノの男の方へと投げ込まれた。男は早い展開に何が起きているか分からない様子でただ突っ立っているだけだ。
俺は男の前に立ち塞がり、飛んできた火球に斬撃を浴びせた。
燃え盛る火球は鋼鉄の球のように固く、一度の斬撃じゃびくともしない。スピードをあげ、何度も太刀を浴びせてようやく鎮火した。その際に飛び散った火の粉が皮膚をヒリヒリと焼き、じんわりとした痛みが残る。
怪我はないかと後ろをチラリと見ると、男は剣を放り出して地面に座り込み、青い顔をしているが、少なくとも無傷のようだ。
マニーナは不満げだ。
「何をする! そなたを助けてやろうと思ったのだぞ!」
「人が死ぬぞ!」
「そこをどくのだ!」
マニーナはそう言って、今度は両手をあげ再び火球を作り始める。マニーナの頭上に浮かぶ火球は先ほどの二倍、五倍、十倍とみるみる大きくなっていく。
流石にこの大きさの火球は長剣で対応できるわけもない。俺は「やめろ!」と叫びながらマニーナのほうへ地面を蹴って飛びかかる。もしあのサイズの火球が投げ込まれたら闇ギルドのチンピラだけじゃなく、ソフィアをはじめ女たちも間違いなく即死。建物への被害だって甚大なものになる。王都史に残るほどの大破壊だ。例え無駄だとしても、聖騎士出身として、命にかけて彼らを守る義務がある。
俺は火球が放たれる前にマニーナの腕を掴んだ。
「やめろ!」
マニーナは紫色の瞳で俺をじっと見つめた。顔立ちはあどけない少女なので、今まさに、大量殺戮を働こうとしている凶悪な悪魔にはとても思えない。
マニーナはニヤリと笑みをこぼす。
「ほぉ、魔王の我に王命を放つか」
「王命?」
マニーナはカッカッカと高笑いをした。
「まさか、まさか! 魔王を統べるスキルがあるとは恐れ入ったぞ! よかろう! 王命を聞き入れようぞ」
マニーナは意外にも素直にしゅっと頭上の火球を消した。そしてイタズラっぽく大きな瞳を輝かせた。
「それにしても、すごいスキルじゃな、異端者の王というスキルは」
マニーナはもう一度大きな笑い声を上げた。
「まさか、まさか、魔王の我と性交や婚姻が可能とは、面白いスキルもあるものじゃ!」
その言葉に俺は思わず狼狽えてしまう。
「な、何を言っているのだ……」
「白々しい。わかっておるくせに。我の頭上に浮かぶ文字が見えるであろう」
マニーナの頭上には確かに「忠誠度:80 王命により性交 婚姻可能」という古代文字が浮かんでいる。
マニーナは愉快そうに笑ってから俺を見つめた。
「数万年生きているが、性交や婚姻など初めてのこと! 楽しみにしておるぞ」
一体どんなリアクションをしていいか分からずにいると、マニーナは大きな欠伸をした。
「我の力はまだ不完全。よってすぐ眠くなるのじゃ。寝るから抱っこするが良い。魔王であり絶世の美女である我を抱くことができるのは名誉なことじゃぞ」
自分で美女というのかと思いつつ、俺の腕にもたれかかるマニーナを受け止める。そして目を瞑ると、寝息を立て眠り始めてしまう。すると少しずつ頭から角が消え、元のニーナの姿へと戻っていった。
俺はしばらく腕の中でスヤスヤと眠るニーナの顔を眺めみた。
(やっぱり、聖騎士団に突き出した方が世のため人のためになるじゃないか……)
そうは言っても、一度ファミリーに迎え入れた以上、この子を守る必要がある。辺りを見回すと、人通りが少ないとはいえ周りにいる者は皆一様に目を丸くしている。早いうちにこの場を離れなければ通報され、聖騎士団に見つかるのも時間の問題だ。
ニーナを背負い、猫を回収して速やかに立ち去ろうとしたとき、肩を叩かれた。俺をじっと見つめるのはあの王都一の人気娼婦、ソフィア・グレイシャーだ。
ソフィアは言った。
「一体、あなた方は何者なの? 今起きたことは口止めしておきますから、正直に教えてもらえるかしら?」