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枯野にもたれたまま、琴音はいつの間にか寝入ってしまった。
枯野もまた、琴音を傍に感じながら、すやすやと寝息を立てていた。
ふたりとも、太陽が高く上るまで、そのままぐっすりと眠っていた。
先に目を覚ました枯野は、よく眠っている琴音を起こさないように、じっとしていた。
仔狐のときのことを、琴音が覚えていてくれたのが嬉しかった。
嬉しいと伝えたくても、伝えることはできないけれど。
琴音の触れているところから、温かさが伝わってくる。
それは、あのとき、背中を撫でてくれた琴音の手から伝わってきたものと同じだった。
生きていこう、と。生きていたい、と。そう思えたぬくもりだった。
琴音から伝わる温かさには、枯野を回復させる力がある。
それは、眠るより食べるより、ずっとずっと効果的だ。
枯野はもう、すっかり回復していた。
動いたつもりはなかったけれど、何かの拍子に琴音が目を覚ましてしまった。
枯野はとても残念に思ったけれど、仕方ないとも思った。
このまま、厄介事を誰かに押し付けて、いつまでも幸せな微睡のなかにいるわけにもいかない。
起きた琴音は、急いで身支度をして、見世の仕事を始めようとした。
ただ、今日は、琴音のやるべきことは、みんな、誰かが片付けてくれたようだった。
枯野は、ソウビに言われたとおり、狐の姿のまま、琴音を護衛するようについて回った。
ほんの僅かな隙も、琴音から目を離したりしないように心掛けた。
琴音は本当に犬が好きなのか、枯野を追い払ったりはしなかった。
ただ一度だけ、厠に一緒に入ろうとしたときには、流石に、叱られた。
枯野にしてみれば、敵は怪異を操る者。
厠だからと、襲撃を遠慮するとは思えない。
琴音の消えた扉のむこう側の気配を探りながら、戸の前にはりつくようにして、待ち構えていた。
そこへ姿を現したのは、椿と山茶花だった。
「あるじどの。それは流石に、やり過ぎじゃ。」
「妙齢の乙女にすることではありませんわ。」
ふたりしてさも嫌そうに枯野を見る。
「しかし・・・」
言い訳したそうな枯野に、椿がぴしゃりと言った。
「敵の狙いは、琴音ではない。」
枯野は開きかけた口をぱっくり開いたまま、言葉を呑んだ。
「おそらく、狙われているのは、あの琴、かと。」
「琴?母の琴、ですか?」
今度は声にして聞き返せた。
その枯野に、しっ、と椿は指を口に当てて黙らせた。
「その姿で話をしているのはまずい。
詳しい話をしてやるから、わしらの部屋に来るのじゃ。」
ちょうどそこへ、厠の戸が開いて、琴音が出てきた。
「あら。先生方、お待たせしてしまいましたか?」
「ああ、いやいや。
そうじゃ、琴音、その犬、少し借りるぞ?」
椿は手を振ると、山茶花に目くばせをする。
山茶花は頷くと、琴音の手を取った。
「琴音はこちらへ。
今日は舞を見て差し上げましょう。」
「さあ。おぬしはこちらじゃ。」
山茶花と一緒にいれば、滅多なことはあるまい。
枯野は護衛を山茶花に任せて、椿の話を聞きに行くことにした。
部屋へ行くと、そこにはソウビとウバラの姿もあった。
「よう。よく眠れたか?」
にやりと笑うソウビに、枯野は、はい、と素直に頷いた。
「ふわふわ。ふわふわ。」
そう言いながらウバラが近づいてくる。
両手を前に出して、視線は枯野から一瞬も離さない。
「あ。」
抱きつかれる一瞬前に、枯野は慌てて人の姿に変わった。
「かれの~、つまんない~。」
ふくれるウバラには苦笑を返した。
「琴音さんといい、ウバラといい、ふわもこってのは、やっぱ、最強かね?」
ソウビもむこうで苦笑している。
「敵の狙いはあの琴だ、ってのは、本当なんですか?」
枯野は早く話を始めようと、そう切り出した。
一瞬なごみかけた空気は、即座にぴんと張りつめる。
椿は、うむ、と頷いた。
「あの琴は、南方渡来の妖物。
そこに秘められた妖力は、はかり知れぬほど大きい。
郷もその行方をずっと探しておったものだ。」
「俺は、そんな危険なものを、琴音さんに押し付けてしまった、んですか?」
枯野は愕然としたように尋ねた。
それに椿は申し訳なさそうに頷いた。
「結果的にはそうじゃ。
しかし、あれの処置には、郷も憂慮しておったのじゃ。」
「やっぱり、あの琴には、郷も、いや、じじいも関わっていやがるんだな?
枯野につくようにさりげなく俺を誘導したのもじじいだ。」
この際だ、全部吐いてしまえ、とソウビは椿を見た。
「しかし、あれは、母の持ち物だった、と・・・
母はどうして、そんな恐ろしい妖物を・・・?」
はて、どこから話したものか・・・と椿は迷うように呟いた。




