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枯野と琴  作者: 村野夜市
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59

椿は片方の饅頭を琴音に差し出しながら、にこにこと言った。


「ほれ、おぬしにひとつやろう。」


琴音は苦笑して首を振った。


「わたしは今、お腹いっぱいですから。

 よければそれは、山茶花先生に。」


「まあ。わたしがいただいてもよろしいの?」


満面の笑みを浮かべて、山茶花は饅頭を取る。

そのままふたりはそこに座って、嬉しそうに饅頭を食べ始めた。


舞や謡を教えてくれるけれど、見た目は完全に童女なふたりだ。

にこにこと饅頭を頬張っていると、幼い子どもにしか見えない。

そんなふたりに、琴音は思わず、苦笑を漏らした。


「そうじゃ。そう笑っておれ。」


いきなり椿にそう言われて、琴音ははっと目を上げた。

椿は気遣わし気な目をして、琴音をじっと見つめていた。

琴音と目が合った椿は、にこっと笑って言った。


「しかし、潮音は人魚だったとは、われらも知らなんだ。」

「それは、一目見ただけで、人でないと分かってしまいますね。」


ふたりは立ち聞きしていたことを隠そうともせずに、そう言った。


「しかし、枯野の毒気に中てられた、とはのう・・・」

「まあ、あのぼんやりさんなら、自分でも気づかないうちに中ててしまうかもしれませんけれど。」


「・・・枯野様には、本当に毒気が、おありなのですか?」


琴音は思わずそう尋ねていた。

ふたりは琴音をじっと見つめてから、静かに首を振った。


「申し訳ない。分からぬ。」

「あるじさまのことは、わたしたちにも分からないことが多いのです。」


ふたりはなにか相談するように視線を交わして、一度、頷いた。

それから、琴音のほうに向き直って、改めて言った。


「あるじどのの父、由良の報告によれば、潮音にそのような力があったのは間違いない。」

「ただし由良は、琴を弾きながら歌う潮音の歌、に、そのような力があると言っていました。」


「枯野様のお父様は、潮音姐さんのそのお力をご存知だったのですか?」


琴音は目を丸くした。


「もちろんじゃ。」

「由良は潮音のことを調べるために近づいたのですから。」


ふたりはあっさりそれを話してしまった。

むしろそれを聞いて訝しんだのは琴音のほうだった。


「あの・・・まさか、お師匠様方、わたしを揶揄っておいで、というわけでは・・・」


「こんな手の込んだ揶揄い方はせぬ。」

「貴女がこれを全部、つまらない作り話だと思いたいなら、思っていただいてもかまいませんよ。」


突き放すように言われて、琴音は少し考えてから、そうですよね、と呟いた。

そんな琴音にふたりのむけた視線は、存外、優しかった。


「おぬしがもそっと、愚鈍な娘であれば、誤魔化し続けたかもしれんがの。」

「貴女は、とても聡明な方ですもの。

 つまらない嘘を重ねるよりも、本当のことを話したほうがよいと、思っただけですわ。」


ふたりはもう一度顔を見合わせると、同時にくすりと笑った。


「わしらのことも、とっくのとうに、人でないことくらいは、気づいておろう?」

「これを気づかないぼんやりさんなど、うちのあるじさまくらいしか思いつきません。」


あまりにもふたりがあっけらかんとしているものだから、琴音も思わずつられて笑ってしまった。


「それで?琴音。

 わしらが人でないことを知って、おぬしはどうする?」

「わたしたちのことを恐ろしいと思うのなら、貴女の目には二度と触れないようにいたしましょう。

 ただ、今は、貴女の身の上にも、危機が迫っている、かもしれません。

 わたしたちは貴女を護るためにも、今のこの状況を変えたくはない。」


笑っている琴音をふたりはじっと見つめた。

琴音もまた、ふたりをじっと見つめた。


「おふたりはわたしを護ってくださっているのですか?」


「あるじどのはわしらにそれを命じたからの。」

「貴女の身の安全を確保できなければ、あの方は、ろくに働くこともできませんから。」


ふたりはきっぱりとそう言い切った。


「わしらはあるじどのの使い魔。

 本来ならば、あるじどのの傍にずっとおるもの。」

「使い魔は、あるじさまの命令なしに、お傍を離れたりはしません。」


「しかし、あるじどのは、御身の安全より、そなたの身を案じておられるゆえ。」

「あるじさまは、なによりも貴女のことを大切に思っておられるのです。」


琴音はもう一度じっと考えてから答えた。


「みなさんのことはどこか不思議な方だと感じておりました。

 まさか、人ならざるものだったとは、考えてもみませんでしたが。

 けれど、もはや、人であるとか、人でないとかは、そう重要だとも思えません。

 わたしにとって、みなさんはみなさん、です。」


「わしらを恐れることはない、と?」

「貴女なら、そう言ってくれると思ってました。」


椿と山茶花もにっこりと頷いた。


「ときに琴音、ひとつ尋ねておきたいのだが、おぬしはうちのあるじどのを好いておるのか?」

「その気持ち、恋だと思いますか?」


いきなり尋ねられて、琴音は目を丸くした。

けれど、すぐにひとつ、きっぱりと頷いた。


「おばばどののあの話しを聞いても?」


椿に確認されて、琴音はもう一度頷いた。


「確かに、わたしは枯野様の謡を偶然聞いてしまいました。

 そのときから、あの声を忘れられなくなって、もう一度聞きたいと強く思っております。

 けれど、この気持ちは、あの謡を聞く前から、確かにこの胸にあった、と。

 そう記憶しております。」


琴音の台詞に椿と山茶花は満足気に微笑んだ。


「そうか。それはよかった。」

「今の言葉、あるじさまにも聞かせてあげたいですね。」


ふたりは目を見交わして嬉しそうに言った。


「そなたさえそう言うなら、わしらはそなたの味方じゃ。」

「あるじさまのお力のことは、わたしたちにも分からないことも多いですけれど。

 由良と潮音の間にあったものは、決して、毒気だけではなかったと思うのです。」


ふたりはそれぞれ琴音の左右の手をひとつずつ取ると、励ますようにぎゅっと握った。

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