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もしも、この村に、またどうしようもないほどの脅威が訪れたら。
そのときは、菜種油で揚げたネズミを捧げよ。
さすれば、必ず、助けの手が、現れるだろう・・・
村の社に代々伝えられた伝説だ。
年寄りたちが、自慢気に話す、大昔の話。
怪物蛸を退治してくれた、勇敢な狐の神様の話。
この村の子どもたちは、みぃんなそれを聞いて大きくなった。
京もまた、そんな子どものひとりだ。
ソウビと枯野が妖狐族だと知ったとき、それほど抵抗を感じなかった。
それは、狐の神様は味方だと、幼いころから刷り込まれてきたからかもしれない。
とにかく、この村では、狐の神様は、大の人気者。
村でお祝い事のあるときには、必ず、稲荷寿司を作るし。
稲荷神社の鳥居は、わざわざ山から取ってきた、朱丹で毎年塗り替える。
そのくらい、狐の神様は、大事にされ、あてにされていた。
それでも、ネズミの天ぷらを捧げてまで、狐の神様を召喚したのは、初めてのことだ。
そんな伝説などあてになるか、と言う者のほうが多数派となった今。
あえて、その伝説をなぞるのは、なかなかに勇気の要ることでもあった。
まあ、ダメもとで。うまくいったら、もうけもの、で。
へらへらとそう言って反対派を言いくるめ、もとい、宥めすかし、呪法を実行したのは社の三代目。
寝物語に聞かされた勇敢な狐は、本心じゃやっぱり信じてないかも、と思い始めた神主だ。
しかし、そのくらい、村は今、困っていた。
トモノの島は諦めたものの、陸に移り住んでからも、海人たちは、海の幸を獲って暮らしていた。
ところが、昨年から、海で魚がさっぱり獲れなくなったのだ。
こんな事態は、実は、初めてのことではなかった。
前にも、似たようなことはあった。
怪物蛸が、島を襲った、その少し前のことだ。
海の魚を、怪物蛸は、みんな喰い荒らした。
だから、獲れる魚は激減した。
そのときには、海人たちは、異変に気づかなかった。
元々、海の魚というものは、よく獲れるときもあれば、あまり獲れないときもある。
そういうものだと思っていたから、困るは困るけれども、それほど深刻な事態には捉えていなかった。
けれども、その原因は、怪物蛸が辺りの魚を全部、食べてしまったからだった。
海人たちがその事実に気づいたときには、もう事態は、取り返しのつかないほどに深刻化していた。
大きくなり過ぎた怪物に、当時の海人たちは、もはや、なすすべもなかった。
そうして、海人たちは学んだ。
あり得ないほどに海の魚が激減したときには、気をつけろ、と。
怪物の姿を見た者はまだ、現れてはいない。
怪物が封印された場所は、村人には知らされていなかった。
雄狐が、自らの命と引き換えに、怪物を封印した。
それ以上のことを知る者はいなかった。
だから、その封印が、今解けかかっているのか、それとも、まだ無事なのか。
それは分からない。
ただ、このところ、獲れる魚が激減している。
表に表れた事実は、それだけだ。
それでも、海人たちが、もう一度、狐の神様を召喚しようと思うくらいには、深刻な事態だった。
そのときのことを、後になってソウビはこう言った。
「なんか、突然、ものすごーく、惹かれる臭いがしてよ?
思わず、我を忘れて走ってた。
そんでもって、気がついたら、揚げたネズミを、口いっぱいに頬張ってた、ってわけだ。」
揚げたネズミに、それほどの効果があるとは、ソウビ自身も知らなかったらしい。
最近では、郷でも、そのようなものを食べることはまずないからだ。
「けど、なんだろうな、あの、野生を呼び覚まされるような感覚?
あれは、たまんねえな・・・」
白狐の姿で降臨したソウビに、村人は歓喜した。
話し半分、ダメもとで召喚した狐の神様は、立派にちゃんと表れた。
これは、もしかしたら、もしかするかも。
村人全員の期待を、一身に背負って、ソウビは、この件を請けざるを得なくなった。
郷に内緒で依頼を請けるのは、実は、御法度だ。
依頼は、それなりの筋を通して、郷に伝えられるべきだ。
けれども、ソウビはそんなことは気にしない。
じじいに叱られるのなんて、慣れっこだ。
報酬?そんな交渉、知ったことか。
あとでじじいが困ればいい。
そんなわけで、ソウビは、己の一存で、お役目を、いともあっさり、請けてしまった。
いろいろと不便だからと、ソウビはまた人の姿へと変化した。
それを見た村人の歓喜は、ますます盛り上がった。
ソウビの人離れした美しさは、いっそ、神々の次元のものだ。
一目見ただけで、すべての人は、それを納得するのである。
どんどん進んでいく事態に、右往左往したのは、京だった。
え?どゆこと?
え?ちょ、ま・・・
そんなことを言っているうちに、話はどんどん先へ進んでしまった。
それは、けろけろと、話を進めるソウビのせいでもあったけれど。
枯野のダンナ・・・早く帰ってきてください。
おいらにゃ、ソウビのダンナは手に負えません・・・
しくしく泣きつつ、そんなことをこぼす京だった。




