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枯野と琴  作者: 村野夜市
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ソウビも呼び戻して、三人は、船着き場近くの宿で、夜まで休むことにした。


「初っ端から、こんなにのんびりしていて、いいんっすかねえ?」


不安そうにする京を、枯野は、まあまあ、となだめる。

枯野の言うことには素直に従う京は、まあ、いいっすけどね?と畳の上にごろりと横になった。


「じゃ、おいら、ちょっと寝ます。」


「俺たちも、寝ておくとするか。

 どうせ、夜通し、走るつもりなんだろ?」


ソウビには、枯野の考えはお見通しらしかった。


「まあ、こいつになら、正体見せても構わねえけどね。

 そんなことより、俺は、またお前について走るのかと思うと、ぞっとすらあ。」


ソウビはため息を吐いた。


すぐに寝てしまったふたりの静かな寝息を聞きながら、枯野はひとりだけ眠れないでいた。


帯に挟んだ鈴を久しぶりに取り出して眺める。

日にかざすと、鈴は、ちりん、と少し淋し気な音を立てた。

その音に、琴音も淋しく思っているのかなと思う。


ここしばらくの間、見世には大勢いて、わいわいと賑やかな日々が続いていた。

そこから、ソウビと枯野のふたりが抜けて、少しばかり見世は静かになったかもしれない。


枯野たちがいなくても、見世は相変わらず忙しいだろう。

それでも、淋しさというものは、ふとしたときに襲ってくるものだ。


今は枯野も使命のある旅の途中で、暇を感じるということはない。

けれども、やっぱり、こうしてなにかの隙間のような時間があると、ふと淋しくなる。


琴音も、今、淋しい。自分も、今、淋しい。

それは、傍にいられるときの温かさには、全然足りないけれど。

今、同じ刻に同じ気持ちを感じているのだと思うと、ほんの少し、心が慰められる気もする。


いや違う。やっぱり、琴音には、淋しくなんてなってほしくない。

楽しいとか、嬉しいとか、ほっとするとか、そういう気持ちでいつもいっぱいにしてあげたい。

それほどまでに、大切な人だ。


琴音に恋をして、歌っているところも聞かれてしまった。

あとひとつ残った禁忌。海へと、これから行こうとしている。

これを破れば、枯野だけではなく、大切な人をも不幸にすると、父は言った。

けれど、と枯野は思う。

琴音だけは、なにをしても、絶対に、不幸になんかしない。

そのために、自分はこれから、禁忌を破るのだから。


あのとき襲ってきた影の正体は、いまだに分からない。

郷にも報告を上げておいたから、族長はきっと調べを進めてくれているに違いない。

正体さえ分かれば打つ手もあるだろう。

いや、琴音になにか害を為す前に、なんとしても、手を打とうと思う。


枯野たちの行動は、郷にも見世にも、椿たちから、適宜、報告されているはずだった。

あちらからも、何かあれば、連絡してもらえることになっている。

つくづく有能な使い魔たちだと思う。

枯野ひとりの力では、こんなことなど到底かなわなかった。


郷が枯野を保護したのは、いつか琴の力が暴走したときに、封印をさせるため。

そんな理由だったとしても、枯野は、自分たちを受け容れてくれた郷を有難いと思っていた。

椿と山茶花が枯野に近づいたのも、琴を見張るためだったとしても。

それでも、ふたりが来てくれて、よかったと思った。


ずっと、郷が嫌いだった。

なるべく早く、出ていくつもりだった。

一人前になった後は、金を稼ぐための方便。

郷に残った理由はそれだけだった。


なのに、いつの間にか、郷のことは嫌いじゃなくなっていた。

利用するために傍にいたのだと、椿たちにきっぱりはっきり宣言されても、腹は立たなかった。


今となってはもう、郷も、椿たちも、枯野にとっては、大切なものだ。

一緒に笑ったあのすべての時間が、全部嘘だというわけではないから。


思えば、琴音と出会ったあのときから、枯野の運命は変わったのだ。

父以外の誰かに、笑いかけられ、優しくしてもらったのは、あれが初めてだった。

父を失った自分には、もうこの世にいる価値などないと思ったけれど。

もう少し、ここにいさせてほしい、ここにいたい、と思った。

ここにいて、せめて、琴音が犠牲にしたものを取り戻して、琴音に返したいと。

生まれて初めて、生きる理由というものを、見つけられた。

そのあとはずっと、それだけしっかり、胸に抱いて生きてきた。


枯野は鈴を両手で大切に包み込んだ。

そうして祈りを捧げる。

遠く、離れている琴音が、今、この時も、無事であるように。

その心にある淋しさが、ほんの少しだけでも、薄れるように。

天地におわす、ありとあらゆる神に祈る。

必要とあらば、この命に替えてもいい。

琴音が平穏無事に暮らせるのならば。


ちりん、と鈴が鳴る。


それは、枯野の祈りが琴音に届いたしるしに思えた。


・・・いつの間にか眠っていたらしい。

気が付くと、もうじき日の暮れるころだった。

眠っている間、ずっと鈴は手に握ったままだった。

失くさないように、大切に帯に挟みこんだ。


部屋にソウビと京の姿はなかった。

ふたりとも、どこかへ用足しに行ったのかもしれない。

京の七つ道具の入った箱は置いたままだ。

そう遠くへは行っていないだろう。


出発の前に腹ごしらえはしておきたいところだった。

しかし、食事ならあとのふたりと一緒に行ったほうがいいと思う。


ずっとひとりきりでお役目をこなしていたときには、食事などいつも適当だった。

狐に戻って狩りをして、それで済ませてしまうことも多かった。

けれど、最近は、すっかり、仲間たちと一緒に食事を取るのが当たり前になった。

今は、先にひとりで済ませてしまおうなどとは思えない。

いつの間にか、自分も変わったものだと改めて思う。

けれど、この変わり方は、嫌じゃない。


ふたりは案外早く戻ってきた。

ふたりとも、両手に食べ物を山のように抱えている。

夕食をどこかで買い込んできたらしかった。


「今夜は一晩中、走り通しになるだろうからな。」


ソウビの手に持った大きな包みに、枯野はひくひくと鼻を動かした。


「・・・それは・・・」


「お前さんも、これは好物だろ?」


ソウビは、悪戯っぽい目を枯野にむけた

それに、枯野は思い切り真剣な目をして頷いた。


「好物でない同族は、見たことがありません。」


ふひひひ、と奇妙な笑いを零しつつ、ソウビは包みを開いた。


「ほら、たくさん買ってきたからな。

 思う存分、食え。」


「ひぃえ~、これ、十人前はあるんじゃないっすか?」


京は積み上げられた稲荷寿司の山に、小さな悲鳴を上げた。

その肩に、両方から、ソウビと枯野は手を置いた。


「大丈夫だ。

 このくらい、軽い。」


ふたりぴたりと揃って、異口同音に断言した。


京は煮物やら焼き物やら、いろいろな惣菜を買い込んできていた。

一品一品はそれほどの量でもなかったが、種類が多いので、こちらも優に十人前はありそうだった。

それらを全部畳の上に並べると、ちょっとした宴会になった。


「そんじゃ、ま、腹ごしらえといきますかね。」


もみ手をしつつ、ソウビがそう言ったのを合図に、みな、いっせいに、食べ物にとびかかった。



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