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草木も眠る丑三つ時。
もっとも、花街の傾城楼は眠らない。
客や妓たちの笑い声。
謡や楽器の音。
昏い夜にだけ咲くあだ花は、今宵も、ぎらぎらと咲き誇っていた。
楼の主人は自室で、金の勘定をしていた。
金貨を一枚一枚歯で噛んで本物かどうか確かめる。
この間来た客が、えらく羽振りよく金をばらまくと思ったら、後で全部、葉っぱになっていた。
この傾城楼の楼主をたばかるとは、いい度胸だ。
あれ以来、楼主はえらく用心深くなって、客には前金で払わせるようになった。
客が見世にいる間に、その金貨が本物かどうかを確かめる。
もしも偽物なら、客をその場でとっ捕まえようというのだ。
復讐心を燃やして、楼主は一枚一枚、ぎりぎりと金貨に歯を立てた。
確かめた金貨は、十枚ずつ積み上げて、丁寧に紙にくるんでいく。
金貨でできた餅が、ひとつ、ふたつ・・・
幸い、今日は偽の金貨は一枚もなかった。
今宵も稼ぎは上々だ。
楼主は昏い嗤いを浮かべる。
金貨を映したその瞳は、昏い金の色に染まった。
と、そのときだった。
きゃあ、という叫び声に楼主はふと顔を上げた。
庭の井戸のほうからだ。
ついで、とぽん、と何かが水に落ちた音がした。
皿でも、井戸に落としたか。
楼主は叱りつけてやろうと腰を上げた。
見世の物を井戸に落とすなど言語道断。
犯人が逃げる前に捕まえて、弁償させなければならない。
見世の器はみな、田舎の窯元に言い値で作らせた品だ。
見世の妓に溺れてツケのたまった男が、たまたまその窯元の息子だった。
楼主はなんのかのと言いがかりをつけて、正当な値の十分の一の値で器を作らせた。
そのあと、その窯元がどうなったかなど、知ったことではない。
噂では、一家離散したとか言うが、そんな話も、楼主の耳には風より早く抜けていった。
器にはどれも見事な絵がつけられていて、その皿に載せられると、どんな料理も上等に見える。
たとえ、市場で売れ残った素材を使った、調味料の味しかしない料理だったとしても。
大きな皿に、ほんの少し載せて持って行くと、客はみな、有難がって食べるのだ。
貴重な有難い皿だ。一枚も、失うわけにはいかない。
もしも、失わせた者がいるなら、それ相応の対価を支払わせなければならない。
この世界でのし上がっていくためには、このくらいのことは当然だ。
弱い者は、誰かの餌になるためにいる。
旧い花街へと続く道沿いに、掘っ立て小屋のような見世を作ったのが傾城楼の始まりだ。
そのときからずっと、楼主はそうやって生きてきた。
客の袖を引いていた夜鷹たちを束ね、魚の油に火を点し、昏い夜に華を咲かせて。
次々と餌を食い、金を集めて。
井戸は厨に近い場所にあった。
洗い物の途中らしき籠がそこに放り出してあった。
洗い物をしていた者の姿は見えない。
きょろきょろと辺りを見回したときだった。
ひゅ~、どろどろ、とどこからともなく、笛と太鼓の音がする。
誰も引かないのに、するすると釣瓶が上がり、井戸の中から、白い人影が現れた。
「そんなところに隠れていたのかい?」
楼主は白い影にむかって腹立たし気に言った。
「・・・いちまい、にまい、さんまい・・・」
影は悲し気な声でそう呟きだした。
それを遮って、楼主はいらいらしたように言った。
「ああ、もういい、もういい。
それで?足りないのは一枚だけかい?」
影は、途中で遮られたのに驚いたように顔を上げる。
それから、戸惑うように頷いた。
「そうか。じゃあ、皿一枚で金貨一枚。」
本当は銅貨一枚で買いたたいた品だったが、楼主は百倍の値を言った。
「びた一文、まけらんないよ?」
そう言って、影にむかって手を差し出した。
「・・・え?」
影はおどおどと助けを求めるように辺りを見回した。
楼主は、ふん、と鼻を鳴らした。
「なんだ、仲間がいるのかい?
だったら、金を払うのはそっちでもいい。
とにかく、見世の皿を壊したんなら、弁償してもらわないと。」
「・・・・・・。」
影は困ったように楼主を見る。
すると、するするするとひとりでに釣瓶が動いて、影はそのまま井戸の中に消えていった。
「ちょっと!ちょっとお待ち!
皿代!金貨一枚!」
楼主は影の腕を捕まえようと手を伸ばした。
ぎりぎり紙一重のところで、影は楼主の手からは逃れていた。
「ちっ。」
逃げられた楼主は盛大に舌打ちをした。
金貨一枚、いや、本当は銅貨一枚だけれど、損をしたことが、腹が立って仕方ない。
そのまま、どすどすと足を踏み鳴らして、自室に戻っていった。
枯野とソウビとは庭の灯篭の影に隠れて待機していた。
万一、見つかったときに動きやすいように、狐の姿のままだ。
そのふたりの許に、ウバラから、声が届いた。
―― さく、い、しっぱいした~
どうします?と枯野の視線がソウビに問いかける。
ソウビは淡々と返した。
「問題ない。いろははまだまだ先がある。」
「まさか、四十八手、考えてある、とか?」
「いや、まさか、そこまではないけどね?」
軽く苦笑してから、ソウビは別場所で待機する椿たちに声を飛ばした。
―― 椿、山茶花、策ろ、いってくれ。
了解、とふたりの声が返ってきた。




