表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
枯野と琴  作者: 村野夜市
7/124

こんな日くらい、せめて風音の枕元にいて、一晩中、燈明の番をしていたい。

琴音はそう思った。

風音の具合がよくないので、最近では客人の訪れはほとんどなくなっていた。

それなのに、よりによって、こんな日に、だなんて。


聞けば、一見の客だとか。

義理もなければ、馴染みもない。

そんな相手のために、風音をひとりきりになんてしたくなかった。


けれど、もし風音がこれを聞けば、絶対に行けと言うだろう。

折角の好機だ逃してどうすると、叱咤激励するだろう。


しばらく客の途絶えていた見世に、とても有難い客なのは間違いない。


琴音はため息を吐いた。

仕方あるまい。適当にあしらって、早く帰ってもらおう。

わたしは、姐さんの域にはまだまだほど遠いようです。

心のなかで恨み言をつぶやいてから、琴音は、座敷の襖に手をかけた。


すすっ、と開いた襖の向こうは、がらんとだだっぴろいお座敷だった。

見世のなかでも、一番広くていいお座敷だ。

昔なら、大勢の宴会などのときに使われていた部屋だ。

あまり細かいことはよく知らないけれど、部屋代だけでも、かなりいい値だったと思う。

風音の客でもこの部屋を使っていた客はいなかった。

その広い座敷の端にぽつんと、膝をかかえるような格好をして、その人は座っていた。


「ああ、サ・・・琴音さん?

 大丈夫、ですか?」


琴音の姿を見るなり、客人はいきなりそう声をかけた。


こんな広いお座敷で、この人は一体、何をしているんだろう?

琴音がそんなことを考えていた隙に、客人は一瞬で琴音の傍に来ていた。


傍に立つと、客人は見上げるほどの大男だった。

背だけではなくて、からだ全体が、がっちりとして大きい。

幅も奥行きも、琴音の倍はありそうだ。


枯草色の髪は、わさわさと量が多くて、背中に波打つ、というか、絡まりあっている。

一応、束ねてはあるらしいが、まったくまとまっていない。

まるで、焚火をしようとまとめてあった落ち葉の山を、そのまま頭に載せてきたみたいだ。

と思っていたら、ぽろり、とそこから一枚、葉っぱが落ちた。


「ええっ?」

「ええっ?!」


琴音が驚いて葉っぱを見ると、客人はもっと驚いた声を上げた。

それから、あの大きなからだをどう動かしたのか、電光石火の早業で、葉っぱを拾って隠した。

けれど間違いない。あれは確かに葉っぱだった。


よく、狐や狸の類は、頭に葉っぱを載せて人の姿に化けるというけれど・・・

琴音は、まじまじと目の前の大男を見つめる。

残念ながら、か、どうなのか、その姿は、どろんと狐狸の類に変化したりはしなかった。


琴音に不審の目を向けられていることに気づいて、客人は、誤魔化すように、へへへ、と笑った。


笑うと笑顔は存外幼かった。

実は、年も、琴音とそう変わらないかもしれない。

風音の客は遊び慣れた粋の分かる大人ばかりだった。

それに比べると、この客人はまだずいぶんと若いようだ。

ちらりと見えた瞳は綺麗な緑色をしていた。

渡来人の血を引いているのかな、と琴音は思った。


客人は困ったような顔をしながら、いきなり、ぐい、と琴音のほうへ両方の腕を差し出した。


「っこ、これ、あの、風音さんに。

 っそ、それから、その、こっちは、見世のご主人と、琴音さんに。」


片方の手には花束が、そしてもう片方の手には、何やら詰まった袋が握られていた。


竜胆、桔梗、撫子、小菊・・・

どことなく見覚えのあるような花ばかりだ。

このところ冷え込むようになって、野山の花もあまり見なくなっていた。

けれど、どこで摘んだのか、それは一抱えもある立派な花束だった。


袋のほうは、恐る恐る受け取ったら、思わず取り落としそうになるくらい、重たかった。

琴音がふらつくと、客人は慌てたように手を伸ばして、袋を支えてくれた。

ほんの一瞬だけ近づいたそのとき、ふわりとどこか懐かしい、日向くさい匂いがした。

けれど、それはほんの一瞬だけで、客人はあわてたように琴音から距離を取って後退った。


床に置いた袋を開いてみると、白米がずっしりと詰まっていた。


「こんなときに、無理を言って、悪かった、です。

 どうしても、貴女のことが気にかかって、一目でも、顔を見たくて。

 あの、気を落とすな、とか、そういうこと、言われたって、無理だと思うけど。

 どうか、その・・・」


口下手なのか、おろおろと言い募ってから、くそっ、と焦れたようにいきなり拳で自分を殴った。

ごすっ、と傍で聞いても、かなりいい音がした。


「ごめんなさい。

 あの、俺、人のこと慰めたこととか、あんま、なくって。

 けど、辛かったら、泣いたらいい、と思います。

 今、ここ、誰もいませんから、よかったら、その、泣いてください。

 俺、邪魔だったら、出ていきます。」


呆気に取られて客人を見ていた琴音は、思わず、ふふ、と笑みを零していた。

どうやら、この客人は、琴音の事情を知っているらしい。

直接ではなくとも、なにか、伝手のある客なのかもしれない。


「主様は、どなたか、姐さんの御馴染みのお知り合い、とか?」


「は?ぬし?

 いや、俺べつに、沼のぬし、とかじゃないし・・・

 姉さんもいないし、ナジミノシリアイ・・・?」


首を傾げる客人に、琴音は苦笑して言い直した。


「貴方様は、風音姐さんのお客様のお知り合いかなにかでいらっしゃいますか?」


「へ?

 ああ!

 いや。俺は、誰ともお知り合いじゃない、です。

 ここに上ったのも今日、初めてだし。」


「まあ。花街遊びは初めてですか?」


「え?

 あ、ああ・・・

 俺、あんま、遊ぶ柄じゃない、ってか・・・

 遊んでるくらいなら、米買うほうがいい、ってか・・・

 あ!

 いや、こんなこと、花街の人に言ってどうする・・・

 っす、すいません、ブチョウホウモノ、とか言うんですよね、俺みたいなの。」


おたおたする客人に、琴音は気が抜けたように微笑んだ。


このお客人、若いけれど、どこかのぼんくら息子といった風情でもない。

通好みの多かった風音の客とは、完全に一線を画している。

身形は悪くはないけれど、派手ということもない。

しかし、花街遊びをする人間には、あまり、いや、まったく見えない。

なんなら、どこかの大店の手代かなにかをしているほうがよく似合う。

こんな人が、ここへいったい何をしに来たのだろう。


貴女のことが気にかかって。


確か、さっきそんなようなことを言っていたけれど。

しかし、心配されるほどに、親しくなった覚えもない。

というより、間違いなく、今日、初対面だ。

なかなかに目立つ容姿をしているから、一目でも会ったことがあれば覚えていないはずはない。


「ごめんなさい。

 俺、もう、行きます。」


琴音が黙っていると、客人はしょんぼりとそう言って立ち去ろうとした。

それを、思わず琴音は引き止めていた。


「待って!

 あ、あの・・・有難う、ございます・・・」


とっさに口からこぼれたのは、感謝の言葉だった。

けれどそれで、自らの心にも気づいた。

自分はこの見も知らぬ若者の気遣いが、今、とても嬉しいのだと。


静かに頭を下げる琴音に、若者は驚いたように両手を振った。


「いや!あの、お礼言われるようなことじゃない、って言うか。

 俺は、その、貴女が大丈夫か気になって・・・

 ほんと、どうしようもなくて・・・

 あ!でも、もう、帰ります。

 お邪魔しました。ごめんなさい。」


この座敷に通るだけでも、それなりに金子はかかったはずだ。

なのに、このお客人は、酒も飲まず、料理も口にせずに帰ると言うのか。

琴音もまだ、歌のひとつ、舞いのひとつも、披露していないと言うのに。


貴女が大丈夫か、気になって。


その言葉が、思ったより胸に響いた。

気が付くと、ほろほろと涙があふれだしていた。


ああ、そうか、自分は泣きたかったんだ、とようやく分かった。

こんな状況なのに、どうしてかずっと涙は出てこなかった。

ただ、胸がつぶれそうに苦しくて、息をするのも辛かった。

ぎくしゃくと、手足を動かして、いつも通りにふるまおうとしていたけれど。

どこか、ここにいるのは、自分じゃないような、そんな心持だった。


けど、今、心とからだはひとつに繋がった。

辛く苦しくてどうしようもなく悲しい心が、ぽろぽろ、ぽろぽろと、零れて落ちていく。


「あ。」


琴音の涙を見た客人は、驚いたような声を漏らすと、おろおろと周囲を見回した。

助けを求めるような視線で見回すけれど、だだっ広い部屋のなかには、ふたりの他に誰もいない。

客人は、諦めたようなため息を吐くと、もう一度視線を琴音に戻して、困ったように言った。


「あの、俺、どうしましょう?」


「はい?」


いきなりそんなことを尋ねられて、琴音は思わず泣き笑いになった。

客人はますます困ったように付け足した。


「俺、出て行ったほうが、いい、ですよね?」


「・・・ここに、いてください。」


何故そんなことを言ったのか、琴音にも分からなかった。

それでも、今はこの若者に、傍にいてほしいと思った。


若者は驚いた目をして聞き返した。


「いても、いいんですか?」


「・・・こんな広いところで、ひとりぼっちで泣いてるのは、なんか、嫌です。」


はあ、なるほど・・・と若者は呟く。


「じゃあ、います、けど・・・

 あの、なんか、お役に立てることはありませんか?

 お茶かなにか、もらってきましょうか?」


居心地が悪いのかそわそわしている。


「いやそれは、わたしの仕事です。」


「そっか。厨とか、勝手にうろついたりしたらダメですよね。」


「いえ、そうではなくて。

 そういうことは、お客様のなさることではありません。」


「そっか。」


しょんぼり、とまるで書いてあるような顔をして、若者は下を向いた。


「俺、なんか、できることは、ないんでしょうか?」


あんまり悲し気にそんなことを言うものだから、思わず琴音は言ってしまった。


「なら、あの、胸をお貸しください。」


「胸?

 なんの稽古ですか?

 俺、一応、その、並みの人間よりは、強い、と思うんですけど。

 あんま達人、とかじゃないんで、手加減とかは、下手くそで。

 貴女はその、腕に覚え、とか、ありませんよね?

 だったら、下手したら俺、貴女に怪我、させてしまうかもしれなくて・・・」


なんの言い訳だか、つらつらと言い続ける若者の胸もとを、いきなり琴音はぐいと掴んだ。


「いいから!」


「あ。・・・はい・・・」


黙った若者の胸を借りて、風音は気の済むまで泣いた。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ