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あとのふたりより少しだけ早く異変に気づいていた枯野は、闇に包まれる前に立って構えていた。
暗闇に包まれたときも、神経を集中して、全方位に対して警戒していた。
ほんの一瞬の時が、その何倍も長く感じられた、その次の瞬間。
それは突然、予想しなかったところに起きた。
踏みしめた地面が突然消え失せて、枯野のからだはそのまま落ちた。
周囲は真っ暗で、何も見えない。
手足を振り回したけれど、手にも足にも何も触れない。
ただ真っ暗で深い穴に、どこまでもどこまでも、果てしなく落ちていく感覚だけがあった。
と、ふと。
どこからともなく、声が聞こえた。
―― 落ちていると思えば、落ちていく。
浮かんでいくと思えば、浮かんでいくのニャ。
へ?
枯野は首を傾げた。
落ちていると思えば、落ちていく・・・?
ならば、と声の言うことを試してみる。
俺は、浮かんでいく・・・
昔、よくひとりで山奥の淵に行って泳いでいた。
そのときの感覚を思い出そうとした。
冷たくて青い深い水のなか、浮かんでいく。
そうだ、こんな感じ・・・
と、いきなり、拍手の音がした。
「うまいうまい。
流石ニャ。
もうウサギあニャを使いこニャすニャんて、おみそれしました、ニャ。」
声と同時に現れたのは、奇妙な姿をした猫の妖だった。
暗闇のなかなのに、何故か全身真っ黒のその猫の姿はよく見えていた。
妖猫は、人間のように後ろ脚だけで立っていた。
胸にひと房だけ、白い毛のあるのが分かる。
頭には、見たことのないような被りものを被り、後ろ脚には靴も履いている。
腰には、細くて長い、槍の穂先だけ外したような剣も下げていた。
妖猫は被り物を取ると、枯野にむかって恭しくお辞儀をした。
「はじめまして。我輩は、ケットシーのペロと申しますニャ。
以後お見知りおきを、だニャ。」
「あ、枯野、です。」
つられて枯野も挨拶を返す。
すると妖猫は嬉し気ににゃあという顔になった。
「礼儀ニョニャった坊ちゃんは大好きニャ。
驚かすようニャことをして申し訳ニャかったニャ。
あれは、ミスター、オゥノゥのシキ、ニャ。
我輩、ここには不慣れ故、ここの作法は、ここの人に従うのがいいと思ったニャ。
だからミスター、オゥノゥの言うとおりにしたニャ。
けど、あれには、流石に、我輩も、びっくりして・・・
ミスター、オゥノゥって人は、悪戯好きニョ、困ったお人ニャニョニャ。
あ。ミスター、オゥノゥは、こちら側のウサギあニャの番人をしていて・・・」
その辺りで、妖猫は、枯野の顔にずらりと並んだ?にようやく気づいた。
「ああ、ごめんニャ。
ニャんニョことか、さっぱりだニャ。
けど、どこから話したもんだかニャ~。」
妖猫は、思案気に前足で髭をしごいてから、にゃあ、ともう一度枯野を見た。
「坊ちゃんに会ってほしい方が、おふたり、あるニャ。
説明はそニョときにするニャ。
とにかく、ついてきてほしいニャ。」
そう言うと、くるっと枯野に背中をむけて、すぃーっと進み出した。
枯野も慌てて妖猫の真似をして進もうとした。
すると、すぃーっとからだは軽く前に進んだ。
穴に落ちたと思っていたけれど、ここは前後左右にとても広い場所のようだった。
ただ、どっちをむいてもみっちりと闇に包まれていて、その先がどうなっているのかは分からない。
ここで妖猫とはぐれたりしたら大変だと、枯野は思った。
コツをつかめば、闇のなかを移動するのは、ひどく簡単だった。
すぃーっ、すぃーっ、と枯野は妖猫についていった。
やがて、目の前にぽっかりと白い光が見えた。
妖猫は、その光のなかに飛び込んだ。
枯野も躊躇うことなく、妖猫の後から飛び込んだ。




