5
瞬く間に季節は廻り、いつの間にか、琴音も一人前と言えるほどになった。
それはいつか大輪の花を咲かせるつぼみを思わせた。
けれど、そんな琴音とは対照的に、風音は、日に日に細く、白く透き通るようになっていった。
もうじき雪が降るというころ。
不思議に温かな日があった。
このところ肌寒くて、障子も締め切っていた。
風音の寝ている部屋は、薄暗く、影のなかに沈んでいるようだった。
「障子を開けてくれないかな。」
床のなかから細い腕を出して、風音は琴音に言った。
外の風はからだに障るのではないかと、琴音が心配すると、風音は子どものように拗ねた顔をした。
「一日中、こんな辛気臭い部屋で、天井ばかり眺めてたら、気が滅入っちまう。
たまには庭くらい見たいんだよ。」
仕方ないなあ、と琴音が障子を開けると、風音は晴れ晴れとした顔になった。
「ねえ、ちょっと、起こしてくれない?」
無理をさせたくない琴音はそれも断りたかった。
けれども、久しぶりに晴れやかな顔をしている風音を見ると、言うことを聞いてやろうと思った。
「無理、しないでくださいね?」
「大丈夫、分かってるって。」
風音はからだを起こすと、そのまま縁側まで連れて行けと要求した。
琴音はもうここまできたら、しぶしぶながらも、全部聞いてやることにした。
風音を抱えるように支えて移動させる。
あまりに軽くなったそのからだに、うっかり泣きそうになった。
「泣くんじゃないよ。」
突然、風音にそう言われて、はっとして琴音は風音のほうを見た。
泣きそうになっていたのを見られたのかと思ったけれど、風音の視線は庭のほうにむけられていた。
「いいお天気だねえ。
陽射しがあったかい。」
風音は楽しそうに笑っていた。
「これから冬だなんて、嘘みたいだ。
もういっそこのまま、春になっちまえば、いいのにね。」
「そんなこと言って・・・
雪が降ったら大喜びで、雪だるまだ、雪合戦だ、って大騒ぎするくせに。」
「だって、楽しいだろ?
ずっと前、あんたの顔に雪玉ぶつけたら、顔、真っ赤にして怒ったっけ。」
風音は思い出したように肩を竦めて笑った。
琴音はそのときのことを思い出して顔をしかめてみせた。
「姐さんが容赦ないからですよ。」
「雪合戦に容赦もなにもないだろ?
ああいうのは、本気出してやるから、楽しいんじゃないか。」
「いい大人のくせに、なに言ってるんですか。」
「いい大人が子どもに返れるんだよ。雪が降るとね。」
ああ、雪、降らないかなあ、とずっと遠くを眺める風音に、琴音は呆れたように言った。
「さっきは、早く春になるといい、って言ってたのに。
今度は雪降らないかなあ、ですか?」
「あったかいまま、雪、降らないかな?」
「なに、バカなことばっかり言って。」
風音の体調が気になってしかたない琴音は、羽織を取ってきて風音に着せかけた。
その細い肩には、羽織の重さすら辛そうに見えて、またうっかり涙ぐみそうになった。
「ほらほら、姐さん、あんまり風に当たると毒ですから。
そろそろ床に戻らないと。」
涙をごまかそうとするとついまた小言口調になってしまう。
「あたしは風音姐さんだからね。
風はあたしにとっては毒じゃなくて薬だよ。」
どう言ってもさらりと言い返される。
いつまで経っても、勝てない相手だ。
「本当に、気持ちのいい日だ。」
縁側に座った風音は、晴れ晴れとした顔で庭を眺めていた。
十分な手入れをされていない庭は、どこか荒涼とした雰囲気を漂わせていた。
ただ、それも、風音なら、趣があると言いそうだった。
晴れた空は高く、どこかで鳥の鳴く声がした。
「あ。柿。」
庭にある柿の木には実がたくさんついていた。
誰も取る者がいないので、鳥が来てついばむままに、好きにさせている。
「あれ、渋柿ですよね?」
言外に食べられませんよ、と言いたげに琴音は言った。
「干したら、甘くなるんだよ。
昔、まだ大勢人のいたころには、皆であれを取って、縁側に吊るしたっけ。
お客様にお出ししたら、とても喜んでくださって・・・」
風音は懐かしそうに柿の木を眺めた。
「あんたは、こんな淋しい有様しか知らなくて、可哀そうだね。
ここがまだ賑やかだったころを、見せてあげたかったよ。」
「また賑やかになりますよ。
姐さんの具合がよくなったら、わたしと二人で精々稼ぎましょう。」
琴音はむしょうに悲しくなってきて、わざと励ますように明るく言った。
「そっか。あんたと二人で稼いだら、またここも賑やかになるかもねえ。」
風音は晴れ晴れと微笑んだ。
「大丈夫。琴音。大丈夫だよ。」
はい、と頷く琴音に、風音はもう一度微笑んだ。
「ねえ、一生のお願いだから、あの柿、一個、もいできてくれない?」
「柿を?食べられませんよ?」
「構わないよ。
あんまりあかあかとして綺麗だから、この手に持って近くで見たいんだ。」
風音は拝むように両手を合わせてみせる。
仕方ありませんね、と琴音は腰を上げた。
柿の木まで、ほんの三十歩ほどの距離を、半分くらい行ったところで、琴音はふと振り返った。
風音は少し疲れたのか、縁側の柱にもたれて、こちらを見ていた。
心配そうに振り返る琴音に、風音は少し笑って、手を挙げてひらひらと振ってみせた。
あんなふうに手を振れるなら、大丈夫。
琴音はそう思って、今度は振り返らずに、柿の木のところへ行った。
あかあかとしたのをひとつもいで戻ると、風音は疲れたのか、柱にもたれたまま眠っていた。
あんまり無理をするからだ。
風音を揺り起こそうとして、琴音ははっと手を止めた。
風音は眠るように、息を引き取っていた。
風音を失ったその日。
琴音は、初めて、ひとりのお座敷を勤めなければならなかった。