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枯野と琴  作者: 村野夜市
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ソウビと京の出かけた後、ひとり社に残された枯野は、早速、妖猫にもらった笛を吹いてみた。


ぴっぽろぽろぽろ、ぴぃ~


たった一度息を吹き込んだだけで、笛は妙な旋律を奏でた。

ぎょっとした枯野は思わず笛を取り落としてしまう。

慌てて拾い上げて、どういう仕組みなのかしげしげと眺めていると、背中から声がした。


「坊ちゃん、お呼びですかニャ?」


振り返ると、にゃあ、という大きな猫の顔が、意外に近くに迫っていた。

ぎょっとした枯野は思わず一歩飛び退いた。


「あ。っと。速い、ですね?」


「呼ばれたら即座に応える。

 よい騎士の条件ですニャ。」


妖猫は、ぴん、と伸ばした髭を指先でしごいた。


「我輩、この面倒ニャ喋り方のせいで、出番を減らされがちニャ。

 だから、呼ばれたら、すぐに来ニャいとと、待ち構えておりましたニャ。

 いい加減、この喋り方をやめようかとも思うんニャけれども。

 いったん身についたもニョは、ニャかニャかニュけニャいんニャ。」


妖猫が早口で喋る間、枯野は、あー、と口を開いて、ただ、頷いていた。

一通り愚痴を言ってから、妖猫は、はっと我に返ったように言った。


「いやいや。そんニャ裏側の暴露をしている場合じゃニャいんニャ。

 早くはニャしを進めニャいと、いい加減、完結しニャいんニャ。」


妖猫は胸に手を当てて大袈裟なお辞儀をすると、枯野の前に膝をついた。


「して、坊ちゃん、ご用件を伺いますニャ。」


枯野も慌てて妖猫の前に正座すると、正面から妖猫を見て言った。


「あの、こういう札を使う人を知りませんか?」


枯野は怪物蛸に突き立てられた銛と、その銛に縫い留められている札の話しをした。

話しを全部聞いてから、妖猫は、にゃあ、と首を傾げた。


「大王の側近の術師ニャら、ニャん人か、心当たりはありますニャ。

 けど、その術は、表側の術師ニョ使うものとは、少し違っておりますかニャあ。」


「表側の術師?」


「大王のお抱えの術師には、表側と裏側がありますニャ。

 裏側の術師は、素性やニャ前は、厳重に秘匿されておりますニャ。

 我輩、たったひとりだけ、その裏側の術師に心当たりはありますけれども。

 彼のアッポイントメントォは、半年先まで、埋まっておりますニャ。」


妖猫は残念そうに首を振った。


「だから、坊ちゃんに、その方をお引き合わせすることは、難しいニャ。

 ただ、我輩、その方とは、プライヴェイト、のお友達ニャ。

 ちょこっと尋ねて、お茶をするくらいニャら、パッシボー!ニャ。」


「???」


ときどき、妙に気合の入る妖猫の話し方に、枯野は、魂を抜かれたように、きょとんとなった。

妖猫は、にっこりと枯野を見て言った。


「というわけで、我輩が、聞いてきて差し上げるニャ。

 少し、お時間、頂いてもよろしいかニャ?」


「あ。・・・ああ、はい。」


枯野が頷くと、よろしい、と妖猫は鷹揚に頷いた。


「では、この場はいったん失礼して。

 しからば、どろん、ニャ。」


どこで習ってきたのか、妖猫は、奇妙な印を結ぶと、そのまま姿を消した。

後に残された枯野は、妖猫の勢いに魂を呑まれたように、目をぱちぱちさせていた。


一方、山に上ったソウビと京のほうは、頂上から海を見渡していた。


「たしかに、こりゃあ、いい眺めだ。」


額に手を当てて、はるか遠くを見晴るかす。

なかなかにいい心持だった。


「でしょう。ここからだと、おいらたちの昔いた島まで見えるんっすよ。」


得意げに京は海を指さした。


「なるほど。島は、あれだね。

 ということは、この山は、島からも見える?」


「はい。見えてます。

 海から見て、日の上ってくるのが、この山っす。」


「この間、舟の上で、日の出を拝んでいたよね?

 あれを見ていて、思いついたんだけどね。」


ソウビはにやりと笑うと、懐から、何やら切紙を引っ張り出した。


「ほら、行ってこい。」


そう言って、切紙を放り投げると、それは一瞬で白い鳥になって、羽ばたいていった。

京は感動したように鳥の行くのを見て言った。


「うっへ~、すごいっすね?

 今のは妖術っすか?」


「まあね。けど、本番はここからだ。」


ソウビは今度は少し大きめの紙を出して広げてから、矢立の筆を手に握った。


「っと・・・ああ、その辺だ。

 送ってくれ。」


「はい?」


突然、誰かと話し始めたソウビに、京は首を傾げる。

ソウビは知らん顔をしたまま、筆を紙の上に走らせ始めた。

京は目を丸くして、その筆先を見つめた。


「え?う、わ。うわわわわ・・・」


紙の上には、むこうの島とこちらの浜との絵図が、すらすらと出来上がっていく。

それはまるで、鳥の目で見た図のようだった。


「これって、もしかして、さっきの鳥が見てるんっすか?」


「そうだよ?よく分かったね。」


ソウビは上機嫌で、こんなもんかな、と筆を置いた。

あまりにも見事な絵図に、京は感嘆の声を上げた。


「すごいっすね。」


「正確な絵図面がほしかったからね。

 ところで、ちょっと尋ねたいんだけど。」


なんでしょう?と京が顔を上げるのを待ってから、ソウビは言った。


「この辺りに桟橋のようなものがあるけど。

 これは、船着き場かなにか、かな?」


「そうっすよ。

 今も、おいらたち、ときどき、島には渡ってるんです。

 先祖代々の墓も、あっちにありますしね。」


「墓参りか。ご先祖を大事にするのはいいことだ。

 この船着き場ってのは、昔からあったのかい?

 皆がまだ、島にいた頃から?」


「そうだと思いますよ。

 船着き場の位置はずっと変わってないと思います。」

 

「なら、船出する場所は、昔から、ここだったんだね?」


「はあ。多分。」


「そうかそうか。よく分かった。」


ソウビは上機嫌で図面と筆をしまい込むと、にこにこと京を見た。


「さてと。

 ところで、この近くに渓流はないかな?」


「小さな沢なら、こっちを降りていったほうにありますけど。」


「じゃあ、そこに案内してもらえるかな?」


京に案内された沢をしばらくうろうろしながら、ソウビはなにか探しているようだった。


「なにをお探しなんです?」


「山葵をね。

 魚の毒には山葵と相場は決まっている。」


「それって、瘴毒にも効くんっすか?」


「どうかな。

 けど、枯野の話しじゃ、瘴毒のもとは、怪物蛸の体液らしいし。

 もしかしたら、効くんじゃないかと思って。

 まあ、ダメもと、ってやつだよ。」


ああ、あった、とソウビは小さく叫んだ。

しばらくふたりはその辺りを探して、両手いっぱいの山葵を採って帰った。


山から戻ったソウビは、採ってきた山葵をごりごりとすり潰して、なにやら拵え始めた。

社中に漂う山葵の香りに、京も枯野も涙が止まらなくなった。


「ソウビさ・・・それは、いったい、なにを・・・」


鼻をつまんだまま尋ねる枯野に、ソウビは、上機嫌で答えた。


「ああ。丸薬だよ。

 お前さんに呑ませるためのね。」


枯野は一歩後退った。


「っこ、これ・・・俺が飲むんですか?」


「そうだよ。

 お前さんは、海のなかでも息ができるだろ?

 それって、便利なんだけど、その代わり、瘴毒もからだのなかに取り入れてしまうんだ。

 だからせめて、体内の毒だけでも、薄められるようにね。

 前もって、毒消しを飲ませておこうと思ってさ。

 この成分が、お前さんの全身に十分な濃度で行き渡るようにするには、と・・・」


ソウビは練り上げた山葵を、人の頭ほどの大きさに固めた。

流石の枯野も、それには青ざめた。


「い、いくら俺でも、流石にそれは・・・」


「分かってるよ。

 いちいち煩い仔狐だ。」


ソウビが印を口元にあてて呪を唱えると、山葵の塊は、小さく小さくなっていった。


「こんなもんかな?」


そう言ってソウビが差し出したのは、爪の先ほどの大きさの丸薬だった。


「次、行く前に、これを飲んでもらおう。

 もっとも、どの程度効果があるかは、行ってみないと分からないのだけれど。」


「効果が、分からないんですか?」


枯野は恐る恐る丸薬を摘まみ上げながら、不安そうに顔をしかめた。

ソウビはにやりと人の悪い笑みを浮かべた。


「別に害はないんだし。

 役に立てば儲けものじゃないか。」


「本当に害はないんでしょうね?」


「・・・多分ね。」


即答しなかったソウビに、枯野はますます不安そうな顔になった。

ソウビは枯野の手から丸薬を取り上げると、懐紙に包んで、はい、とにっこり手渡した。

枯野は、とりあえず受け取って、懐にしまっておいた。


丸薬を作ってしまったソウビは、今度は山の上で描いてきた図面を開いて、なにやら書き始めた。

図面に丁寧に定規を当てて線を引き、その脇に細かい数字を書いている。

京と枯野は邪魔をしないように、ソウビをそっとしておいた。


しばらくしてソウビの呼ぶ声に、枯野と京が行くと、ソウビは床一面に紙を散らかしていた。

紙にはどれもびっしりと、数字やら図やらが書いてある。

京が適当にそれを重ねようとすると、ソウビに、こらこらと止められた。


「ちょいと説明するから、位置を変えるのはその後にしておくれ。

 俺にはどこになにがあるか、全部分かってるから。」


仕方なく、座る場所のない床に、なんとか紙を踏まないように座ると、ソウビは、さて、と切り出した。


「ここの海人たちの言い伝えにさ、枯野の木の話しがあったろう?

 舟や琴にされる前の。大きな木の話しさね。」


「ええと・・・

 朝日が当たると影が島に届き、夕日が当たると影が山に届く、ってやつっすか?」


「それそれ。

 で、さ、ふと、その木はどこに生えていたんだろう、って思ってね。」


京が目を丸くした。


「いや、本当に生えていた木かどうかは・・・

 言い伝えって、そういうもんじゃないっすか?」


「けどさ、まったく意味のないことなら、わざわざ、そんなもん、伝えたりしないだろう?」


ソウビは鳥の目で見た景色を写し取った絵図を開いて見せた。


「島の港から日の出る方角を見ると、お日様は、ちょうど、ここの裏山の方から上がるんだよね。

 日の出の位置は、季節によって変わるんだけど、冬はこの辺り、夏はこの辺りだ。」


筆の尻で絵図に線を引いてみせながら、ソウビは説明した。


「けど、実はこの山は、小さな浜を挟むだけで、結構、海に近いんだよね。」


「まあ、そうっすね。」


「影を長く伸ばすには、陽射しはなるべく低くから当たらないといけないだろ?

 山にあまりにも近いところに生えていたら、木には高く上った陽射ししか当たらない。

 影が朝は島に夕は山に届く、を実現しようとすると、木は、この辺に生えてないといけないんだ。」


筆の尻を使って、ソウビは地図のなかにすっと線を引いた。

え?と京は首を傾げた。


「そこって、海の上っすよ?」


「だよね?もちろん、こんな場所に、大木なんて生えているわけない。

 だけど、わざわざこの場所を示しておいたのには、なにか理由があるはずだ。」


「封印の場所、ですか。」


枯野の台詞に、ソウビは大きく頷いた。


「幽霊殿の思考回路は、俺とちょっと似てるかもしれない。

 使鬼は倒すことはできずに、封じるしかなかった。

 その場所を大王に知られれば、大王はまた使鬼を復活させようとするだろう。

 けど、なんとかして、仲間にはその場所を報せようとした。

 いつか、使鬼を完全に滅ぼすためにね。

 だから、あんな伝説を作った。」

 

「いつか、ソウビさ・・・みたいな妖狐が、謎を解いてくれるだろうと信じたんですね?」


枯野に言われて、ソウビは、ふふん、と嬉しそうに肩を竦めた。


「ご神木を焼いて舟を作り、その舟さえも焼いて琴にした。

 彼らはその琴を枯野と呼んだ。

 これはユラの海人族に本当にあったことだろう。

 枯野、というのは、枯れた野原だけじゃなくて、その下にある次の命までも意味する。

 大王に虐げられ、ばらばらになった海人族たちの、それは、再興への志かもしれない。

 だけど、彼らは、あえて、枯野、を選んだ。

 枯野、とは陸の風景だ。海じゃない。

 それは陸に棲むこともまた受け容れたということだ。

 幽霊殿は、そんな海人族を、徹底的に滅ぼそうとやってくる輩から、護ろうとしたんだ。」


何故、大王は、そうまでして、旧い民を滅ぼそうとするのか。

海人族も、妖狐たちも、ずっと昔からこの地に棲まう、旧き一族だ。

後から来た者らに一方的に向けられる敵意に、靡き従いつつも、一族の絆と誇りだけは失うまい。

それだけを守ってきた者らだ。

ただ、平穏に暮らしているだけなのに。

どうして、敵意をむけられるのだろう。


けれど、それは、大王が旧い者たちにむけるものだけではないかもしれない。

毛色の違う枯野は、同族たちにも爪弾きにされていた。

ずっとずっと、郷を飛び出したいと願いつつ生きていた。

少しでも自分とは違う者に、理由もなく敵意を持つ。

その深い業は、この世のありとあらゆる場所で、人を苦しめ続けるのかもしれない。


「共に暮らしていくのに、この世界はじゅうぶんに広いと思うのですけれど。」


枯野はどこか淋し気に微笑んだ。

ソウビは悔し気に唇を噛み、京はしょんぼりと下をむいた。


「で、その日の出なんだけどね。」


沈んだ気持ちを奮い立たせるようにソウビは言った。


「ちょうどこの山のてっぺんから日の出る日は、年に二回だけある。

 それは、春分と秋分の日だ。

 つまり、山のてっぺんと島の港、両方に木の影が届くには・・・

 木の位置はここだ。」


ソウビは地図のなかの一点に、墨で黒々と丸を描いた。


「この位置に、仮に大木が生えていたとして。

 春分、秋分の頃に、その影が、島と山に届くには、木の高さは・・・

 ああ、これだ。」


その辺に散らかした紙から一枚を取り上げて、ソウビはふたりに見せた。


「めちゃめちゃ、高いっすね。」

「そんな木、海の上にあったら、さぞかし目立ちますね。」


「海の上にあったら、ね?」


ソウビは悪戯を考える子どものような目になった。


「と、木の高さまで、計算で出せるとなると、この数字、使いたくなるもんだろ?」


「え?そうっすか?」


「使いたくなるんだよ!」


「・・・はあ・・・」


ソウビは木の高さを出した紙をくるっと下向きにひっくり返してみせた。


「となると、これは、深さだ。封印の。」


ほう、と、ふたりは同時に唸っていた。





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