63
ソウビも呼び戻して、三人は、船着き場近くの宿で、夜まで休むことにした。
「初っ端から、こんなにのんびりしていて、いいんっすかねえ?」
不安そうにする京を、枯野は、まあまあ、となだめる。
枯野の言うことには素直に従う京は、まあ、いいっすけどね?と畳の上にごろりと横になった。
「じゃ、おいら、ちょっと寝ます。」
「俺たちも、寝ておくとするか。
どうせ、夜通し、走るつもりなんだろ?」
ソウビには、枯野の考えはお見通しらしかった。
「まあ、こいつになら、正体見せても構わねえけどね。
そんなことより、俺は、またお前について走るのかと思うと、ぞっとすらあ。」
ソウビはため息を吐いた。
すぐに寝てしまったふたりの静かな寝息を聞きながら、枯野はひとりだけ眠れないでいた。
帯に挟んだ鈴を久しぶりに取り出して眺める。
日にかざすと、鈴は、ちりん、と少し淋し気な音を立てた。
その音に、琴音も淋しく思っているのかなと思う。
ここしばらくの間、見世には大勢いて、わいわいと賑やかな日々が続いていた。
そこから、ソウビと枯野のふたりが抜けて、少しばかり見世は静かになったかもしれない。
枯野たちがいなくても、見世は相変わらず忙しいだろう。
それでも、淋しさというものは、ふとしたときに襲ってくるものだ。
今は枯野も使命のある旅の途中で、暇を感じるということはない。
けれども、やっぱり、こうしてなにかの隙間のような時間があると、ふと淋しくなる。
琴音も、今、淋しい。自分も、今、淋しい。
それは、傍にいられるときの温かさには、全然足りないけれど。
今、同じ刻に同じ気持ちを感じているのだと思うと、ほんの少し、心が慰められる気もする。
いや違う。やっぱり、琴音には、淋しくなんてなってほしくない。
楽しいとか、嬉しいとか、ほっとするとか、そういう気持ちでいつもいっぱいにしてあげたい。
それほどまでに、大切な人だ。
琴音に恋をして、歌っているところも聞かれてしまった。
あとひとつ残った禁忌。海へと、これから行こうとしている。
これを破れば、枯野だけではなく、大切な人をも不幸にすると、父は言った。
けれど、と枯野は思う。
琴音だけは、なにをしても、絶対に、不幸になんかしない。
そのために、自分はこれから、禁忌を破るのだから。
あのとき襲ってきた影の正体は、いまだに分からない。
郷にも報告を上げておいたから、族長はきっと調べを進めてくれているに違いない。
正体さえ分かれば打つ手もあるだろう。
いや、琴音になにか害を為す前に、なんとしても、手を打とうと思う。
枯野たちの行動は、郷にも見世にも、椿たちから、適宜、報告されているはずだった。
あちらからも、何かあれば、連絡してもらえることになっている。
つくづく有能な使い魔たちだと思う。
枯野ひとりの力では、こんなことなど到底かなわなかった。
郷が枯野を保護したのは、いつか琴の力が暴走したときに、封印をさせるため。
そんな理由だったとしても、枯野は、自分たちを受け容れてくれた郷を有難いと思っていた。
椿と山茶花が枯野に近づいたのも、琴を見張るためだったとしても。
それでも、ふたりが来てくれて、よかったと思った。
ずっと、郷が嫌いだった。
なるべく早く、出ていくつもりだった。
一人前になった後は、金を稼ぐための方便。
郷に残った理由はそれだけだった。
なのに、いつの間にか、郷のことは嫌いじゃなくなっていた。
利用するために傍にいたのだと、椿たちにきっぱりはっきり宣言されても、腹は立たなかった。
今となってはもう、郷も、椿たちも、枯野にとっては、大切なものだ。
一緒に笑ったあのすべての時間が、全部嘘だというわけではないから。
思えば、琴音と出会ったあのときから、枯野の運命は変わったのだ。
父以外の誰かに、笑いかけられ、優しくしてもらったのは、あれが初めてだった。
父を失った自分には、もうこの世にいる価値などないと思ったけれど。
もう少し、ここにいさせてほしい、ここにいたい、と思った。
ここにいて、せめて、琴音が犠牲にしたものを取り戻して、琴音に返したいと。
生まれて初めて、生きる理由というものを、見つけられた。
そのあとはずっと、それだけしっかり、胸に抱いて生きてきた。
枯野は鈴を両手で大切に包み込んだ。
そうして祈りを捧げる。
遠く、離れている琴音が、今、この時も、無事であるように。
その心にある淋しさが、ほんの少しだけでも、薄れるように。
天地におわす、ありとあらゆる神に祈る。
必要とあらば、この命に替えてもいい。
琴音が平穏無事に暮らせるのならば。
ちりん、と鈴が鳴る。
それは、枯野の祈りが琴音に届いたしるしに思えた。
・・・いつの間にか眠っていたらしい。
気が付くと、もうじき日の暮れるころだった。
眠っている間、ずっと鈴は手に握ったままだった。
失くさないように、大切に帯に挟みこんだ。
部屋にソウビと京の姿はなかった。
ふたりとも、どこかへ用足しに行ったのかもしれない。
京の七つ道具の入った箱は置いたままだ。
そう遠くへは行っていないだろう。
出発の前に腹ごしらえはしておきたいところだった。
しかし、食事ならあとのふたりと一緒に行ったほうがいいと思う。
ずっとひとりきりでお役目をこなしていたときには、食事などいつも適当だった。
狐に戻って狩りをして、それで済ませてしまうことも多かった。
けれど、最近は、すっかり、仲間たちと一緒に食事を取るのが当たり前になった。
今は、先にひとりで済ませてしまおうなどとは思えない。
いつの間にか、自分も変わったものだと改めて思う。
けれど、この変わり方は、嫌じゃない。
ふたりは案外早く戻ってきた。
ふたりとも、両手に食べ物を山のように抱えている。
夕食をどこかで買い込んできたらしかった。
「今夜は一晩中、走り通しになるだろうからな。」
ソウビの手に持った大きな包みに、枯野はひくひくと鼻を動かした。
「・・・それは・・・」
「お前さんも、これは好物だろ?」
ソウビは、悪戯っぽい目を枯野にむけた
それに、枯野は思い切り真剣な目をして頷いた。
「好物でない同族は、見たことがありません。」
ふひひひ、と奇妙な笑いを零しつつ、ソウビは包みを開いた。
「ほら、たくさん買ってきたからな。
思う存分、食え。」
「ひぃえ~、これ、十人前はあるんじゃないっすか?」
京は積み上げられた稲荷寿司の山に、小さな悲鳴を上げた。
その肩に、両方から、ソウビと枯野は手を置いた。
「大丈夫だ。
このくらい、軽い。」
ふたりぴたりと揃って、異口同音に断言した。
京は煮物やら焼き物やら、いろいろな惣菜を買い込んできていた。
一品一品はそれほどの量でもなかったが、種類が多いので、こちらも優に十人前はありそうだった。
それらを全部畳の上に並べると、ちょっとした宴会になった。
「そんじゃ、ま、腹ごしらえといきますかね。」
もみ手をしつつ、ソウビがそう言ったのを合図に、みな、いっせいに、食べ物にとびかかった。




