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村はひっそりと静まり返っていた。
枯野は恐る恐る、入口に近い一軒の家の戸を叩いてみた。
「あの。朝からすみません。
ちょっとお尋ねしたくて・・・」
恐る恐る戸を開いたのは、若い女だった。
「あ。すみません。
あの、この村に京という人は・・・」
枯野は家のなかから漂う臭いに顔をしかめた。
それは、濃い瘴毒の臭いだった。
「京さんの家なら・・・」
女は言葉少なに京の家を教えると、すっと家のなかに戻っていった。
枯野は教えられた通りに京の家にむかった。
途中、通り過ぎた家の何軒かからも、やはり、同じ瘴毒の臭いが漂っていた。
ようやく辿り着いた京の家からも、きつい、瘴毒の臭いがしていた。
「ごめんください、あの、こちらに京殿という方はいらっしゃいませんか。」
戸口で声をかけると、老婆がひとり現れた。
「失礼ですが、お前様は・・・?」
「枯野と申します。」
「・・・お生憎様だが、枯野様・・・京は今、病に伏せっておりまして・・・」
断ろうとした老婆の後ろから、ひょいと顔を出したのはソウビだった。
「枯野?」
「ああ、ソウビさ・・・どうも、ご無沙汰してます。」
「ご無沙汰じゃねえだろなに普通の挨拶してんだてめえいいからとにかく早く中へ入りやがれ。」
「・・・???」
早口で一息に言われて、枯野はきょとんと首を傾げる。
いらいらしたようにソウビは枯野に近づくと、その腕をぐいと掴んで引っ張った。
「悪い、ばあさん。ちょいと通しておくれ。」
「あ。ああ・・・はいはい。お狐様のお知り合いとあれば、ええ、はい、どうぞ・・・」
老婆は慌てて道を開ける。
「お狐様?」
首を傾げた枯野を、ソウビは怒ったようにぐいぐいと引っ張った。
「そんなことはいい。
それより、お前、どこに行っていやがったんだ。
どれだけ心配したか・・・」
「すいません。その、いろいろあって・・・
それより、この臭い、京殿は・・・?」
「伏せっている。瘴疫だ。
今、郷に解毒のできるやつを送ってもらえるよう頼んだところだ。
おい、京!喜べ!
枯野が帰ってきたぞ!!」
奥の部屋の襖に手をかけながら、ソウビは大きな声でそう言った。
部屋のなかで、え?と聞きなれた声のするのが聞こえた。
ソウビががらりと襖を開けると、床の上に起き上がろうとしている京の姿があった。
枯野は慌ててその京の傍に駆け寄ると、ゆっくりと床に押し戻した。
「京殿、無理をしてはいけない。」
「枯野のアニキ・・・おいら、心配したんっすよ?」
熱で浮かされた京の瞳から、涙がぽろぽろと零れ落ちた。
枯野は思わずもらい泣きしそうになった。
「心配かけてすまなかった。
それより、その熱、苦しいだろう。
今、楽にしてやる。」
静かにそう告げた枯野に、京は目をむいた。
「は?
あ、あの・・・楽にしてやる、って・・・?」
「ああ。怖がらなくていい。
痛くも苦しくもしないから。」
「は?
いや、ちょっ、お、俺、まだ、死にたくは・・・」
慌ててきかないからだで逃げ出そうとした京を、枯野はがっしりと捕まえた。
「怖くはない。すぐに済む。」
そう言うと、そっと自分の額を京の額に押し当てた。
「痛いの痛いの飛んでいけ~。」
深みのある声で、歌うように、優しく囁く。
ふわり、と枯野の全身が淡く金色に光る。
やわらかな風が、枯野と京の周囲を回って、そのまま吹き過ぎて行った。
「え?
あ。え?
あ、あれ?」
枯野がゆっくりと京から離れると、京はきょとんとした目をしてその枯野を見つめた。
「嘘だ・・・
治ってる。」
「今日はたくさん水を飲んで、一日ゆっくり休むといい。」
枯野は驚いている京ににっこりと笑ってみせた。
「お前さん、楽にしてやる、なんていきなり言うから、京が驚いたんだろ。」
後ろで様子を見守っていたソウビは、枯野にむかって言った。
「そいつは、敵にとどめをさすときに使う台詞だ。」
「ああ。それはすまない。
驚かして悪かった、京殿。」
枯野は慌てて京に謝った。
「・・・しかし、お前さん、その浄化の術はなかなかに強力なんじゃないか?
この俺様にも、この瘴毒は手に負えなかったってのに。」
ソウビは枯野の前に回り込んでその目をじっと見た。
「それ、妖力はどのくらい使う?
この村にゃ、あと三十人くらい、同じ瘴疫で苦しんでるやつがいるんだが。」
「・・・三十人、ですか・・・
うーん・・・」
枯野は首を捻って考えた。
「まあ、いけるところまで、やってみます。」
「なら、ダメだな。
全員いけそうなら、お前さんなら、そう言うだろ。
浄化ってのは妖力をけっこう使うからな。
お前さんは妖力の配分が下手くそだし。
やっぱ、せいぜい、一日にひとりかそこらがせいぜいか。」
「とりあえず、俺自身も浄化したんで、今日のところは、あとひとり、ってところでしょうか。」
枯野は正直に言った。
「一日に三人。
てことは、全員浄化するには、十日かかるってことか。
それは、病人の体力がもたねえな。」
「けど、郷の救援を頼んでも、そのくらいはかかるんじゃないですか?
なら、少しずつでも、俺が・・・」
むぅ、とソウビは唸った。
枯野の言うことはもっともだ。
しかし、無理をして妖力を枯渇させれば、枯野の命にも関わってしまう。
「いや、やっぱ、だめだ。」
そのときだった。
枕許に置いてあった風呂敷包みが明るい光を放つ。
姿を現した付喪神に、枯野は、なんと、と目を丸くした。
「ツクモ殿は、セイレーン族だったのか。」
「・・・ワタシハセイレンジャナイ。
コノスガタハサイショノワタシノモチヌシツマリアナタノハハノモノ。」
付喪神は早口で言った。
その言葉を、枯野はなぜか、聞き取っていた。
「あれ?
どうしてツクモ殿の言っていることが分かるんだろう・・・?」
「アナタノナカノセイレンノチガメザメタ。
ダカラアナタハワタシトハナスコトガデキル。」
「なるほど。」
「ワタシヲツカイナサイ。
サッキノジュモンヲワタシノオトニノセテウタエバイッペンニオオゼイニトドク。」
「え?
あ、いや、さきのは呪文ではなくて・・・」
枯野はややきまり悪そうに視線をそらせた。
「父が昔、俺の怪我を治したりするときにいつも言ってたやつで。
ついうっかり、昔の癖が出たっていうか・・・
術自体には、呪文は必要ないんですけど・・・」
「まあ、いいんじゃねえか?
なんかないと、琴の音に力、乗せにくいだろうし。」
ソウビはにやりと笑った。
「よし。じゃあ、その、痛いの痛いの飛んでいけ、歌にして、村のやつらに聞かせるぞ。」
枯野は慌てて首を振った。
「え?けど、俺の歌は、人間の精神を惑わせるから、歌ってはいけないと・・・」
けれど、ソウビは自信たっぷりに笑ってみせた。
「大丈夫だ。
惑わせるなら、俺の幻術だって、似たようなもんだ。
その辺は、俺のほうが心得てる。
悪いようにはしねえから、お前さんは黙って歌え。
あ、黙って歌え、ってのも、なんか変だな。」
ソウビはくすくす笑って自分よりずっと大きい枯野の肩をがっしりと抱いた。
「相棒。久しぶりに、俺たちのお役目だ。」
枯野はソウビを見下ろして、分かりました、と笑顔になった。




