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その夜は京の家に泊まり、翌朝、三人は海を目指して出発した。
付喪神は京の肩に居座ったきり、動こうとしない。
仕方なく、琴は京が担ぎ、京の荷物は枯野が持つことになった。
「すんません、枯野のダンナ。
なんか、荷物持ちさせてしまって。」
腰を屈めて京は枯野に言った。
「まったくだぜ。
これ全部、持って行かねえとならねえのか?」
たらたらと不満気なのは、自分ひとり手ぶらのソウビだ。
「そりゃあ、ここに置いていくのは、あまりに不用心っすからねえ。」
京はそう言って、ソウビの壊した戸のほうを見た。
「あーあ、見事にトドメ、刺しちゃって、まあ。」
ソウビがむっと返す。
「てめえがさっさと直しとかねえからだろ?」
「ええ、ええ。前なら、戸の上下をちょいと削るだけでよかったんっすけど。
思いきり敷居までやっちまいましたからねえ・・・」
京はわざとらしいため息を吐いた。
「けど、ダンナがたもお急ぎのようですし、まあ、戸は軽く打ち付けていきますよ。」
「迷惑をかけてすまないな、京殿。」
頭を下げる枯野に、京は慌てて手を振った。
「い、いやいやいや。枯野のダンナを責めてるわけじゃありませんって。
それにね、じいさまはおいらに細工を仕込んでくれた、いわば、師匠みたいなものなんで。
久々においらの作った物を見せて、いろいろ、意見してもらおうと思いましてね。」
「京殿の腕はおじい様仕込みなのか。
それは是非、おじい様にもお会いしたいものだ。」
「へへっ。偏屈じじいっすから。
枯野様、びっくりしないでくださいね?」
街道沿いに歩いていくと、大きな川に出た。
「なんだ、ここは川じゃねえか。
川くらいなら、俺も知ってるぞ。」
ソウビはつまらなさそうに言った。
京はちらりと笑って、ソウビに説明した。
「海ってのはね、川を下りきったその先にあるんっすよ。
ここから乗合の舟に乗って行くのが早いんっす。」
「げ。舟?」
途端にソウビは顔色を変えた。
「いや、俺は、舟はごめんだ。」
「舟酔いしなさるんっすか?
けど、一日あれば着きますし、おいら、介抱してあげますよ?」
「舟酔いなんざ、するもんか。
けど、舟だけは、ごめんだ。」
ソウビは頑なに首を振った。
「あ、あんなもん、板一枚の下は、深い深い水じゃねえか。
たった、板、一枚、だぞ?
ちゃぷちゃぷ、って、板の下から音がするんだぞ?」
京は薄い目になってソウビを見た。
「あーまー、舟っすからねえ・・・」
「あんっな、うっすい、板、穴でも開いたらどうするんだ?
継ぎ目から水、入ってくるかもしれねえだろ?
いや、舟だって、人間の作ったもんだ。
人間ってのは間違いを犯すもんだ。
きっと、あの舟は継ぎ目から水が入ってくるに違いねえ。
そういうときに限って、深い深い水の上で・・・」
うつろな目をして恐ろし気な想像を話し続けるソウビを、京はばっさり遮った。
「いや、そんなことは、滅多にありませんけどね?」
「滅多になくても、絶対にないとは言い切れないだろ?」
「万にひとつ、そういうことになっても、おいら泳げますから。
ソウビさんひとりくらいなら、助けられますよ。」
「俺を助けたって、枯野はどうすんだよ?」
「あ。俺、泳げます。」
ずっと黙っていた枯野は、ぼそりとそう口を挟んだ。
その枯野をソウビは信じられないという目をして見た。
「お前、俺と同じ山育ちのくせに、泳げんのか?」
「・・・小さいころ、山の淵へ行って、よく泳いでいたので・・・」
「淵だあ?
って、あの、でっけえ滝のあるところか?」
「ああ、はい。そうです。」
「あそこには主がいるだろ?
よくあんなとこで泳いだな?」
「ああ、大きな岩魚がいますねえ。
何回かうっかりぱくりと飲み込まれかけましたっけ。」
ソウビは目を見開いて、信じられないというように枯野を見た。
「んの、飲み込まれかけましただあ?
よくもまあ、そんなところで泳ごうなんて、思ったな?」
「・・・そこくらいしか泳げるところはなかったし・・・」
ぶるぶるぶる、とソウビは首を振った。
「俺は小さいころ、田んぼに落ちて溺れかけてから、水だけはごめんなんだ。」
「田んぼ?そんなとこで溺れますか?」
不思議そうに尋ねた京を、ソウビは睨みつけた。
「うるせえなあ。
本当に小さいころだよ。
じじいにそそのかされて、技を極めれば、水の上を歩けるとか言われて。
つい、その気になって、やってみて、えらい目に遭ったんだよ。」
ソウビは苦々し気に言った。
「足はずぶずぶと泥に沈んでいっこうに上がれねえし、泥水が鼻からも口からも入ってきやがるし。
あんな恐ろしい目は、二度とごめんだ。
舟に乗るなら、お前さんたちだけで乗ってくれ。
俺は歩いて行く。」
どうあっても乗るものか、とソウビはすたすたと街道を歩き出した。
その後ろ姿に、京はため息を吐いた。
「しかし、歩くとなると、三日はかかりますかねえ・・・」
枯野はソウビと京を見比べて言った。
「京殿、夜になるまで待とう。
そうすれば、遅れを取り戻せると思う。」
「は?」
首を傾げる京に、枯野は軽く、にこっと微笑んでみせた。




