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みなの寝静まるころ。
といっても、花街に夜の静けさなどはないけれど。
こと、花野屋においては、夜はみな、寝静まるものだ。
そんな刻限に、枯野の座敷に集まったのは、ソウビとふたりの使い魔だった。
ウバラは琴音と一緒に寝ているらしい。
主人を放り出して別の者に付き従うというのは、使い魔には非常に珍しいことだ。
やはり、ウバラは、予測不能、掟破りの存在なのだろう。
枯野がスミの家を訪ねていたころ、ソウビもまたどこかへ出かけていた。
そこから、ついさっき、帰ってきたようだった。
「おぬし、酒を飲んでおるな?
それになにやらこれは、嗅ぎ慣れぬ脂粉の臭いじゃ。」
思い切り嫌そうな顔をする椿に、ソウビはへへへと悪びれない笑みを返した。
「すげえな。
まるで、悋気持ちのかみさんのようだ。」
「おあいにくさま。あなたに嫉妬など感じませぬ。
ただ、うちのあるじさまが死にそうな目に合っていらっしゃる間に、遊んでこられたのかと。」
山茶花の視線は、ちくりと刺さる。
ソウビは、まいったねえ、と枯野を見た。
「おまえさん、使い魔に愛されてるねえ?」
「・・・死にそうな目に合った、というのは、揶揄ってるだけだと思います。」
崖を跳び損ねて瞬間転移が発動した話を、枯野は手短に語った。
ソウビは嬉しそうに手を叩いた。
「なるほど。
愛は時空を越える、てか?」
「うまいこと言ったつもりになっておるのかもしれんが、それより、さっさと話を始めるぞ。」
椿は鼻を鳴らして促した。
「そうそう。その話だがね?」
ソウビはへらへらと割り込んだ。
「やっぱ、こういうことは、ご当人に直接、話を聞いておかないとね、って思ったんだ。」
「なんだ、おぬし、件の妓に逢いに行ったのか?」
「妓だけじゃねえぜ?
願い主の男のほうにもちゃあんと話、聞いてきた。」
ソウビは得意げに胸をそらせる。
「しかし、その妓、見世のお職なのじゃろう?
一見の客がよく逢えたものだな?」
目を丸くした椿に、ソウビは軽く首を竦めて笑った。
「俺は妖狐だぜ?
おまえさんら、あんまり枯野に慣れ過ぎて、妖狐ってものを忘れたんじゃないか?」
椿も山茶花もぽっかりと口を開き、顔を見合わせる。
それから、くすくすと笑い出した。
「確かに。」
「あるじさまにいつも頭を使いなさいと言っておりますのに。」
枯野はきまり悪そうにからだを縮めた。
ソウビはへへっと笑ってから話し始めた。
「まずは、その願い主のほうにね、会いに行ったんだが・・・。
まあ、俺の見たところ、素直にお育ちのいい坊ちゃん、ってとこか。
礼儀や作法なんかは、厳しく躾けられてるが、なんというか・・・
こう、生きていくのに必死さはねえ。
ふわふわとして、まるで、芝居のなかの人間のようだ。」
「芝居のなかの人間?」
「そうだ。この世の中で実際に生きている人間じゃないのさ。
夢物語のなかで生きているっていうのかな。
この願い状も、よくよく読んでみれば、どっかの芝居かなんかで見た筋書なんじゃないかな。
恨みつらみも、なんか勝手に思い込んで、自分ひとり、盛り上がってる感じさね。」
「なんとも迷惑なやつじゃ。」
「世間知らずの極み、といったところですか?」
容赦のない使い魔たちに、ソウビは肩を竦めて笑う。
「ただね、そんなやつにも、たったひとつだけ、真実はあった。」
「真実?」
「その妓のこと、やつは本気で好きだったんだ。
そこにだけは、嘘も偽りも思い込みもねえ。
本気で嫁にしたくて、家を出たのもそれが理由だった。」
ふーむ、と全員同時に唸る。
それ以上、余計な言葉を挟んだ者はなかった。
「で、今度はその妓のほうなんだけど。
もちろん、俺は、その願い主に化けて行ったわけだ。」
確かに、枯野には思いつかない技だ。
「部屋に上がるにゃ、大枚はたいてね?
っつっても、まあ、葉っぱの銭だけどね?
ずいぶん待たされて、ようやく来たんだけれども。」
ソウビは苦笑しつつ、はあ、とため息を吐いた。
「来ていきなり、妓は俺のこと、叱りつけたのさ。
こう、眦を吊り上げてさ。
この、大バカ者!ってね。」
「そいつはまた、豪気なことじゃ。」
「しかし、花街の妓にしては、おかしな言いざまです。」
「だろ?
で、俺は、一芝居打ったわけだ。
・・・そんなに叱るなよ。僕は一目、あんたに逢いたくて・・・」
肩をすぼめて、自信なさげにソウビは言ってみせる。
姿はソウビのままなのに、そこには、突然、気弱なお坊ちゃまが現れたかのようだった。
「そしたら、その妓は、なんて言ったと思う?
こう、坊ちゃまの前に、仁王立ちになってさ。
両手腰に当てて、見下ろして、ひっく~い声でさ。」
今度はソウビはその妓の真似をしてみせる。
独り芝居かなにかを見ているようだった。
「一目のために、あんたは、お店のお金、どれだけ使い込んだと思うんだい、ってね?
いやあ、花街の言葉もなにもあったもんじゃない。
まるで、どこぞの気風の好いおかみさんかなんかみたいだった。」
そう言って、ソウビは愉快そうに笑った。
「その後、怒鳴ったりしてごめんね、って、こう、膝を詰めてきてさ。
懇々と、説教を始めたわけだ。
お前様は、大店の跡取りなのだから。
遊びは遊びと割り切って、もっと仕事に精を出せ、と。
俺りゃあ、面白くなってきてさ。
しくしく泣くふりをしたら、酒なんか飲ませてさ。
しみじみと、話して聞かせるのよ。
お天道様の下を堂々と歩ける立派な身分を軽々しく捨てるな、とか。
毎日懸命に働ける喜びをもっとちゃんと感じろ、とか。
せっかく揃っている二親をもっと大事にしろ、とか。
いや、俺もうっかり、話に聞き入っちまった。」
妓はソウビのことを偽物だと疑うことはまったくなかったようだ。
妓に逢う前に願い主に会いに行ったソウビは、しっかりその仕草や人となりを観察してきていた。
抜かりない、というのはこういうことかと、枯野は感心した。
「ありゃあ、悪い女じゃないね。
確かに、通い詰めた男を袖にするってのは本当だ。
けど、それは男に身を持ち崩させないためだ。
財産や家族を犠牲にする前に、引き返せってことだ。」
「しかし、その妓に入れ込んで身を持ち崩した者もいるとか。」
「刃傷沙汰も、一度や二度ではなかったとか。」
使い魔たちは禿たちから聞いた話を持ち出した。
「ああ、それね。」
ソウビは軽く受け流した。
「どうやら、楼の主人が、そういう噂を流せと、禿たちに言い聞かせたらしい。
妓に箔をつけるためにね。」
「なんとまあ。」
「わたくしたちともあろうものが、すっかり騙されました。」
使い魔たちは、悔しそうな顔をした。
「花街の嘘はあだ花。
いちいち目くじら立てることでもねえが、しかし、それにしても、これはねえ・・・」
ソウビは腕組みをして首をひねった。
「どうも、あの楼主は、胡散臭そうだ。
さっきも、俺が帰ろうとしたときにさ。」
ソウビに懇々と説教をした妓は、もう二度と来るんじゃないよ、と言い渡して座敷を去った。
そのあとで、楼主という男が現れて、ソウビに言った。
「どうしてもあの妓に逢いたいというなら、逢わせてやる。
けど、そのためには、金子が必要だ、ともちかけてきてね。」
「もしかすると、身を持ち崩した者の話も、嘘ではないかもしれんのう。」
「持ち崩させたのは、その妓ではなく、楼主ということですか。」
使い魔たちは思い切り顔をしかめた。
「あの妓もさ、とうに年季は明けてんだ。
借財ももう全部返したはずだ。
けど、あの通りの人気だからね。
まだまだ稼げるとふんで、楼主は手放さねえ。
騒ぎを起こして楼に迷惑をかけた、その弁償をしろとかなんとか言ってね。
妓を働かせ続けてるんだ。」
使い魔たちは憤慨したように鼻を鳴らした。
「人の風上にも置けぬ下郎じゃ。」
「どこにでもいるんですよねえ、そういう輩って。」
「成敗、しますか?」
ずっと黙っていた枯野が、ぼそりとそう言った。
「は?」
聞き返してそちらを見たソウビは、枯野の背中からゆらゆらと立ち上る殺気に驚いた。
「い、いやいやいや。成敗とかそういうのは、俺たちのお役目じゃねえから。」
「しかし、その輩、放ってはおけません。」
「奴を裁くのは人の世の理だ。俺たちの踏み込む領域じゃねえ。」
ソウビは釘をさすようにきっぱりと言ってから、ってのは建前だけどよ、と付け足した。
「成敗とまではいかなくても、まあ、ちっとくらいは痛い目に合ってもいいかもしれねえな。」
「お灸を据えるか?」
「まあ、お灸なら、からだにもよいのですわ。
ねじ曲がった根性が多少よくなるかもしれません。」
使い魔たちもどこか嬉しそうだ。
仕方ねえなあ、と呟くソウビも、嬉しそうだった。
「その妓、年季が明けているのなら、里に返してやれませんか。」
そう言いだしたのは枯野だった。
枯野は、妓の里で見たことを皆に話した。
「病気のおっ母さんなんて、花街の妓には珍しい話でもないが。」
「帰らせてあげたいですわ。」
使い魔たちも頷いた。
ううむ、とソウビは頭をひねった。
「しかしねえ、俺はあのお坊ちゃまも放っておけないんだよな。」
「ならば、その妓につけて、一緒に返してはどうじゃ?」
「どのみち勘当されて、行く当てもなく困っているのでしょう?
ならばちょうどいい、一石二鳥ですわ。」
「・・・・・・一石二鳥って・・・
あんたたち、ときどき、人の扱い、雑だよな?」
ソウビは軽く使い魔たちを睨んでから、けどまあ、俺も、それがいいかなって思うよ、と付け足した。
「あのお坊ちゃま、坊ちゃまは坊ちゃまだけど、人間はそう悪くはないのよ。
頼りないところも、嫁をもらえば、多少はしっかりするかもしれんって思うしな。
あの妓も、人となりはしっかりしてる。
いずれ大店のおかみさんになれば、お店をしっかり盛り上げていくだろうよ。」
それから、はあ~あ、と畳に寝転がってため息を吐いた。
「なあんか、これって、じじいの掌で踊らされてるって気がしてならねえな。
なるほど、狸じじいのやつ、枯野にこの仕事を押し付けたわけだ。
額面通りに願いを叶えるんじゃなくて、もっといい解決法を見つけろって。
じじいはそう目論んだんだろうな。」
「その家、代々、正一位の大明神を祀っておられるのだったか。」
「それは、郷としても、知らん顔はできませんねえ。
お家の繁栄を見守るのも、大切なお役目かと。」
「じじいのやつ、枯野と俺とを試しやがったんだ。
このお役目をどう果たすかね。
もちろん、困り果てた枯野が俺に相談するのも折り込み済みだ。
最初から俺にこんな話したって、俺は面倒がって、手出しは拒むだろうしね。
けど、枯野が困ってたら、俺、自ら、手を貸してやるだろうって。
狸じじいの考えそうなこった。」
ふん、と鼻を鳴らしてから、ソウビはにやりと笑った。
「久しぶりにひと暴れすっか。
絵は俺が描く。
おまえら、力を貸してくれるよな?」
「もちろんじゃ。」
「わくわくいたします。」
「俺も。お役に立てるかは分かりませんけど。なんでも言ってください。」
三人同時に頷いた。
「よし。
決行は三日後の夜。
それまでに準備もあるからな。
きりきり働いてくれよ?」
そう言ったソウビが、実は一番、楽しそうでもあった。




