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枯野と琴  作者: 村野夜市
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気が付いたのは、花街の入口だった。

何をどうしてここにたどり着いたのかは分からない。


まさか、俺、死んだのか?


魂となって帰るなら、間違いなく琴音の許だろう。

崖から落ちて、魂だけになって、ここに戻ってきたのだろうか。


枯野は空を見上げた。

さっき、崖から落ちたときに、目の端に月が見えた。

今、見上げた月は、その月と同じくらいの高さに浮かんでいた。


ほとんど時間は経っていない。


魂なら一瞬である場所から別の場所へと移動できるのかもしれない。

呆然としながら、枯野は慣れた道を歩き始めた。


通い慣れた場所だけれど、夕刻の花街にはほとんど来たことがない。

この間、ソウビとウバラと来たときはソウビに任せきりにして、その背中についていった。


街はいつもの見慣れた場所とはまるきり違う場所のようだった。

早朝、忙しく働く裏方たちの行き交う道は、いつも活気に満ちて明るい場所だ。

今は、明るい燈明に照らされて、明るいは明るいのに、どこか、昏い。


格子戸から客を引く白い手。

客引きをする見世の男たち。

どこか別世界のようで、なんだか怖い。

なるべく、誰とも目を合わせないように気を付けて歩いた。


花野屋の辺りは、表通りからも外れて、燈明もまばらになり、宵闇に沈み込むように暗かった。

なのに、見世の灯りを見た途端に、枯野はほっとした。

どうしてだろう、花野屋の灯りは、表通りよりもっと明るく見える。


お座敷ふたつ終えるころには帰る。

琴音としたその約束だけは守りたかった。

たとえ、もう自分の姿が琴音には見えなくなっていたとしても。


これから自分はどうなってしまうのだろう。

いやいっそ、このまま現世に留まれるのならば、留まっていたい。

そうして、琴音を守っていたい。

それさえ叶うのなら、姿などどうなっても構わない。

そんなことを考えながら、枯野は見世に入って行った。


帳場には老爺が座って、こっくりこっくりと舟をこいでいた。

花野屋には一見の客は滅多に来ない。

客はみな日時を約束して来るから、その日の客が来てしまえば、店番の必要もない。


枯野はいつも前触れなしに訪れていたけれど、半ば、身内同然の扱いだ。

案内など乞わずに、好き勝手に見世に上がりこむのが通例になっていた。


庭に面した長い廊下を歩いて奥の座敷にむかう。

今日は少し肌寒いから、廊下側の襖は開いていない。

むこうの座敷から、人の話し声と、しめやかな笑い声が響く。

笑っているのは琴音だ。

椿と山茶花が何か言っているのも聞こえた。


琴音さんのお座敷は、どんなふうなのだろう。

ふとそんなことを思いついた。


霊魂ならば、襖くらいは通り抜けられるのかと思っていたが、そんなことはないらしい。

意外に不便だ。

とはいえ、手をかけていきなり開くというわけにはいかない。

枯野は襖の隙間から中を覗いてみた。


舞っているのは椿と山茶花か。

流した視線は、大人顔負けの色気、といったところ。

客も大いに喜んでいる。

もっとも、実際は、ふたりとも、大人どころか、五百歳は優に超えているのだけれど。


琴音は座敷の隅で静かに微笑んでいた。

客の関心は専ら、椿と山茶花にむいているらしい。

ここでは琴音はただそこに座っているだけだった。


なんとまあ、もったいない。


枯野は思わずそうつぶやいていた。


そのときだった。


「かれの~?」


そう呼ぶ声が聞こえて、後ろから細い腕にがしっと捕まった。


「ウバラさ・・・?」


あわてて振り向いて、ウバラを見下ろす。

ウバラはしっかり枯野の目を見て、にっこりと微笑んだ。


「おかえり~。」


「あ。ただいま、です。」


なんだか照れつつ、そう返す。

返してから、はっとして聞いた。


「俺が、見えるんですか?」


「うん。見える~。」


ウバラはにこにこと答える。

もしかして、ウバラは人間ではないから霊魂も見えるのか、と枯野は思った。


「そっか。

 俺の声も、聞こえてますよね?」


会話できているのだから今更だったが、一応、確かめる。

聞こえてるよ~、とウバラは答えた。


「かれの~、ここで、なにしてる~?」


ウバラがそう尋ねたときだった。

目の前の襖が、すっと引き開けられた。

あ、と凍り付いた枯野と、見上げた椿の目が合った。


「こんなところで、何をしておるのじゃ、枯野?」


同じことを尋ねられた。

そうか。椿も確か、精霊だ。

枯野は自分なりに納得して言った。


「俺、帰ってきたんで・・・その・・・」


「今はお座敷中だ。

 自分の部屋に行って待っておれ。」


「あ。はい。

 けど、俺、いつ消えるか分からないし・・・」


「は?消える?」


「あ。俺、霊魂になったみたいで・・・」


このときのことは、後々まで笑い話にされている。


話を蒸し返すのは、いつも椿だ。


「おぬしも妖狐の端くれなのじゃから、妖術が発動したと思うのが普通であろ?」


「けど俺、あのときまで、人に変化するのと治癒の他に妖術を使ったことがなくて・・・」


きまり悪そうに枯野はいつもそう返す。


「確かに、瞬間転移の術は、かなりの手練れでも、使いこなすのは難しい術。

 しかも、印を結ぶことも、呪文もなしに、発動させるのは、かなり上級の技ですわ。

 それを一瞬で会得したとなると、これはもう、奇跡としか申せません。」


「ひとえに、琴音に会いたい一心であった、ということか。」


「それが奇跡を起こすきっかけなのでしょうね。」


使い魔たちは、枯野に揶揄うような視線をむける。


「琴音さんとの約束は、なんとしてでも守らねばならない、と思っただけです。」


真面目な顔をしてきっぱりと枯野は言い切る。


「たとえ霊魂になっても、俺は約束を守ります。」


しかし、使い魔たちは一斉に呆れた目をむける。


「なにを言うか。少々遅れても、無事に戻ったほうがよいに決まっておるだろう。」

「おっしゃっることは、一見、ご立派そうですが、それでは命はいくつあっても足りません。」


「そもそも、妖狐は崖から落ちたくらいでは死なん。

 おぬしは、自分が妖狐だという自覚が足りんのではないか?」

「霊魂になる暇があったら、もう少し、妖術を修行なさいまし。」


ふたりして手厳しい指摘の連続だ。


「それにしても、あれが本当に瞬間転移の術だったとして・・・

 あれ以降、俺は、一度も同じことができないんですけど・・・

 それって、術を会得したってことに、ならないですよね?」


使い魔たちに恐る恐る枯野は尋ねた。

使い魔たちは、互いに顔を見合わせてから、少しばかり意地の悪い笑顔になった。


「同じことを再現したいなら、同じことをしてみればよい。」

「跳びましょう。崖を。もう一度。」


枯野は、ははは、と乾いた笑いを浮かべた。

あのときは無我夢中で跳んだけれど、あれは、流石にもう一度はできない。


使い魔たちはそんな枯野を叱咤激励する。


「大丈夫。死にはせん。」

「せいぜい、痛いくらいですわ。

 まあ、ちょっとどころか、かなり、痛いかもしれませんけど。」


痛いのは、嫌だ。いくら枯野でも。


「・・・あの、もうちょっと穏やかな方法で、修行することは・・・?」


「おぬしはとことん、型破りな妖狐だからして。」

「あるじさまを導ける師はおりませぬ。

 道なき道を、自ら切り開く運命なのですわ。」


「・・・・・・。」


やはり、妖術のことを使い魔たちに聞くのはやめよう。

枯野はそう思った。


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