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なずの木の森のちょうど真ん中辺りで、青白い火はふわりふわりと止まった。
「この下にいるってかい?」
ソウビは恐る恐る、舟の縁から、海の底を覗き込んだ。
海のなかには、ざわざわと揺れるなずの森がどこまでも続いているようだ。
底などもちろん、見通せない。
すぐに、海人たちは、何人か、海中へと飛び込んだ。
舟に残った者らも、固唾を呑んで、その様子を見守る。
やがて、息の限界を迎えて、次々と海人たちは戻ってくる。
しかし、そのどの顔にも、期待したような表情は見えなかった。
「ちっ。海のなかじゃあ、俺にもどうしようもねえ。」
ソウビは舌打ちをした。
「せめて、枯野がいれば、なあ・・・」
泳ぎの得意な枯野ならば、もしかしたら、なにかできたかもしれない。
もっとも、海人族は、枯野の何倍も泳ぎは上手いだろう。
その海人族に見つからないものなら、枯野にも難しいかもしれない。
くそっ、とソウビは腹立たし気に自分の膝を叩いた。
そのときだった。
ふわり、ふわり、と海中を漂う影がある。
影はみるみる間に近づいてくると、ソウビの乗った舟の縁に手をかけた。
「おや?ソウビのダンナ?
こりゃまた、珍しい所でお会いしますねえ?
舟はお嫌いだったのでは?」
ひょいと顔を出した相手を、ソウビはきょとんとなって見つめた。
目が合って、しばらくふたりとも、そのまま見つめ合っていた。
それから、ソウビはおもむろに、大きな手のひらをぐいと伸ばした。
その手で相手の頭を掴むと、いきなり海に突っ込んだ。
「うへっ、ぐへっ。
いきなりなにをするんですかい?
水、飲んでしまったっすよ?」
盛大な抗議が返ってくる。
ソウビは、ぐい、と口をへの字に曲げて、その顔を睨みつけた。
「おい、お前さん、帰りが遅いじゃないか。
黙って出て行ったかと思ったら、どこをふらふら、ほっつき歩いていたんだい。
どれだけ心配したと思ってるんだ。」
「は?
いや、海っすから、ほっつき歩きはしませんけど・・・
ってててて、すんません、減らず口っす・・・
けど、そんなに遅かったっすか?
おいら、せいぜい、一刻ほどかと・・・」
途中、ソウビの大きな手で頭を掴まれてぐりぐりされて、涙目になっている。
ソウビは、帰りの遅い子どもを叱る母親のように、上から睨みつけた。
「お前さんの一刻とは、ひと月のことかい?」
「はあ?ひと月?
いやいやいや・・・
って・・・なんか、みんな揃って、ものものしい雰囲気っすね?」
京は周囲の船団に今頃気づいて、きょろきょろと見回した。
「え?なんで?」
「この、愚か者めっ!」
ソウビはもう一度そう言うと、京の頭を掴んで海に沈めた。
その目尻に小さな玉のような涙が光っていた。




