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ソウビと京のふたりは、京の祖父の家を目指して、海沿いの道を歩いていた。
晴れて風もなく、海も穏やかに凪いでいる。
長閑な海辺の風景なのに、ふたりとも、すっかり気落ちした暗い顔をしていた。
枯野は、無事だろうか。
こうしてあの場から離れてきてしまったけれど、やっぱり、あそこで待つべきだったのではないか。
迷う心は、ふたりの足をひどく重くさせた。
琴の付喪神は、枯野を攫ったモノは危険なモノではないと断言したけれど。
油断していたとはいえ、あの枯野を、造作もなく連れ去ることのできるモノだ。
その力の強大さを思うだけでも、不安は消えなかった。
重い足を引きずるようにして進んでいたが、ふと、ソウビは、くんくんと辺りの匂いを嗅ぎ始めた。
「・・・これは・・・なんだ?」
と思うと、いきなりくるりと宙返りして、人の化身を解く。
白銀の狐姿になったソウビは、そのままどこかを目指して、矢のように駆けだした。
はい?と京が聞き返したときには、もう既にソウビの姿はどこかへ消え去っていた。
「えっ?ちょっ?ソウビのダンナ?」
慌てて京も追いかけようとしたが、狐の足には到底追いつかない。
それに、どちらへ行ったかも、もはや、分からなくなっていた。
「え、えーっ・・・」
京はすっかり気落ちしてしまった。
枯野ばかりか、ソウビまで、自分を置いて行ってしまうとは、思いもしなかった。
ひとりぼっちになって、どうしたものかと、しばし、悩む。
しかし、ここまで来たのだから、祖父の家には寄ろうと思って歩き出した。
昼を少し過ぎたころ。
ゆっくり歩いていた京は、ようやく、祖父の家のある村へと辿り着いた。
そこで、おや?と思った。
いつもなら、村人たちは、あちこち、働いているような時間だ。
けれど、何故か、人っ子ひとり、見当たらない。
みんなどこへ行ったんだろう?
不思議に思いながら歩いていると、村の一番奥にある社のほうから、大勢の人の声が聞こえてきた。
祭りの季節でもないのに、おかしいな、と京は思った。
昔、と言っても、京の祖父がまだ子どもだったころ、くらいの昔。
京の部族は、ユラという海に浮かぶ、トモノ島という島で暮らす海人だった。
流れのはやいユラの海は、魚が多くいて、海人たちは、魚や海藻を獲って暮らしていた。
ところが、あるとき、このユラの海に、怪物のような大蛸が現れた。
蛸は辺りの魚を喰いつくし、好き放題に大暴れした。
海人たちの舟もひっくり返されて、蛸に喰われたのか、帰ってこない者もあった。
とうとう、ある嵐の夜、怪物蛸は、トモノ島そのものを襲った。
島に上がった蛸は、ぬめぬめとした吸盤のある大きな足で、集落を押しつぶした。
部族は壊滅的な被害を受け、大勢いた仲間たちも、散り散りバラバラになった。
そんなところへ現れたのが、雄雌、二匹の狐の神様だった。
二匹は、蛸と戦い、海の底へと封印した。
しかし、雌雄の狐のうち、雄の狐のほうは、蛸と共に海の底に沈んでしまった。
残った海人たちは、陸へと移り住み、恩のある狐を神様と崇めて、社に祀ることにした。
村の奥にある社は、その社だ。
社を覗き込んだ京は、全員集まったのかと思うほどの人数に、目を丸くした。
おおお、なんと、神々しい。
立派なお狐様だ。
これでもう、この村も安泰だ。
そんなことを話す声が聞こえてくる。
人々はみな、社殿の奥を見ているらしい。
なかには手を合わせて、涙を流す者まであった。
京は、なんとか目をこらして、大勢の人波のむこうがわを眺めようとした。
そして、そこに見つけたのは、白銀色の狐になった、ソウビの姿だった。




