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ちょっとしたお使いを頼まれて、琴音は外に出ることになった。
いつものように、椿と山茶花はそれについてくる。
見世を出た途端、いきなり、かぁ、かぁ、と数匹のカラスが鳴きながら飛び去った。
「まあ、カラス。」
山茶花がわずかに眉を顰める。
「なんも。気にするほどのこともない。
カラスなど、どこにでもおろう。
さあ、行くぞ。」
椿に促されて行こうとしたその前を、今度は、いきなり黒猫が横切った。
「今、黒猫が横切りましたわ。」
「おおかた、大店の食べ残しでもあさっておったのだろう。
猫など珍しくもない。
それがたまたま黒かったからと言って、なにほどのものぞ。」
椿は、どこか怒ったように言うと、琴音の腕を取って行こうとした。
その矢先に、琴音は、あ、と小さく叫んで、いきなり足を止めた。
「ん?どうした?
・・・鼻緒が切れたのか。」
椿は素早く様子を確かめると、着物に土のつくのも構わずに、そこに膝をついた。
「どれ、わしが挿げ替えてやろう。
このような布切れ、こすれれば、いずれ切れるのも当たり前のこと。
縁起のどうのと、余計な気を回すでないぞ?」
「え?あ・・・はい・・・」
頷く琴音の足を自分の膝の上に乗せて、椿は手早く草履を脱がせた。
「あ。いえ、先生?
そんなこと、先生のお手を煩わせなくても、わたし、自分でやります。」
慌てて引き止めようとした琴音を見上げて、椿はにやりと笑った。
「気にするな。
ぬしの世話は、主殿からいいつかっておる。」
「やってもらえばよろしいと思いますわ。」
隣で山茶花もそう言った。
しかし、幼い童女の膝に足を乗せて、鼻緒を挿げ替えてもらう姿というのは、なかなかに目立つ。
通りすがりの人々にちらちらと見て行かれるのに、琴音は気まずくてずっと下をむいていた。
幸い、椿は手際よく、さくさくと鼻緒を直してくれた。
「ほうれ。なかなかのもんじゃろ?」
直した草履を誇らしげに見せびらかすのに、琴音は笑顔になってお礼を言う。
直してもらったことよりも、早く済んだことにほっとしたというのは、椿には内緒にしておいた。
椿は嬉しそうに、えっへん、とふんぞり返った。
なんだか妙な胸騒ぎを感じながらも、琴音は用を済ませて無事、見世に戻った。
すると、厨でがちゃんと派手な音がした。
「なんじゃ?
誰ぞ、何か壊したか?」
覗いてみると、ウバラが何やら割れたものの欠片を拾い集めているところだった。
「ごめん、なさい。
ウバラ、割った。」
「形あるもの、いつかは壊れるもの。
仕方あるまい。
それで、何を割ったのだ?」
椿は手伝ってやりながら尋ねた。
「枯野の、湯飲み。」
う。と椿が息を詰める。
はぁ、と横を向いて、山茶花がため息を吐いた。
「・・・あの、もしかして、枯野様の身に、なにか・・・」
「みなまで言うな!」
不安そうに言いかけた琴音の台詞を、激しく遮って、椿は仁王立になった。
「縁起だの呪いだの、そんなものは迷信ぞ!」
「なんて、わたしたちのような精霊に言われても、ねえ?」
山茶花は苦笑して琴音を見た。
「枯野、行方不明。
ソウビから、連絡、きた。」
「こ、こら、ウバラ・・・何を、言う・・・」
ぼそりとつぶやいたウバラの声は、琴音の耳にもしっかりと聞こえていた。
「・・・枯野様が、行方、不明・・・?」
呆然とそう繰り返す琴音に、椿は盛大なため息を吐いた。
「我ら使い魔は、いつも主殿とは繋がっておって、その気配を感じ取っておる。
主殿が今どのような状態にあるのか、離れておっても分かるのじゃ。」
観念したように、椿は話し始めた。
「ところが、その主殿の気配が、いきなり、ぷつり、と途切れた。
その後、一度、まったく別の場所にちらりと現れたかと思うたが・・・
またぷつりと途切れて、それ以降、まったく感じ取れぬ。」
「そんな・・・いったいいつから・・・?」
「今朝がたじゃ・・・」
「わたしたちも手を尽くしてあるじ様の気配を探っているのですが、まだ見つかりません。」
山茶花もしょんぼりと首を振った。
「探しに行く、ことはできませんか?」
真剣な目をして訴える琴音に、椿は残念そうに首を振った。
「ぬしならそう言うと思うたから、内緒にしておったのよ。」
「あなたが行ったところで、ただの足手まといにしかなりませんよ。」
言い難いことをきっぱりと言い渡したのは山茶花だった。
「ならば、せめて、先生方だけでも・・・?」
縋るような目をする琴音に、山茶花は、申し訳ありません、と頭を下げた。
「あるじ様たちは、海を目指して行かれました。
しかし、わたしたちは、海風はあまり得意ではないのです。」
「わしらとて、足手まといにしかなれぬのよ。」
椿もため息を吐いた。
「いいか!お前らは、そこから動くんじゃねえ。
これ以上、助けに行かねえといけねえやつが増えたら、困るんだからな。
今はとにかく、自分たちの安全を一番に確保して、そこでじっとしておけ!」
突然、ウバラがすらすらと話し始めたので、その場の全員が驚いた顔になった。
全員の視線を浴びて、ウバラはにっこり微笑んだ。
「って、言って、って。」
「・・・ああ、今のはソウビか。」
「ソウビ様ですのね。」
椿と山茶花は顔を見合わせて呟いた。
「枯野様には、いつもあんなにお世話になっておりますのに・・・
枯野様が困っておられても、わたしたちには、なにもできないのですね・・・」
琴音は下をむいて、悲しそうに呟いた。




