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枯野と琴  作者: 村野夜市
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瞬く間に季節は廻り、いつの間にか、琴音も一人前と言えるほどになった。

それはいつか大輪の花を咲かせるつぼみを思わせた。

けれど、そんな琴音とは対照的に、風音は、日に日に細く、白く透き通るようになっていった。


もうじき雪が降るというころ。

不思議に温かな日があった。

このところ肌寒くて、障子も締め切っていた。

風音の寝ている部屋は、薄暗く、影のなかに沈んでいるようだった。


「障子を開けてくれないかな。」


床のなかから細い腕を出して、風音は琴音に言った。

外の風はからだに障るのではないかと、琴音が心配すると、風音は子どものように拗ねた顔をした。


「一日中、こんな辛気臭い部屋で、天井ばかり眺めてたら、気が滅入っちまう。

 たまには庭くらい見たいんだよ。」


仕方ないなあ、と琴音が障子を開けると、風音は晴れ晴れとした顔になった。


「ねえ、ちょっと、起こしてくれない?」


無理をさせたくない琴音はそれも断りたかった。

けれども、久しぶりに晴れやかな顔をしている風音を見ると、言うことを聞いてやろうと思った。


「無理、しないでくださいね?」


「大丈夫、分かってるって。」


風音はからだを起こすと、そのまま縁側まで連れて行けと要求した。

琴音はもうここまできたら、しぶしぶながらも、全部聞いてやることにした。


風音を抱えるように支えて移動させる。

あまりに軽くなったそのからだに、うっかり泣きそうになった。


「泣くんじゃないよ。」


突然、風音にそう言われて、はっとして琴音は風音のほうを見た。

泣きそうになっていたのを見られたのかと思ったけれど、風音の視線は庭のほうにむけられていた。


「いいお天気だねえ。

 陽射しがあったかい。」


風音は楽しそうに笑っていた。


「これから冬だなんて、嘘みたいだ。

 もういっそこのまま、春になっちまえば、いいのにね。」


「そんなこと言って・・・

 雪が降ったら大喜びで、雪だるまだ、雪合戦だ、って大騒ぎするくせに。」


「だって、楽しいだろ?

 ずっと前、あんたの顔に雪玉ぶつけたら、顔、真っ赤にして怒ったっけ。」


風音は思い出したように肩を竦めて笑った。

琴音はそのときのことを思い出して顔をしかめてみせた。


「姐さんが容赦ないからですよ。」


「雪合戦に容赦もなにもないだろ?

 ああいうのは、本気出してやるから、楽しいんじゃないか。」


「いい大人のくせに、なに言ってるんですか。」


「いい大人が子どもに返れるんだよ。雪が降るとね。」


ああ、雪、降らないかなあ、とずっと遠くを眺める風音に、琴音は呆れたように言った。


「さっきは、早く春になるといい、って言ってたのに。

 今度は雪降らないかなあ、ですか?」


「あったかいまま、雪、降らないかな?」


「なに、バカなことばっかり言って。」


風音の体調が気になってしかたない琴音は、羽織を取ってきて風音に着せかけた。

その細い肩には、羽織の重さすら辛そうに見えて、またうっかり涙ぐみそうになった。


「ほらほら、姐さん、あんまり風に当たると毒ですから。

 そろそろ床に戻らないと。」


涙をごまかそうとするとついまた小言口調になってしまう。


「あたしは風音姐さんだからね。

 風はあたしにとっては毒じゃなくて薬だよ。」


どう言ってもさらりと言い返される。

いつまで経っても、勝てない相手だ。


「本当に、気持ちのいい日だ。」


縁側に座った風音は、晴れ晴れとした顔で庭を眺めていた。

十分な手入れをされていない庭は、どこか荒涼とした雰囲気を漂わせていた。

ただ、それも、風音なら、趣があると言いそうだった。


晴れた空は高く、どこかで鳥の鳴く声がした。


「あ。柿。」


庭にある柿の木には実がたくさんついていた。

誰も取る者がいないので、鳥が来てついばむままに、好きにさせている。


「あれ、渋柿ですよね?」


言外に食べられませんよ、と言いたげに琴音は言った。


「干したら、甘くなるんだよ。

 昔、まだ大勢人のいたころには、皆であれを取って、縁側に吊るしたっけ。

 お客様にお出ししたら、とても喜んでくださって・・・」


風音は懐かしそうに柿の木を眺めた。


「あんたは、こんな淋しい有様しか知らなくて、可哀そうだね。

 ここがまだ賑やかだったころを、見せてあげたかったよ。」


「また賑やかになりますよ。

 姐さんの具合がよくなったら、わたしと二人で精々稼ぎましょう。」


琴音はむしょうに悲しくなってきて、わざと励ますように明るく言った。


「そっか。あんたと二人で稼いだら、またここも賑やかになるかもねえ。」


風音は晴れ晴れと微笑んだ。


「大丈夫。琴音。大丈夫だよ。」


はい、と頷く琴音に、風音はもう一度微笑んだ。


「ねえ、一生のお願いだから、あの柿、一個、もいできてくれない?」


「柿を?食べられませんよ?」


「構わないよ。

 あんまりあかあかとして綺麗だから、この手に持って近くで見たいんだ。」


風音は拝むように両手を合わせてみせる。

仕方ありませんね、と琴音は腰を上げた。


柿の木まで、ほんの三十歩ほどの距離を、半分くらい行ったところで、琴音はふと振り返った。

風音は少し疲れたのか、縁側の柱にもたれて、こちらを見ていた。

心配そうに振り返る琴音に、風音は少し笑って、手を挙げてひらひらと振ってみせた。


あんなふうに手を振れるなら、大丈夫。


琴音はそう思って、今度は振り返らずに、柿の木のところへ行った。


あかあかとしたのをひとつもいで戻ると、風音は疲れたのか、柱にもたれたまま眠っていた。

あんまり無理をするからだ。

風音を揺り起こそうとして、琴音ははっと手を止めた。

風音は眠るように、息を引き取っていた。


風音を失ったその日。

琴音は、初めて、ひとりのお座敷を勤めなければならなかった。






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