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少女を連れて王都一不健全な街に迷い込んでしまいました

「忌々しい猫め!」


 猫は手を替え品を替え、俺とニーナを翻弄し、逃げ続けていた。

 気ままな猫を追って王都中を彷徨っているとニーナが俺が着ている服の袖を引いた。「ドン、顔が戻っている」 


 その言葉に思わずハッとする。サブスキル「裏の顔」の効果は六時間ほど。猫を追っているうちにタイムリミットが過ぎてしまったのだ。そして効力が消えてしまうともう一度使うには一晩ほど休む必要がある。当然、俺は騎士団に追われている身、今の顔のまま王都を歩くにはリスクが伴う。


 そうは言っても俺とニーナの視界の先には依頼された猫が呑気に歩いている。このまま逃すにはあまりにも惜しい。


「ニーナ、手早く捕まえてカノとサニが待つ敗者の街区に帰るぞ」


 そう意気込んで歩を進めた時、俺は不意に辺りを見回した。そういえば、俺たちが今、王都でもかなり特殊な場所にいることに気づいてしまったのだ。


 隣のニーナは不安げにもう一度、袖を引いた。

「ドン、男の人が女の人のお尻を触っている」


「ニーナ、辺りをできるだけ見るな。そして、これからこの街で見聞きすることは俺に何も聞かないでくれ」


 修道院で暮らしてきたニーナにとってはここは異世界と言っていい場所だろう。知らず知らずのうちに俺たちが足を踏み入れてしまったこの場所は王都最大の色街、通称「ポルナイ」と呼ばれる地域だ。


 街路で身を売る娼婦から、日銭を稼いだ労働者がひとときの快楽を得る安価な売春宿、貴族や大商人だけを相手にするような高級娼館が並ぶ、欲望蠢く夜の街。もちろんこの街を取り仕切っているのは闇ギルド。確か、ガンビーノファミリーだったか。


 聖騎士団の騎士は任務以外でこの街に出入りすることは禁じられているが、中には休養日に隠れて出入りするものもいるという。もちろん俺がポルナイに任務外で訪れたのは人生初めてのことだ。まだ昼間だから人通りは少ないが、どうも居心地が悪い。

 早く猫を捕まえてこの街を立ち去ろうと考えているとニーナが指を差した。


「ドン、猫さんがお城みたいな建物の中に入っていく」


 ニーナが指し示す方向を見ると、目標の猫が尻尾を上げながら悠々と建物に入っていくではないか。しかもよりよって一際豪華な娼館で、そう易々と猫探しに協力してもらえるような雰囲気ではない。


 仕方がなく店からちょっと離れた場所で娼館から猫が出てこないか覗いていると客引きらしき男に話しかけられた。


「おっ、若旦那。あそこの娼館は貴族向けだから一般人は無理だぜ。それよりうちの宿はどうだい? いい娘が揃ってるよ」


 適当に断りを入れると、客引きの男はニーナに目を向けた。

「って旦那、真面目な顔してこんな小さな子を買ったのかい。見かけによらないねぇ」


「いやいやそうではない! ちょっと事情があってな」

 確かにニーナを連れてこんな街を歩いていたらおかしな目で見られてもおかしくはない。


 ニーナの教育にも悪いし、流石に今日のところは猫探しをやめようかと考えていると、騒がしい声が例の娼館から聞こえてきた。客引きの男はうんざりした様子で話す。

「あーあ、またソフィア・グレイシャーさんとガンビーノファミリーの対立か」


 続いて高級娼館の大扉から強面の男たちと、煌びやかなドレスを纏った女たちが出てきた。


 女たちは一目で高級娼婦だとわかるほど、怪しい色気を放ち、ポルナイを歩く男らは皆一様に視線を向けた。その中でも一際華麗な女に俺の注意が向いた。


 客引きの男の話によれば、彼女がかの有名なソフィア・グレイシャーらしい。


 もちろん俺は娼婦についてなんてまるっきり疎いが、ソフィア・グレイシャーは吟遊詩人が歌にするほどの名の通った人物だから名前くらいは知っている。高潔の淑女と呼ばれ、高級娼館の女主にして貴族や大商人がこぞって指名する王都一の娼婦。

 俺の注意が向いた理由は、ソフィアの頭上に浮かぶもやがかった古代文字にある。どうも彼女は異端者らしいのだ。


 二人の男と対峙するソフィアは腕を組んだまま淡々と言葉を発した。

「何回言ったら分かるのかしら? うちは昔からあなたがたとは取引せずにやってきている歴史ある娼館。商売の邪魔になるから帰ってもらいたいのだけど」


「そうは言ってもねソフィア様、あなたの店だけなんですよ。我々ガンビーノファミリーにみかじめ料を払っていないのは。うちの縄張りでこれだけ大きな店を構えておいて、びた一文も払わないとなるとうちのメンツに関わりましてね」


「だから何度も言っているじゃない。私の店はガンビーノファミリーなんかよりも歴史が古いの。それに、うちは用心棒も独自に雇ってるし、あなた方のお世話になる必要はないのよ。分かったならさっさと帰ってもらえる。開店準備があるんだから」


 なるほど、ガンビーノの縄張りのポルナイであっても一筋縄では行かないってわけか。

 遠目でいざこざを眺めていると、ようやく憎たらしい奴が現れた。探していた猫が娼館の入り口に姿を現し、そこにちょこんと座ったのだ。面倒な場所にいるがこの際仕方がない。


「ニーナはここで待っててくれ。今度こそ猫を捕まえてくる」


 勝手に店の中に入るのは不躾だろうが、猫がいるのはちょうど境目。素早く猫を捕まえてしまえばこちらのもんだ。


 できるだけ目立たないようにコソコソと歩いてる間もガンビーノの連中とソフィアの言い争う声が聞こえてくる。


「その肝心の用心棒が怪我をなされてしまったという話じゃないですか? 私たちがその代わりを務めてみせますよ」


「白々しい! 怪我をさせたのはあなた達でしょう!」


「証拠があるなら聖騎士団にでも訴え出たらどうです? もちろんそんなことはできないでしょうけど」


 確かに娼館と闇ギルドの仲裁なんてのは聖騎士団の上の連中も面倒がるだろうなぁ、なんてことを考えながら猫に一歩一歩近づいていく。


 そして飛び込めば捕まえられる距離まで来た時、足を止めた。ここで決めなければ元聖騎士の名が落ちるというものだ。俺はふくらはぎに力を込め、一気に猫に飛びつく。


 次の瞬間、猫のもふもふとした柔らかな手触りを両手に感じる。意外にも猫は無抵抗で、呑気に喉をゴロゴロと鳴らした。


 よし、これで依頼主に猫を引き渡せばクエスト成功。銀貨一枚を受けとり、凱旋広場近くの名物「ジャコウ肉入り饅頭」でも買って帰ろう。きっとあの味ならサニが喜びそうだ。そう思っていたらそれまで聞こえていた言い争う声がピタリと止まった。


 嫌な予感がして振り返ると、さっきまで押し問答をしていたソフィアやガンビーノの連中がじっとこちらを見ている。


 ソフィアは怪訝な面持ちで言った。

「ところでそこのあなたは私の店で何をしているの?さっきから気になっていたのだけど……腕にいるのは、猫、ちゃん?」

 

 ガンビーノの連中は笑い声を上げた。

「ソフィア様、こういう訳の分からない輩がいるからうちと仲良くしたほうがいいんですよ! 俺たちに任せてください」


 まぁ猫も捕まえたことだし、無視してニーナの元に行こうとすると、ガンビーノの男らが道をふさいだ。


「にいちゃん、黙ってどこいく気だい」


「俺はこの猫を探していただけなので、気にしないでくれ」


 そのまま一歩踏み出すと、肩をガシッと掴まれた。

「俺たちはこの街の治安を守る正義の人間でよぉ、不審者は身体検査しないといけねぇなぁ」


 男はそう言って俺の背中の長剣に目を向けた。

「とりあえず、この物騒なものは没収だな」


 俺は男が剣に手を触れる前に咄嗟に避けた。「馬鹿な真似はよせ」


 男はニヤニヤしながら腰のナイフを抜いた。

「馬鹿な真似? お前だれに口聞いてんだ?」


 男がナイフをシュッと振り回したので、俺はサイドステップでそれを避ける。


 男は笑みを浮かべながらナイフを何度も突き出してきた。動きが遅いから避けるのは容易だが、このままだと騒ぎになり、聖騎士団に見つかりかねない。


 まぁ闇ギルド所属ということだし多少手荒な真似をしてもいいだろう。俺はナイフを軽く避けつつ、致命傷にならないよう力を加減して男の腹を蹴り付けた。


 次の瞬間、男は後方に吹っ飛び、地面に倒れ込んだ。「い、いてぇ!」


 今度はもう一人の男が背中の蛇腹剣を抜いた。

「お前、いったい何者だ?」

 

 元聖騎士と正直に名乗れば逃げていきそうな相手だが、無闇矢鱈に聖騎士団の名を使うわけにもいかない。そして目の前の男も俺と一戦やり合うつもりらしい。俺は一つため息をついてからニーナに言った。


「ニーナ、しばらく猫を抱いていてくれ」

 そう言いながら、俺はようやく異変に気づいた。


(何が起きてるんだ?)


 いつの間にかニーナは怯えきった顔つきをしているのだ。何よりニーナの周りを不自然な黒い煙が漂っている。


 ニーナは今にも泣き出しそうな声で言った。

「ドン、異端スキルが発動してしまうかもしれない」


「どういう意味だ?」


「魔王さんが私の体を貸して欲しいと言っている」


「体を貸す?」


 そう話している間も煙はますます濃くなっていき、ついにはニーナの姿は完全に消えてしまった。

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