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京もまったくの無策で飛び出したわけではなかった。
舟が沖に出ると、大事に持ってきた風呂敷包みを開いた。
中には枯野から預かっている琴が入っていた。
京は琴にむかって、ツクモちゃん、と呼びかけた。
すると、琴は七色の光を放って、光のなかに、小さな人魚が姿を現した。
琴の付喪神は、甲高い声で京に言った。
「ワラワニナニカヨウカ。」
使っているのは旧い海人族の言葉だが、恐ろしく早口だ。
京にもようやく聞き取れるくらいだった。
「実は、ツクモちゃんにお力を貸してほしいことがあって。」
京は、海の底から聞こえる不思議な琴の音の話しをした。
話しを聞いた付喪神は、ふむ、と頷いた。
「タシカニウミノソコオクフカクカラコトノケハイガスル。」
「へえ、もう分かるんっすか。」
京が感心したように言うと、付喪神は得意気な表情になった。
「ワラワハドウゾクユエヨクワカルノヨ。」
「おいらをその琴のところに連れて行ってもらえませんか?」
京がそう言うと、付喪神は少し迷うような顔をした。
「コトノアルノハダイブウミノソコフカク。
ハタシテニンゲンノイキガツヅクカドウカ・・・」
「おいら、息の長さと潜りの速さには自信、あるっす。
どうか連れて行ってもらえませんか?」
熱心に頼み込むと、付喪神はすぐに頷いた。
「ワカッタ。
ワラワノコトヲモッテツイテマイレ。」
「念のため、尋ねますけど・・・
この琴、水に漬けても大丈夫っすかね?」
そう言った京に、付喪神は、鼻で笑った。
「ワラワハセイレーンノヒメギミガソノムネニダイテウタワレタコトゾ。
ミズニツケテダイジョウブカトウナドオカドチガイモイイトコロ。」
「そいつは、どうも、失礼致しました。
んじゃ、行くとしますかね。」
京は琴を風呂敷に包み直すと、しっかりと自分の背中に括りつけた。
「じゃあ、よろしくお願いしますよ。」
付喪神はにこっとして頷くと、すぐさま海へと飛び込んだ。
少しの迷いもなく、付喪神はなずの木の森のなかを突き進んでいく。
小柄な人魚は、巨大な海藻の間も、すい、すい、と軽くすり抜ける。
京は、海藻に行く手を遮られたり手足に絡みつかれたり四苦八苦しながらもなんとかついて行く。
しばらく行くと、海の底深くから、あの不思議な琴の音が聞こえてきた。
海のなかなのに、京は、あっ、と叫びそうになって、あわてて口をおさえた。
付喪神は、躊躇いもなく、ぐいぐい潜っていく。
深く潜れば潜るほど、光も届かなくなって、薄暗くなっていく。
付喪神がついていなければ、京も躊躇うほどの深さだ。
ずいぶん深く潜ったけれど、琴の音は最初に聞こえたところと同じくらい微かだった。
流石の京も、そろそろ息が続かなくなってくる。
けれど、あと、少し。もう、少し・・・
あとひと掻き、これで最後だ。
これ以上はもう、息がもたない。
そう思ったときだった。
目の前に、ぽっかりと、大きな洞窟が口を開いていた。
もしも、このむこうがわに空気がなければ、命の保証はない。
それでも、京は寸分の迷いもなく、洞窟の入口へと入っていった。




