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琴を封じる、ために具体的にどうすればいいのかはよく分からない。
ただ、潮音は琴の弦を切ったらしい。
まずはそこからやってみることになった。
しかし、いざやってみると、弦を切ることは、そう容易ではなかった。
最初は、恐る恐る、弦以外の場所は傷つけないように、細心の注意を払ってやろうとした。
けれど、次第に、それどころではなくなってきて、力任せにぎりぎりと刃物を押し当てることになった。
しかし、枯野の膂力をもってしても、弦を切るはおろか、傷つけることさえできなかった。
思い切って、燃え盛る炎にくべてみても、大槌で叩き潰そうとしても。
琴には傷ひとつつけることはできなかった。
ソウビや使い魔たちも助力をしようとしたが、まったく、役には立たなかった。
思いつく限りの方法を試した後。
枯野は、琴を修理してくれた京なら、なにかいい方法を知っているのではないかと思い立った。
京ならば、琴の修理に使った材料もよく分かっている。
その特性を知れば、あるいは、なにか方法を見つけられるかもしれない。
京の露店のある市には、一日あれば往復できる距離だった。
枯野は、琴を背に負い、市に行くことにした。
枯野にはソウビが同行した。
他の者は花野屋に残って留守番だ。
枯野が琴音の身を護るために、そうしてほしいと皆に頼んだからだった。
人目のある場所を抜けると、枯野は、狐に変じて、野を駆けた。
ソウビも、足にはそこそこ自信があったが、枯野には易々と置いていかれた。
仕方なく、思いつく限りの術を駆使して、なんとか遅れないようについていった。
それにしても、他の者は連れてこなくてよかったと、ソウビは思った。
使い魔たちですら、今の枯野には、ただの足手まといだった。
早く。
一刻も早く。
琴を封印し、琴音の許に帰りたい。
わざわざ尋ねてみなくても、枯野の頭のなかはその一色に染まっているに違いなかった。
獣道すらない森を、枯野は風より早く、駆け抜けていった。
ふたりは、予定よりもずっと早く、京のいる市に辿り着いた。
ソウビはなんとか枯野についてきたものの、ぜいぜいと息を切らせ、足はふらふらになっていた。
「お前さん、ただ走っているだけに見えるのに、なんで、そんなに早いんだ?」
思わずそう尋ねるソウビに、枯野は困ったように首を傾げた。
「・・・走っている、から?」
答えになっていない答えに、ソウビはげんなりした顔をする。
「そうだな。
お前さんに聞いた俺がバカだった。」
励ますように肩を叩かれた枯野は、すいません、と小さく言った。
京はいつもの場所に露店を出していた。
「おやあ、ダンナ、お久しぶりです。」
このところ、近場でのお役目が続いていたので、京の露店を訪れるのは久しぶりのことだった。
「そちらは?
ダンナのお仲間ですか?」
京はにこにことソウビに尋ねた。
「へえ~、お前さんかい?
あの琴を修理したってのは。」
ソウビは油断のない目をして京を見た。
「今日はちょいと尋ねたいことがあってね。
お前さん、琴を修理するのに、どんな材料を使ったんだい?」
京は首を傾げて思い出すようにしながら答えた。
「そうっすね。あれは、普通の琴とは違ってましたからね。
胴は貝だし、弦は鯨の髭で・・・。」
「鯨の髭を琴の大きさに合わせるためには、切ったりもしたんだろう?」
「ええ、そりゃもちろん。」
ソウビはずいっと身を乗り出した。
「それは?なんで切った?
道具や方法に、なにか変わったものを使ったかい?」
「はて?
この小刀っすけど・・・」
京は帯に挿している小刀を取ってソウビに渡した。
ソウビは小刀を鞘から抜いて、刀身を日にかざしてみた。
「・・・なんの変哲もない、ただの小刀に見えるなあ。」
「そりゃあ、なんの変哲もない、ただの小刀っすからねえ。」
京はソウビにそう答えてから、枯野のほうを見た。
「それにしても、いきなりなんなんです?
琴がまた壊れたってんなら、おいら、直しますけど?」
「ああ、いや。
壊れた、わけじゃないんだ。」
枯野はおろおろと答えた。
むしろ壊そうとしている、というのは、京には少し言いにくかった。
「実はあの弦を切らなければならなくなってね。」
その言いにくいことを、ソウビはさらりと言ってのけた。
「弦を切る?
なんで?」
当然のように京はそう尋ねる。
「あの琴はちょっと特殊な琴でね。
音がしないようにして、封じなけりゃならねえんだ。」
ことの核心まで、ソウビは京にあっさりと言ってしまった。
枯野は、ただ、え?え?と言いながら、ソウビと京とを見比べている。
「ソウビさ、京殿に、そんなことまで・・・」
言ってしまっていいんですか?は、辛うじて飲み込んだ。
「しょうがねえだろ。
事情が事情だ。」
けろっとそう答えると、ソウビはさっき京から預かった小刀を枯野に手渡した。
「これで、切ってみろ、枯野。」
枯野は黙ってうなずくと、躊躇いもなく琴の弦にその刃を押し当てた。
「うわあああっ!
って、おや?
あれ?
っかしいなあ・・・
道具の手入れは欠かしてないはずなんっすけど・・・」
枯野のいきなりな行動に驚いて悲鳴をあげた京は、琴が無事なのを見て首を傾げた。
「ちょいと、失礼。
って、なまくらになっちゃいませんね。」
小刀を枯野から取り返すと、そのあたりの木っ端を削ってみる。
小刀は京が言うだけあって、さくさくと、木を削りだした。
「っかしいなあ・・・
切れなくなってるってわけでもなさそうだし。
それ直したとき、おいら、確かに、この小刀を使って、その弦の長さを合わせたんっすよ?」
「まあ、琴として甦った時点で、これはもう、ただの弦じゃねえんだろうな。」
ソウビはふむ、と頷いた。
「あい、分かった。
邪魔をしたな、店主。
そうだ、お前さん、いい腕をしてるそうだな。
どれ、俺もひとつ、土産でも買って帰るか。」
あっさりそう言って、店先に並んだ小間物を選び始める。
そんなソウビを横に置いて、京は枯野に尋ねた。
「なんか、事情がおありなんっすか、ダンナ?」
「あ?
ああ・・・うん。」
人である京にどこまで話したものか、枯野は迷いながら曖昧に頷いた。
「あの琴のことで?」
「・・・うん。」
「封じないといけない、ってのは?」
「・・・うん。」
枯野は隣のソウビを恨めしそうに見る。
余計なことまで口を滑らせたのはソウビなのに、当の本人は知らん顔で小間物を選んでいる。
「ダンナ。
なんかおいらに、お手伝いできることは、ありませんかね?」
曖昧にうなずく枯野に、京は、真面目な目をして訴えた。
「おいら、常日頃から、ダンナのお役に立ちたいと思ってきたんっす。」
「あ。いや。
とりあえず、京殿にしていただくことは、なにも・・・」
枯野は早く立ち去ろうとソウビをつつく。
ソウビは、もう少し待って、と枯野を振り返りもせずに言った。
「その琴が普通の琴じゃねえってことは、おいらも知ってます。」
京はただ真正面から頼んでいてもだめだと悟ったのか、そんなことを言い出した。
枯野は、ええっ、と目を丸くして、京のことを見返した。
京はしめしめという顔になって続けた。
「そりゃあねえ、覚えてませんか?
その琴、最初はすっかりぼろぼろになってて、おいら、螺鈿の材料にするつもりだったって。
それを、ダンナのそのお手に取った途端、すごい音で鳴り出したでしょ?」
「あ。ああ!」
枯野も思い出して、ぽん、と手を打った。
「おいらがいくら鳴らしても鳴らなかったのが、ダンナだと、鳴らさなくても鳴り出した。
そりゃあ、ただの琴じゃないってことくらい、分かろうってもんっすよ。」
「確かに。」
きっぱりと頷く枯野に、隣でソウビは苦笑した。
「ダンナ方にもいろいろと事情はおありでしょうし。
おいらも、お客のいろいろを、根ほり葉ほり聞き出そうってわけじゃありません。」
うんうん、と枯野はただ頷く。
「けど、おいらの許にわざわざ来られたってことは、おいらに何か役に立つことがあるって。
そうお考えになったからではありませんか?」
「それは・・・けど、もうそれは・・・」
「そんなにあっさり見切りをつけられるのも、心外っすねえ。」
京にきっぱり言われて、枯野は、おろおろと目を泳がせる。
「いい度胸だ。
そこまで言うなら、手伝ってもらおうかねえ。」
にやりと笑ってそう言ったのはソウビだった。




