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枯野と琴  作者: 村野夜市
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自室に戻る途中、廊下の曲がり角で、楼主は幼い禿がしくしく泣いているのに行き会った。

どの妓付きのの禿だろう。

禿は顔を両手で覆っていて、誰なのか分からない。

着物の柄から思い出そうとしたが、こんな花柄の着物を着た禿は、思い出せなかった。


小さい子どもというものは厄介だ。

大した役にも立たないくせに、やたらと煩く騒ぎ立てる。

とはいえ、妓に箔をつけるためには、禿という飾りも必要だ。

妓の見栄えが悪ければ、大金を落とすお大尽も寄り付かなくなる。


ただでさえ、金貨一枚損をして、イライラしていたけれど、楼主はなるべく優し気な声を作った。


「こんなところで泣いていると、お客様の邪魔になる。

 早く部屋に帰りなさい。」


しかし、禿は楼主の声など聞こえないように、しくしくと泣き続けた。

楼主は思わず、邪魔な禿を蹴り転がそうとしたが、ぎりぎり思いとどまった。

それから、なんとかいらいらを押さえつけて言った。


「早く帰らないと、こんなところにいては、お化けが出るよ?」


わざと脅すように、両手を上げてお化けのふりをする。

すると、禿はますます激しく泣き出した。


「ちっ、邪魔なガキだ。

 いいから、早く帰りなさい。」


楼主は舌打ちをすると、いらいらと叱りつけた。

すると、禿は、細々とした声で言った。


「・・・ない・・・ない・・・」


「ない?何がない?」


楼主はいらいらと尋ねる。

それから、はっ、と嬉しそうに聞き返した。


「もしかして、皿を失くしたのは、おまえさんかい?

 だったら、皿代、金貨三枚。耳を揃えて、返しておくれ。」


楼主はそう言って幼い禿のほうに手を差し出した。

いつの間にか皿も値上がりしている。

禿は、ゆっくりと顔から両手を離して、楼主のほうを振り返った。


「わしの顔、どこにいったか、知らぬかえ?」


廊下につけられた燈明が、禿の顔を照らしだす。

そこには、目も鼻も口もない、のっぺらぼうだった。


禿の顔を見た楼主は、悲鳴ではなく、深いため息を吐いた。


「知らないね。

 落とし物なら、番所に聞いておくれ。」


その途端、楼主の前から、禿の姿はぱっと掻き消えた。


楼主はいらいらしたように庭のほうにむかって言った。


「怪談話なら、よそでやっておくれ。

 うちは、そういうウリじゃないからね。」


灯篭のところのソウビの許に、椿から声が届いた。


―― 策ろ、失敗じゃ。

    このまま、策は、に入る。


了解、と頭を抱えて、ソウビがうめく。

隣の枯野は、おろおろと心配そうにした。


自室に戻った楼主は、そこにまたひとりの禿の姿を見つけた。


「こんなところで何をしている!」


楼主は大声を出して怒鳴りつけながら、その視線を机の上に走らせた。

そこには、部屋を出る前に勘定していた金貨が、出ていったときのまま載っている。

楼主はわずかに安堵してから、禿のほうに視線をむけた。


「早く部屋か、それとも、妖怪の世界か、とにかく、とっとと帰りなさい。」


ふふふ・・・

楼主のいらいらを嘲うように、禿はそう嗤い声を漏らした。


それから、どこからともなく手毬を取り出すと、部屋のなかで毬つきを始めた。


「てんてんてまり、てんてんてん・・・」


手毬唄を歌う幼い声は、辺りにこだまするように響き渡る。


「あああ、もう。毬つきは、外で!」


楼主はいらいらと禿の腕を掴むと、部屋の外で押し出そうとして、それに気づいた。

禿のついていたのは、手毬ではなく、人の頭蓋骨だ。

流石の楼主も、一瞬ぎょっとした。


「げ。・・・それは・・・

 おまえさん、いいから、番所へ行こう。」


楼主は禿の腕をしっかり掴むと、そのままずるずると引きずって行こうとした。

禿は楼主の手から逃げようと暴れる。

けれども、楼主は手を離さない。


「まったく、今夜はなんて晩だ。

 妖怪がぞろぞろ現れるかと思ったら、人殺しまで。

 まったく、こんな幼いってのに。

 世の中、恐ろしいったら、ありゃしない。」


ぶつぶつと呟きながら、無理やり禿を引きずった。


「い、いや、です・・・

 た、助けて・・・」


禿はしくしく泣きだした。

泣いて暴れるけれど、楼主は手を離さない。


と、そのときだった。


金色の獣が楼主に激しく体当たりしてきた。

突然のことに、楼主はよろよろとよろけて、禿の手を放してしまう。

次の瞬間には、禿は獣に奪い去られていた。


「き、金色の・・・狼?」


禿の帯のところを咥えたまま、獣は楼主を振り返った。

幼い子どもとはいえ、人間を軽く咥えていくほどに、獣は大きなからだをしていた。


―― 狼じゃない。


思わず訂正して、禿を取り落としてしまう。

しかし、禿は床に激突する寸前に、ぱっと姿を消していた。


「け、獣が、しゃべった?」


楼主はひどく驚くと、腰を抜かしてその場にへたり込んだ。

そのまま、大きな金色の獣に、魂を奪われたように魅入った。


「お、お前は、神の使い、か?」


「おいおい、勝手に出て行ったら、予定が狂っちまうだろ?

 まあ、仕方ねえ。

 こうなったら、真打登場してやるか。」


そう言って姿を現したのは、人の姿になったソウビだった。

ソウビはおとなしくおすわりをする枯野にもたれかかる。

おすわりをしていても枯野は、ソウビと同じくらいの背があった。


「あんた、お化けは怖くないけど、神様は怖いのか?

 まあなあ、あんだけ悪事を積み重ねてりゃあ、なあ。」


枯野はまるでソウビを護る神獣かなにかのようだった。

ソウビは枯野のふかふかの毛並みを弄びつつ、楼主を見下ろした。


「しかし、悪いことしてるって、自覚あるだけ、まだ救いはあるのかねえ。

 どうだ?このままおとなしく、罰を受けるかい?」


にやりと口元を歪めて首を傾げる。

その目はまったく笑っていなかった。


楼主は魅入られたようにソウビと枯野から目を離せなくなっていた。

けれど、それでもなお、首をふるふると横に振った。


「往生際が悪いねえ。」


ソウビは揶揄うように楼主を見た。


「心を入れ替えて懺悔するってんなら、許してやろうかとも思ったんだが。」


「い、いやだ・・・

 俺は悪いことなんかしていない。

 弱い奴を食って、何が悪い。

 弱肉強食はこの世の理だ。」


楼主は震える声でそう言い張った。


「・・・確かに、獣の世界ではそうだ。

 けど、人間は、獣とは違う。

 そう思ってたんだがね。」


ソウビは残念だとでも言うように、首を振った。


「仕方ない。お前には罰を受けてもらおう。」


ぼっ。ソウビの手の先に、青い炎が灯った。

軽く無造作に、ソウビはその炎を投げた。

部屋に投げられた炎は、赤い火となって燃え始めた。


「そ、ソウビさ?」


慌てたのは枯野だった

焦って飛び出そうとしたのを、ソウビはぐいと引き止めた。


「心配ねえ。この火は本物じゃない。」


枯野の耳元でそう囁く。


「・・・本物じゃ、ない?」


「狐火さ。」


ソウビは悪びれずにそう言って笑った。

それから次々に手に火を灯すと、部屋のあちこちにむかって投げ続けた。


ぱちぱち、と音を立てて、火は燃え広がる。


「・・・や、やめろ・・・」


楼主は呆然とそう呟く。

ソウビは口元に笑みを浮かべたまま、火を投げ続ける。


「やめろ・・・やめろーーーっ!」


そう叫んだ瞬間、呪縛が解けたように、楼主は跳ね起きた。

そうして机に飛びつくと、そこに並べた金餅を、懐に押し込み始めた。


「俺の、ものだ。俺の。」


狂ったように楼主はそう呟き続けていた。

目は血走り、もはや、金以外のものは何も見えてはいないようだった。


机の上の金貨を全部拾うと、今度は部屋の押し入れを開けた。

そこにはびっしりと、金貨の入った箱がつまっていた。


「金だ。金だ。」


「おいおい。

 そんな重いもの、持って逃げられるわけねえだろ?」


楼主を見るソウビの目は、蔑みを通り越して憐れんでいた。


「そんなものより、早くみなに、火事を報せたほうがいいんじゃねえか?

 このままじゃ、逃げ遅れるぞ?」


「知ったことか。

 金だ。金だ。金さえあれば、妓などいくらでも代えはある。」


楼主は金貨の箱を抱えようとしたが、せいぜいひとつ抱えるので精一杯だった。


「くそっ。」


楼主は腹立たし気に悪態をつくと、箱を開いて、金貨を掴みだし、懐や袂に押し込み始めた。


「くそっ。くそっ。くそっ。」


ソウビはため息を吐いて、片手を差し上げた。

すると、どこからともなく強い風が吹いて、部屋はますます燃え上がった。


「金なんかに構っていたら、お前も逃げ遅れるぞ?」


楼主ははっと顔を上げた。

火はもう、部屋全体に回っている。

いや、部屋どころか、みるみるうちに、楼全体へと拡がっていった。


枯野は半ば呆然と、目の前の光景を見つめていた。

幻術だと分かっていても、それは恐ろしい光景だった。

いや、とても、幻とは思えないほどに、そこには現実味があった。

熱も、ぱちぱちと燃える音も、煽られるように巻き起こる風も。

隠れた実力は郷一番だ、とソウビが言われていたのを、枯野は思い出した。


「客とか、妓とか、火を見たら驚くかもしれません。

 俺、逃がしてきます。」


急いで行こうとする枯野に、ソウビはあっさりと言った。


「あ。そっちも問題ねえ。

 今日の客はみんな郷の連中だ。

 貸し切り状態だからな。」


「っか、貸し切り?」


「かかりはじじいが全部持つって言ったら、我も我もと、ね?」


ソウビは楽しそうに首を竦めて笑った。


「ちょ、長老様が?

 それはまた、ずいぶんと太っ腹な・・・」


「まあ、事後承諾だけどね?」


ソウビは悪戯が成功した子どものような顔になった。


「確信犯、ですか?」


「俺がやられたのと同じことを、じじいにやり返しただけだよ。」


ソウビはけろりとして言い切った。


「まあ、そういう意味じゃ、似た者じじ孫、かねえ?

 そんな言葉、あったら、の話だけどね?」


「に、似た者じじ孫?」


そんな言葉は聞いたことがない。

目を丸くして聞き返す枯野に、ソウビはおかしそうに肩をゆすって笑った。



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