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お座敷を終えた琴音は、約束通り枯野の部屋に来てくれた。
使い魔たちも、ソウビも、気をきかせたのか、どこかへ用を足しに行く。
ただ、ウバラだけは、今夜も琴音の膝で、すやすやと眠っていた。
「ウバラさんは、すっかりわたくしの膝がお気に入りのようで・・・」
困ったように琴音は笑う。
「琴を弾けなくて、申し訳ありません。」
「ああ、いえ。」
枯野はいつものように下をむいたまま首を振った。
「それにしても不思議な琴です。
あまり弾くことができないのに、少しも音が狂わないのです。」
それを聞いた枯野は、どこか嬉しそうに頷いた。
「京殿・・・あれを修理してくれた職人は、とても腕がいい人なのです。」
「京様とおっしゃるのですか?」
「はい。
琴音さんに差し上げた櫛や簪も、京殿の作ったものです。」
「まあ、琴も手がけるのに、飾り物もお作りになるのですか?」
目を丸くする琴音に、枯野は、少し首を傾げて考えてから答えた。
「いえ。飾り物の職人なのが元々で、琴は、それを修理してくれただけです。
多分、かなり無理をして、いろいろと手を尽くしてくれたと思います。
そういうこと、何も、言わなかったけど。」
「京様は、枯野様の御ためなら、無理をしてでも叶えたいと思われたのではありませんか?」
「本当、親切な人ですよね。」
「ええ、きっと、京様という方は親切な方なのでしょうけれど。」
琴音は枯野を見上げて微笑んだ。
「枯野様も、そんなふうに無理をしてでも親切にしたい、と思わせる方ですよ。」
「俺が?」
驚いた目をして、聞き返してから、枯野は、少し考えこみながら答えた。
「俺は誰かに無理を強いているのでしょうか?」
「まあ。それは違いますわ。」
琴音は目を丸くして首を振った。
「枯野様は、どなたにも無理など強いてはおられません。
ただ、多分、みなさん、枯野様のためなら、無理をしたいと、お思いになるのです。
わたくしだって、枯野様の御ためなら、なんでもしてさしあげたいと思いますもの。」
「琴音さんが?」
枯野は目を丸くしてから、むっと口を引き結び、頑なに首を振った。
「いけません。
琴音さんは無理はしないでください。
どうしてもしなければならないことなら、俺が代わりにやります。」
琴音は枯野の翡翠色の瞳に笑いかけた。
「枯野様こそ、いつもそうやって、無理ばかりなさるではありませんか。」
琴音の笑顔に思わず引き込まれて、枯野も笑い返しそうになる。
けれど、直前で我に返り、慌てて、しかめ面を作り直した。
「いいえ。
俺のこれは無理ではありません。
というより、喜んでやってます。
琴音さんのために何かやれるとしたら、俺、すっごく嬉しいです。
そのために俺は生きているんだと思います。」
昔、仔狐のときに命を救われた恩を返す。
枯野はずっとそう思って生きてきた。
今も、絶賛継続中だ。
けれど、琴音のほうはその事情は分からない。
というより、枯野があの仔狐だとは夢にも思わない。
だから、枯野の台詞には、恩返しとは違うものを感じてしまう。
もっとも、枯野自身の気持ちも、とっくに恩返しとは違うものになっているのだ。
当人はまったく気づかないけれど。
恋をしてはいけない。
呪縛が互いの心を縛る。
恋をしては不幸になる。
自分だけではなく、自分の大切な人を不幸にする。
枯野は恋をしない。
誰に対しても。
琴音の気持ちが通じることはない。
永遠に。
琴音は知らず知らず、ため息を吐いていた。
深い、深い、ため息を。
「かれの~、ワルイオトコ~。」
眠っていると思っていたウバラが、突然、目をぱっちりと開き、くるりと上を向いてそう言った。
枯野も琴音もぎょっとした顔をした。
「お、俺、悪い男、かな?」
「まあ、ウバラさん、どこでそんな言葉、覚えてきたのですか?」
ふたりに同時に尋ねられて、ウバラは少し混乱した顔になる。
それからぱっと起き上がると、枯野と琴音、ふたりの手をいっしょに取った。
「ウバラ、かれの、すき。
ウバラ、ことね、すき。
ウバラ、かれの、まもる。
ウバラ、ことね、まもる。」
それから、嬉しそうに、ふたりの手を合わせて、ぶんぶんと振った。
枯野も琴音も苦笑するしかない。
ウバラにはどうにも、自分たちの慣例は通用しない。
けれど、好きだから守る、という言葉は、不思議にすんなり納得できた。
「ウバラさんはいいですね。」
琴音はしみじみと呟いた。
「誰に対しても、真っ直ぐに、好き、と言える。
わたくしも、こんなふうになりたい。」
「なればよいのではありませんか?」
あっさり返した枯野を、琴音は少しばかり恨めしそうに見上げた。
「なってもよろしいのでしょうか?」
「いけない理由が見当たりません。」
けろりと答えられて、琴音の恨めしそうが、怒りの表情に変わった。
「本当に、枯野様は、悪い男。」
途端に枯野は焦りだした。
「は?え?
俺、やっぱり、悪い男ですか?」
え?けど、悪い男って、なにをしたら、そうなるんです?
俺、なんかしたかな・・・
気づかないうちにやってるのかな・・・
そこ、気づかないから、悪い、んですよね・・・
けど、気づけなければ、直せないわけだし・・・
って、俺、どうすればいいんだ?
おろおろおたおたと呟く枯野を見ていると、琴音の怒りもすぐに解けて、今度は笑い出した。
「え?なんで笑うんです?琴音さん。」
真面目に尋ねる枯野にますます琴音の笑いは止まらなくなる。
笑い過ぎて目尻に涙がにじむ。
「・・・琴音、さん?」
琴音は笑っている。
笑っているのに、泣いている。
ぽろぽろ、ぽろぽろと、止まらなくなった涙が、零れ続ける。
心配そうに見つめる枯野の瞳から目を逸らせると、琴音は、顔を隠して逃げるように立ち去った。
「あ。琴音さん!」
追いかけようとした枯野を、ウバラが引き止める。
振り返ると、ウバラは静かに首を振った。
「かれの、だめ。」
ウバラは言い聞かせるようにそう言うと、素早く立って琴音を追いかける。
枯野はただ呆然と、ふたりの後ろ姿を見送るだけだった。
柱の陰で、ふたりの使い魔は、黙って一部始終を見守っていた。
「さて、どうしたものかのう・・・」
「枯野の呪いは、そう簡単に解けるものではありませぬ。」
眉をひそめて、ふたりはそう呟いた。
「血に刻まれた呪い、か。」
「完全に解くには、生まれ直すしかないでしょう。」
「なんとかしてやれぬものか。」
「それはわたくしとて、同じことを思いますわ。」
ふたりは同時にため息を吐いた。
「いずれ、枯野は、由良と同じ道を選ぶかもしれん。」
「あの子は、父親にそっくりですものね。」
山茶花はどこか悲しそうに言った。
椿はなにかを振り払うように頭を振って言った。
「けど、今度は、今度こそは、枯野を破滅になどむかわせるまい。」
「ええ。そのためにわたくしたち、老体に鞭打って、出てきたのですから。」
椿は山茶花を振り返って少し笑った。
「それにしても、久しぶりの外界は堪えるのう。」
「早く解決して、郷の花園でのんびりいたしましょう。」
視線を交わして、ふたりの使い魔は、しめやかに微笑んだ。




