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きょろきょろと周囲を見回す三人をそこへ残して、ソウビと枯野はさっさと退散した。
「説教垂れる柄じゃねえしな。」
帰り道、ソウビはぽつりぽつりと枯野に言った。
「あとはあいつら、勝手にやるだろうよ。」
これ以上はできることはない。
それは枯野も同意見だった。
「それにしても、つくづく、人間ってのは業が深いもんだね。
お役目を果たす度に思うんだけどさ。」
業が深い。
金。恋。運命・・・
みな、何かに囚われ、もがき、苦しみながらも、生きている。
「けどさ、なんなんだろうな。
最後の最後に、どうしても憎めない何かがあるんだよ。」
それは、人だけではない。
妖狐も同じだ。
「あの女の煮売り屋、この先も郷の連中が守護していくんだろうな。」
「いつか、立派な大店になることでしょう。」
郷の守護を受けているのだから。それは間違いないだろう。
「ったく、じじいも面倒な仕事押し付けやがって。」
「仕返しはしたんだから、いいでしょう?」
「あのくらいじゃ、割りに合わねえよ。
それにしても疲れた。
おい、俺はちょっと寝る。」
「はい?」
振り返った枯野の目の前で、ソウビはするすると狐の姿に戻っていった。
そのまま地面に丸くなって眠ってしまう。
「えっ?ちょっ?ここで?」
話しかけてももう返事をしない。
ソウビはすやすやと寝息を立てて熟睡していた。
「・・・おつかれさま、です。」
枯野は人の姿になると、眠っている白狐を、そっと抱え上げた。
枯野の腕のなかで、ソウビは安心して眠っている。
こんな無防備な姿を見せる妖狐を、枯野は初めて見た。
「まったく、大物なんだか、なんなんだか。」
苦笑しつつも、ソウビを起こさないように気を付けて運んでいく。
枯野は気づかなかったけれど、眠ったままソウビは、満足そうに微笑んでいた。
花野屋に戻ると、椿と山茶花は先に戻っていた。
「いやあ、ひどい目に遭った。
昨今の人間というものは、すっかり怪異を恐れなくなったのじゃな。」
「もう少し、見えない世界に敬意を払ってもいいと思いますわ。」
ふたりともぷりぷり怒っている。
「ウバラさ、は?」
そう尋ねる枯野に、ほれ、そこじゃ、と椿は部屋の隅を顎で示した。
「帰る途中にな、いきなり地面に丸くなって寝てしもうた。」
「仕方ないので、運んできたのですわ。」
どうやら、ソウビと同じだったらしい。
使い魔たちも、狐になって眠っているソウビを見て、納得したように頷いた。
「ウバラはソウビから妖力を分けられて動いているからの。」
「ソウビの妖力が尽きれば、ウバラも動けなくなるのですよ。」
「そうなんですか。」
枯野は大事に連れて帰ったソウビを、ウバラの隣に寝かせてやった。
ウバラは狐のソウビを嬉しそうに抱き寄せる。
ソウビも、ウバラにからだを摺り寄せて、ふたりとも、そのまま寝入ってしまった。
「なんか、仲良しで、いいですね。」
ふたりを見て微笑む枯野を、使い魔たちは、ちらりと見上げた。
「なんじゃ、羨ましいのか?」
「わたしたちも、あるじさまと一緒に寝て差し上げましょうか?」
にこにこと両方から枯野の腕を取ろうとする。
「い、いや、それは結構。」
枯野は慌てて逃げ出した。
そこへ、さらりと襖が開いて、琴音が顔を出した。
「みなさん、お帰りだったのですね?」
「ああ。まだ、起きてらしたんですか?」
枯野は一瞬で琴音の傍に移動していた。
枯野の早業に琴音は目を丸くしてから、嬉しそうに見上げた。
「お仕事は無事、おしまいですか?」
「もしかして、待っててくれたんですか?」
枯野ははっとしたようにそう尋ねてから、遅くなってすみません、と頭を下げた。
琴音は曖昧に微笑んで首を振った。
「わたくしが気になって眠れなかっただけです。
それより、お疲れのようですね。
お湯を使われますか?
それとも、お食事になさいますか?
よければ、御酒をお持ちしましょうか?」
「ああ、いやいや、そんな。
手間をかけさせるわけには・・・」
枯野は慌てて手を振った。
その途端、ぐう、と盛大に腹が鳴った。
「まあ。」
琴音はそう言うと、袖で口を隠して笑った。
「おじじさまはもうおやすみですから、わたくしにできる簡単なものでよろしければ・・・」
厨にむかう琴音に、枯野は慌ててついていった。
「あの、じゃあ、ひとつ、わがまま、言っても、いい、ですか?」
おどおどとそう言う枯野に、琴音は振り返る。
枯野は耳まで真っ赤になって、目を逸らせながら、ぼそぼそと言った。
「あの、俺、琴音さんの握った、おにぎりが、食べたい、です。」
「まあ。そんなものでよろしいのですか?」
聞き返す琴音に、枯野は顔を上げると、真剣な顔で頷いた。
「それが、いいです。
おにぎりが、食べたいんです。
琴音さんの握ったのが、いいんです。」
力を込めて訴える。
その姿に、琴音は思わず苦笑してから、分かりました、と頷いた。
途端に、枯野は、この世の幸せを集めたような笑顔になった。
櫃のなかには、残り物の冷や飯が入っていた。
琴音はそれを丁寧に集めると、少し大きめの握り飯を握った。
具はなにも見つからなかったので、塩だけで握った握り飯だ。
琴音の手のなかで形作られていく握り飯を、枯野はほんの一瞬も見逃さないように見ていた。
よほどお腹がすいているのですね、と琴音はまた少し笑った。
「はい、どうぞ。」
差し出された握り飯に、すぐには手を出そうとせずに、枯野は穴が開きそうなくらいじっと見つめた。
「・・・どうかしましたか?」
琴音は不思議そうに首を傾げてから、ちょっと笑って付け足した。
「毒なんか、入っていませんよ?」
琴音がそう言うと、枯野は握り飯から琴音に視線を移して、またじっと見つめた。
「はい、どうぞ。召し上がれ。」
琴音はそう言って、もう一度、枯野に握り飯を差し出した。
枯野は握り飯に視線を移してから、ゆっくりと手を伸ばした。
枯野に握り飯を手渡した琴音は、手を洗おうと水瓶のほうへ行こうとした。
その背中に枯野の声が響いた。
「・・・はんぶん・・・」
はい?と振り返った琴音の目の前に、半分に割った握り飯が差し出された。
「半分こ、してください。
そのほうが、美味しくなる、から。」
琴音は目を丸くして、握り飯をしげしげと見てから、少し笑った。
「枯野様も、そんなことをおっしゃるのですか?
わたくしも、小さい頃、よくそう言いました。」
琴音は肩を竦めるようにして笑ってから、嬉しそうに握り飯を受け取った。
「半分にしても、大きいですね?」
そう言って嬉しそうにかぶりつく。
それを見て、枯野も嬉しそうに握り飯を頬張った。
「まあ、わたくしたちったら、こんなところで、立ったまま頂くなんて。」
食べ終えてから、琴音はくすくすと笑い出した。
「お行儀が悪いと叱られてしまいますね。」
「そのときは、俺が叱られます。」
慌ててそう言った枯野を、琴音はじっと見上げてから、にこっと笑った。
「じゃあ、このことは、ふたりだけの秘密にしておきましょう。」
「分かりました。」
枯野は大真面目にうんうんと頷いた。
部屋に戻ると、椿と山茶花もどこかへ行っていた。
琴音も枯野もすぐには眠れそうになくて、どちらからともなく、縁側に腰かけた。
「ああ、そうだ。久しぶりに琴を弾きましょう。」
琴音は思いついたように言うと、急いで琴を取ってきた。
ゆらのとの
となかにふれる
なづのきの
さやりさやさや
さやりさや
久しぶりの琴音の謡だった。
琴の律は少しも狂っていなくて、琴音の声に合わせて鳴り響いた。
久しぶりに鳴らしてもらったことを、琴も喜んでいるようだった。
そのときだった。
―― 見つけた。見つけたぞ。
低く響く声がそう言ったかと思うと、柱の影が、ゆらゆらと立ち上った。
枯野は琴音を護るように背に庇って、影を睨みつける。
影はゆらりと揺れてから、霧のように散り散りになって消えた。
けれど、消えるほんの少し前、影にぱっくりと口が開き、それがにやりと嗤うのをふたりは見た。
たたたたたっ。
廊下を駆けてくる音がして、がらっと開いた襖のむこうに、椿と山茶花がいた。
「くそっ、逃げられたか。」
椿が悔しそうに唇を噛む。
その袖を掴んで、山茶花も不安そうに視線を泳がせた。
「・・・くそ。油断した。」
ソウビは眠気を振り払うように頭を振りながら起きてきた。
ウバラは眠そうに目を擦りながら、ソウビの袖を握っていた。
「今の、は?」
枯野は集まってきた者たちを見回しながら尋ねた。
「一難去ってまた一難、というやつじゃな。」
椿がそう答えた。




