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一晩ぐっすりと眠った枯野とソウビは、翌朝にはすっきりと目覚めていた。
京は、ふたりが一度起きてから、もう一度眠った後に戻って、そのまま一晩、寝ずに看病していた。
もっとも、ふたりとも、すやすやとよく眠っていたから、取り立てて何をしたわけでもなかったけれど。
一晩中気をもみ続けた京は、目を覚ましたふたりを見て、ほっとしたように言った。
「帰ってきたら、おふたりとも、狐んなって寝てるじゃないっすか。
そりゃあもう、びっくりしましたよ。
ちゃんと起きてくれて、本当、よかった。」
寝起きで不機嫌なソウビは、ぼりぼりとあちこちを掻きながらぶっきらぼうに返事した。
「悪かったな。
そのほうがずっと休めるんだよ。」
「俺たちにとって、狐になって休めるというのは、よほど安心しているときだけなんだ。
京殿が看病をしていてくれたから、安心して眠れたんだよ。」
ソウビの台詞に、枯野はにっこり笑って追加する。
その枯野を、京はまじまじと見つめた。
「前から、そうじゃないかな、ってちょっと思ってたんっすけどね?
枯野のアニキって・・・」
「?」
「人たらしっすね!」
「は!違えねえ。」
くくくっと肩をゆすってソウビは笑い出した。
それでソウビもすっきり目覚めたようだった。
「さてと。
たっぷり寝た後は、飯だな。」
ソウビはうーんと伸びをすると、首をコキコキ鳴らした。
「この辺だと、どこで調達すっかねえ?
久しぶりに、狩りでもするか?」
楽しそうに枯野を誘うのを京が引き止めた。
「ああ、それなら、もうすぐ、皆が持ってきてくれますよ。」
少しばかり狩に心惹かれていたソウビは、つまらなさそうに京を見た。
「そういつもいつも世話になるのも、心苦しいんだけどね?」
「なにをおっしゃいますか。
おふたりは皆の病も治してくれたじゃないっすか。
大事なお狐様のお食事くらい、準備しますとも。」
京は本心からふたりをもてなしたいと思っているらしかった。
「けど、魚も獲れないのじゃ、村の人たちだって、大変だろう?」
枯野は心配そうに京に尋ねた。
それに京は元気よく首を振った。
「遠くまで行けば、魚もいますよ。
昨日、皆、お狐様たちのため、って言って、遠くまで漁に行ってくれたんです。
今朝、帰ってきましたけど、なかなかの大漁っすよ。
おかげで、村の皆も、しばらくは困りません。」
魚、と聞いて、ソウビは舌なめずりをした。
「そんなら遠慮なく、ご馳走になるとすっか?」
「そう言ってくれなくちゃね。」
京はにこにこと食膳の支度を始めた。
「昨日、いったん帰って、いろいろ道具、取ってきたんっすよ。
ここの社には、普段、人は住んでませんから、茶碗も箸もありませんからね。」
「それは、ひとつひとつお気遣い頂いて・・・」
申し訳なさそうにする枯野に、京はにこっと笑って首を振る。
「そういう他人行儀なこと言うのは、なしっすよ、アニキ。」
何気なく言ったその一言に、いちいちひっかかるのはソウビだ。
「なんかずるいぞ。
枯野だけアニキ呼ばわりなんて。」
「ああ、はいはい。
おお兄ちゃんも、食事の支度、手伝ってくださいねえ。」
途端に、ソウビは機嫌がよくなって、ほいほいと動き出した。
枯野は、京のほうがよほど人たらしなのではないかと思ったけれど、とりあえず、黙っておいた。
ほどなくして、村の海人たちが食事を運んできてくれた。
煮た魚、焼いた魚はもちろん、舟盛りにした刺身に、山のように積み上げた稲荷寿司。
ずらりと並べられたご馳走に、枯野もソウビも正気を保つのに苦労した。
「これ、全部、喰っていいのか?」
「・・・こんなご馳走・・・う。涙が・・・」
「泣いてる場合じゃねえぞ、枯野。
俺は、たとえお前さんでも、食い物の前じゃ容赦しねえからな。」
「望むところです。
お互い、手加減はなしでいきましょう。」
ふたりは一度だけ目を合わせると、ご馳走の山に襲い掛かった。
ふたりのお狐様の食べっぷりは、それはもう物凄くて、後々まで語り継がれることとなった・・・
睡眠と栄養をたっぷりとって、枯野もソウビもすっかり元気になった。
そこで、さて、これからどうしたものかという話しになる。
海の底で見て来たことを、枯野はソウビに報告した。
「大きな岩だとばかり思っていたら、それがどうやら使鬼にされた蛸だったんです。」
「そんなに、でけえのか?」
「小さな島くらい、あると思います。」
っひょえ~、とソウビは天井を仰いだ。
「そんなの、郷の奴ら総動員して戦っても、勝ち目はあるかどうかじゃないのか?
ましてや、相手は蛸なんだろ?狐は水の中じゃ圧倒的に不利だ。」
「俺ひとり、じゃ、流石に、無理かなあ・・・」
「おいらたちも行きますよ。
海人族は、海ん中でも戦えます!」
「あの瘴毒じゃ、人間にゃ、無理だよ。」
ソウビは腕組みをしてため息を吐いた。
それに枯野は言った。
「その瘴毒なんですけど。
その蛸には銛が一本突き立っていて、札のようなものが、その銛で縫い留められてて。
その傷口から、瘴毒は溢れ出してるんです。」
札、というところにソウビは食いついた。
「札だと?
何の札だ?」
「・・・それが、俺にもよく・・・
見たことのない文様のような・・・いやでも、俺の知らない妖術なんて、山のようにありそうだし・・・」
ソウビは思い切り舌打ちをすると、懐から何枚か紙を取り出した。
「このなかのどれかに、似たやつはあるか?」
枯野は、ソウビの札を一枚一枚丁寧に確かめてから、首を振った。
「いいえ。このなかには、ありません。」
「・・・そうか。
じゃあ、それは、禁裏の術師のものかもしれんな。」
「禁裏の術師?」
「使鬼を送らせたのは、大王だって言うじゃないか。
だったら、大王直属の術師しか知らない、変わった術かもしれねえ。」
「大王直属の術師、か・・・」
枯野はしばらく考えてから、懐から小さな笛を取り出した。
「なら、俺に、調べるあてがあります。」
「それは?」
ソウビは枯野の取り出した笛を胡散臭そうに見て言った。
「俺を攫った異国の妖怪を呼び出せる笛です。」
「ああ、異国の化け猫だっけか?」
ソウビはますます嫌そうな顔をしたが、枯野はけろりとして頷いた。
「はい。
彼は、とても顔が広い。
大臣とも知り合いだったくらいですから。
禁裏の術師に知り合いもいるかもしれません。」
「そいつに言っとけ。
今度俺の相棒に用があるときゃ、きっちり郷を通しなってね。」
ソウビは渋い顔をして言うと、京のほうをむいて続けた。
「なら、そっちはいったん枯野に任せておくとして。
京、俺は、この社の裏山に上ってみたいのだけどね。
案内してもらえないかな?」
「ここの裏山に、っすか?」
首を傾げる京に、そうそう、とソウビは頷いた。
「そんな高い山でもないし。
取柄といえば、海の見晴らしくらいかなあ。
他にはなんもないとこっすよ?」
「なにもないかどうかは、俺が調べてから言うよ。」
「なにを調べるんです?」
「・・・それは、まあ、調べてからのお楽しみだ。
まだ仮説の段階で、言っても仕方ない。
間違っているかもしれないからね。」
はあ、と曖昧に頷く京に、ちらりと笑ってから、ソウビは、もう一度、枯野のほうを見た。
「ところで、それは、なんだい?」
ソウビが顎で示したのは、枯野が笛と一緒に取り出した小さな包みだった。
「ああ。
これは、伯母たちから預かったんです。
海の底を流されてきた落とし物だ、って。
これ、狐結びに似ていると思いませんか?」
枯野の差し出した風呂敷包みを、ソウビも物珍しそうに確かめた。
「確かに。
しかし、こりゃあまた、ずいぶん、旧い結び方だね。
こんな面倒な結び方、うちのじじいくらいしか、もうやらないだろう。
厳重に包んであるから、中身の気配すら、感じ取れねえな。」
「なにか大事なものを包んであるのかもしれませんね。
伯母たちも、中を開けて見ることはできなかった、って。
俺にはもちろん、この結びを解くなんて、できっこありませんけど。」
「竜宮から持って帰ったものってのは、開けてみないほうがいいと相場は決まってるんだけど。」
ソウビは包みをひっくり返しながらあちこち確かめてから、そのまま枯野に返した。
「こいつは、俺にも解けねえな。
無理矢理破って、中の大事なもんってのを、壊しても困るしな。
郷に持って帰って、うちのじじいに頼んで開けてみるかな。」
そんなふたりのやりとりを、傍らで見ていた京は、ちょっと待ってください、と割り込んだ。
「その風呂敷包みって、妖狐族のものなんっすか?」
「さあ。確証はないけど。
ただ、この布の織り方は、郷の織物に似ているし、結んである術も、郷のものに似ているんだ。」
枯野は京の手に包みを渡してやりながら言った。
京は手のひらに乗るほどの包みをじぃっと見つめてから、恐る恐る枯野を見上げた。
「これ、もしかして、山吹さんの落とし物じゃないっすかね?」
「ああ、海の底の幽霊狐か。」
ソウビも、ぽんと膝を叩いた。
けれど、すぐに疑わしそうに眉を顰めた。
「しかし、ここで落としたものが、そんな遠くまで流されていくなんてこと、あるもんかね?」
「ないこともないと思います。
海はずっと、繋がってますから。」
「潮は、ずっとずっと遠くへ続く川、みたいなもんっすからね。」
枯野と京とは同時に言っていた。
「・・・そっか。なら持って行ってみるか。
っても、この瘴毒のなか、行くのも一苦労だな。
京は、付喪神に案内してもらって、そこへ行ったんだろ?」
「もっぺん行けって言われれば、おいら、行きます!」
手を上げる京に、ソウビは頑なに首を振った。
「そいつは、ダメだ。
瘴毒もあのころよりずっと濃くなっているしな。
人間の京には耐えられんだろう。
案内させようにも、小さな付喪神も、ひとたまりもないだろうな。
それに、そこは、こことは時間の流れがずれているからな。
ほいほい行って、またひと月帰ってこないんじゃ、事態はますます悪化する。」
だから行くなよ、とソウビは京に釘を刺した。
「行くとしたら枯野だろう。
問題は、その場所が京にしか分からんことか。」
「京殿は、琴の音を頼りに行ったのでしたか。
そういえば、俺も、海の底で、その音を聞いた気がします。
夢と現の狭間のことで、しっかりとは覚えてないんですけど・・・
琴の音がすると、使鬼が大人しくなっていました。
そのお陰で、命拾いしたのかもしれません。」
「そいつは、お前さんのじいさまだからな。
応援してくれたのかもな。
もっとも、お前さんの危機を感じ取ったかどうかは謎だ。
なにせ、時間の流れが、そことこことはかなりずれているからな。」
ソウビはもう一度、むぅ、と唸った。
けれどその腕組みを解くと、ひょいと軽く腰を上げた。
「ここで唸ってても仕方ねえな。
とにもかくにも、まずはできることから動くとしようや。」
ソウビはそう言うと、京と共に、裏山へと出かけて行った。




