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枯野と琴  作者: 村野夜市
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枯野はまた手柄を上げたそうだ。

なかなか大した賞金首だったそうな。

ろくな妖力も持たぬのに、ようもまあ、大物ばかり次々と。

あやつの目的は金よ。金を多く稼ぎたいのよ。

なんでも、花街の娼妓に入れあげているそうな。


どこの世界にも口さがない連中というのはいるものだ。

奴らも妖狐の端くれなら、陰口が聞こえていることくらい気づきそうなものを。

否。

わざと聞こえるように言っているのか。


ほとんど表情を表さない枯野の口元が、わずかに皮肉に歪む。


白ければ白いほど強い妖力を持つという、白妖狐。

ここはそんな妖狐たちの棲まう郷。

全身、枯草色をした枯野は、ここでは酷く軽んじられる存在だった。


郷の居心地は文句なしに悪い。

白くない枯野に白妖狐の郷にいる資格はないなどと、聞えよがしに言うものまでいる。

そんなこと、言われなくても分かっている。

できることなら、こんなところさっさと見切りをつけて出ていきたい。

なのに、枯野がそうしないのは。

ひとえに、金を稼ぐためだ。


その道において、名の知れたこの郷にいれば、黙っていてもお役目は来る。

他の者の嫌がるような無理難題も、枯野はすすんで請けた。

そもそも、皆の取り合うような、いわゆる、いいお役目など、枯野には回ってこない。

皆の厭うお役目を率先して請けてこそ、人一倍、稼ぐこともできるのだ。


生みの母は、妖狐ではなく、人だった。

琴の名手だったと聞いている。

父は、母の琴の音に惹かれて通い、そうして枯野は生まれた。

人の姿に化けた妖狐が、人と情を交わすのは、そう珍しいことではない。

けれど、その間に仔のできるのは、ひどく珍しいことであった。


母の琴の音を、枯野は知らない。

母は、枯野を産み落としてすぐに、この世を去ったからだ。

父は枯野を郷に連れ帰り、妖狐の仔として育ててくれた。

しかし、枯野の出自は、あっという間に郷じゅうに知れ渡った。

白妖狐は、妖狐のなかでも、ことに誇り高い一族だ。

人の血の混じった、白くない枯野など、一族とは認めてもらえなかった。

父もまた、人の女に仔を生ませた恥知らずと罵られた。

道を歩けば、見るのも嫌だと顔を背けられ、郷を出て行けと、さんざんに嫌がらせを受けた。


最終的には、族長がなかに入り、枯野を一族だと宣言してくれた。

族長の宣旨のおかげで、いったんは嫌がらせも下火になった。

けれどもそれは、消えない燠のように、事あるごとに再燃しては、親仔を苦しめ続けた。


枯野は幼いころから、一人前になったら郷を出て行こうと、心に決めていた。

自分さえいなければ、父はこれほどに辛い思いをしなくても済むだろうと思っていた。

若いころの父は、郷でも名高い、有能な妖狐だったという。

父のもとに嫁入りしたいという妖狐も、日々、列をなしていたそうだ。

自分さえいなければ、父にはまた、そんな日々が戻ってくるだろう。

後添えを得て、今度こそ妖狐の仔を成して、家族と共に、穏やかに暮していけるに違いない。


けれど、枯野のその願いは、結局、叶わなかった。

父は、枯野を育てるために、無理に無理を重ねて、あっという間に、母の元へといってしまった。


父のいなくなった郷に、枯野の残る理由はなかった。

枯野はひとりで、郷を抜け出した。


枯野はまだ、危険もろくに察知できないような仔狐だった。

猟師の罠に捕まったときには、自分の命もこれまでかと覚悟した。

どのみち、いなくなったとて、誰の悲しむこともない。

否。

むしろ、自分にとっては、父母の元にいくことができて、幸せなくらいだ。


なのに、あの小娘は、枯野の罠を外そうとした。


余計なことを、と思った。

やめてくれ、とその手に牙を突き立てた。

なのに娘は、痛いのを我慢して、枯野の罠を外してくれた。

そのとき初めて、自分はやっぱり、死にたくなかったのだと気づいた。


それから、娘は、真っ白い握り飯を半分に割って、枯野に差し出した。

娘の身形は、決していいとは言えなかった。

白米を毎日食べられるようなご身分ではないことは、枯野にも分かった。

貴重な米の握り飯を持たされた娘が、楽しい旅の途中でないことも、薄々感付いていた。


握り飯を口にすることを躊躇う枯野に、娘はわざわざ、毒は入ってないと示してみせた。

そんなことは疑っていなかった。

ただ、娘の差し出した半分が、娘の取った半分より、少しだけ大きかったから。

それに気づいて、無遠慮に手を出すことができなかっただけだ。


父の他の誰かに、こんなふうに優しくされたことなどなかった。

だから、枯野はどうしていいか分からなかった。

けれど、うん、おいしい、と言って、振り返った笑顔は、あまりにも眩しかった。

思わずつられて、握り飯を頬張っていた。


枯野にとっても、白米の握り飯はご馳走だった。

父が難しいお役目から戻ったときにだけ食べる、特別なものだった。

握り飯を口にした途端、父との楽しかった思い出が、全部戻ってきた。

優しかった父の笑顔。頭を撫でてくれた温かな掌。

お前は母さんにそっくりなんだよ、と笑った声。

なにより、父の穏やな話し方が、枯野は大好きだった。


一度、口にすると、もう止まらなかった。

もう何日も、まともに食べていなかったのだと、そのときになって気づいた。

握り飯を頬張る枯野に、娘は嬉しそうに笑ってくれた。

その笑顔は目の裏に焼き付いて、忘れようとしても忘れられなくなった。


食べ終わると、娘は、枯野の代わりに、小さな櫛をひとつ、置いて行った。

娘の身形には、あまりにも似合わないその櫛は、きっと大切なものなのだろうと思った。


貴重な握り飯を分けてくれただけでなく、大切な櫛もまた、枯野のために使ってくれた。

そんな娘に、このまま何も返さないわけにはいかない。


枯野は自分にも生きる理由ができたと思った。

未熟な仔狐が、早熟な妖狐となった瞬間だった。


これからは、ありとあらゆる苦難から、俺がこの娘を護っていこう。

そのためには、いったん郷に戻り、妖狐として一人前になろう。


冷たい視線も、意地悪な言葉も、もう枯野の心を煩わせることはなかった。

お役目を果たすことへの恐怖も躊躇も、一足飛びに乗り越えた。


そうして枯野は一人前になった。


生まれつき妖力に恵まれたわけでもない。

極端に身体能力に秀でているわけでもない。

それでも、依頼主の話しをよく聞き、その心に寄り添うように丁寧にお役目を果たしていく。

それが枯野の流儀だ。


不愛想で口数は少ないが、その誠実な心根を知った依頼主は、必ず、枯野に心を開く。

そして、依頼主の信頼には、言葉ではなく、行動で応えていく。


生きて帰る保証のない、危険なお役目もあった。

正邪のぎりぎり紙一重のようなお役目もあった。

自らの魂を削り取るような、過酷なお役目もあった。

けれど、その向こうには、苦難に悩む依頼主の姿があり。

枯野の力で解決したことを、心から喜ぶ人の姿もあった。


あなたにこそ。あなただからこそ。

いつの間にか、そう言って、名指しの依頼も来るようになった。

そのころから、少しずつ、郷の妖狐たちの枯野への態度も変わっていった。

相も変わらず、やっかみのようなことを口にする者も、いるにはいたけれど。

その数は、圧倒的に少なくなっていた。

いつの間にか、枯野は、郷にとってなくてはならない妖狐のひとりになっていた。

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