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椿は片方の饅頭を琴音に差し出しながら、にこにこと言った。
「ほれ、おぬしにひとつやろう。」
琴音は苦笑して首を振った。
「わたしは今、お腹いっぱいですから。
よければそれは、山茶花先生に。」
「まあ。わたしがいただいてもよろしいの?」
満面の笑みを浮かべて、山茶花は饅頭を取る。
そのままふたりはそこに座って、嬉しそうに饅頭を食べ始めた。
舞や謡を教えてくれるけれど、見た目は完全に童女なふたりだ。
にこにこと饅頭を頬張っていると、幼い子どもにしか見えない。
そんなふたりに、琴音は思わず、苦笑を漏らした。
「そうじゃ。そう笑っておれ。」
いきなり椿にそう言われて、琴音ははっと目を上げた。
椿は気遣わし気な目をして、琴音をじっと見つめていた。
琴音と目が合った椿は、にこっと笑って言った。
「しかし、潮音は人魚だったとは、われらも知らなんだ。」
「それは、一目見ただけで、人でないと分かってしまいますね。」
ふたりは立ち聞きしていたことを隠そうともせずに、そう言った。
「しかし、枯野の毒気に中てられた、とはのう・・・」
「まあ、あのぼんやりさんなら、自分でも気づかないうちに中ててしまうかもしれませんけれど。」
「・・・枯野様には、本当に毒気が、おありなのですか?」
琴音は思わずそう尋ねていた。
ふたりは琴音をじっと見つめてから、静かに首を振った。
「申し訳ない。分からぬ。」
「あるじさまのことは、わたしたちにも分からないことが多いのです。」
ふたりはなにか相談するように視線を交わして、一度、頷いた。
それから、琴音のほうに向き直って、改めて言った。
「あるじどのの父、由良の報告によれば、潮音にそのような力があったのは間違いない。」
「ただし由良は、琴を弾きながら歌う潮音の歌、に、そのような力があると言っていました。」
「枯野様のお父様は、潮音姐さんのそのお力をご存知だったのですか?」
琴音は目を丸くした。
「もちろんじゃ。」
「由良は潮音のことを調べるために近づいたのですから。」
ふたりはあっさりそれを話してしまった。
むしろそれを聞いて訝しんだのは琴音のほうだった。
「あの・・・まさか、お師匠様方、わたしを揶揄っておいで、というわけでは・・・」
「こんな手の込んだ揶揄い方はせぬ。」
「貴女がこれを全部、つまらない作り話だと思いたいなら、思っていただいてもかまいませんよ。」
突き放すように言われて、琴音は少し考えてから、そうですよね、と呟いた。
そんな琴音にふたりのむけた視線は、存外、優しかった。
「おぬしがもそっと、愚鈍な娘であれば、誤魔化し続けたかもしれんがの。」
「貴女は、とても聡明な方ですもの。
つまらない嘘を重ねるよりも、本当のことを話したほうがよいと、思っただけですわ。」
ふたりはもう一度顔を見合わせると、同時にくすりと笑った。
「わしらのことも、とっくのとうに、人でないことくらいは、気づいておろう?」
「これを気づかないぼんやりさんなど、うちのあるじさまくらいしか思いつきません。」
あまりにもふたりがあっけらかんとしているものだから、琴音も思わずつられて笑ってしまった。
「それで?琴音。
わしらが人でないことを知って、おぬしはどうする?」
「わたしたちのことを恐ろしいと思うのなら、貴女の目には二度と触れないようにいたしましょう。
ただ、今は、貴女の身の上にも、危機が迫っている、かもしれません。
わたしたちは貴女を護るためにも、今のこの状況を変えたくはない。」
笑っている琴音をふたりはじっと見つめた。
琴音もまた、ふたりをじっと見つめた。
「おふたりはわたしを護ってくださっているのですか?」
「あるじどのはわしらにそれを命じたからの。」
「貴女の身の安全を確保できなければ、あの方は、ろくに働くこともできませんから。」
ふたりはきっぱりとそう言い切った。
「わしらはあるじどのの使い魔。
本来ならば、あるじどのの傍にずっとおるもの。」
「使い魔は、あるじさまの命令なしに、お傍を離れたりはしません。」
「しかし、あるじどのは、御身の安全より、そなたの身を案じておられるゆえ。」
「あるじさまは、なによりも貴女のことを大切に思っておられるのです。」
琴音はもう一度じっと考えてから答えた。
「みなさんのことはどこか不思議な方だと感じておりました。
まさか、人ならざるものだったとは、考えてもみませんでしたが。
けれど、もはや、人であるとか、人でないとかは、そう重要だとも思えません。
わたしにとって、みなさんはみなさん、です。」
「わしらを恐れることはない、と?」
「貴女なら、そう言ってくれると思ってました。」
椿と山茶花もにっこりと頷いた。
「ときに琴音、ひとつ尋ねておきたいのだが、おぬしはうちのあるじどのを好いておるのか?」
「その気持ち、恋だと思いますか?」
いきなり尋ねられて、琴音は目を丸くした。
けれど、すぐにひとつ、きっぱりと頷いた。
「おばばどののあの話しを聞いても?」
椿に確認されて、琴音はもう一度頷いた。
「確かに、わたしは枯野様の謡を偶然聞いてしまいました。
そのときから、あの声を忘れられなくなって、もう一度聞きたいと強く思っております。
けれど、この気持ちは、あの謡を聞く前から、確かにこの胸にあった、と。
そう記憶しております。」
琴音の台詞に椿と山茶花は満足気に微笑んだ。
「そうか。それはよかった。」
「今の言葉、あるじさまにも聞かせてあげたいですね。」
ふたりは目を見交わして嬉しそうに言った。
「そなたさえそう言うなら、わしらはそなたの味方じゃ。」
「あるじさまのお力のことは、わたしたちにも分からないことも多いですけれど。
由良と潮音の間にあったものは、決して、毒気だけではなかったと思うのです。」
ふたりはそれぞれ琴音の左右の手をひとつずつ取ると、励ますようにぎゅっと握った。




