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目を覚ました枯野の元には、長老からの呼び出し状が届いていた。
いつも、お役目は自ら率先して請ける。
なんなら、もう少し休養を取るべきだと言われながら、それを押してでも請ける。
わざわざ呼び出されてお役目を命じられたことなど、一度もない。
呼び出し状は、お役目をサボりがちなソウビのような者が受けるものだ。
生まれて初めて届いた呼び出し状に、いささかびくびくしながら、枯野は長老の許を訪れた。
行ってみれば、長老はほくほくの笑顔で枯野を迎え入れた。
しかし、得体の知れない古狐の笑みほど怖いものはない。
枯野はますます警戒を強くした。
「いやいや、おぬしには、断って願いたい儀があるのじゃ。」
長老はそう言って、枯野の許へと近づいてきた。
「この役目を請けてほしい。」
そう言って長老が渡したのは、一通の願い状だった。
恐る恐る枯野が開くと、ちまちまとした文字でつらつらと並べられていたのは、恋の恨みつらみ。
長い長い文章をとりあえず全部読んだところ、どうやら、花街の妓にふられたらしい。
その意趣返しをしてほしいというのが、依頼の内容のようだった。
この類のお役目は、枯野が今まで一番避けてきた類のお役目だった。
「え?は?
・・・あの、これを、俺に、請けろ、とおっしゃいますか?」
おどおどと尋ねる枯野に、長老は、うむ、と重々しく頷いた。
枯野の困惑は二段階ほど深まった。
「あの、俺は、生来不調法で、色事とか、そういう方面には、さっぱり・・・」
「うむ。分かっておる。」
なんとか逃げようと言い訳を重ねる枯野を、長老は、ばっさりと遮った。
「しかし、これは、なんとしてでも、おぬしに請けてもわらねばならぬのよ。」
ええーーー、と言いたいのを何とか堪えて、枯野は長老に応えた。
「俺にこのお役目は、荷が勝ちすぎていると思われます。」
「なに、大丈夫。問題ないとも。」
深刻な顔をする枯野に、長老はいとも容易くそう言い切った。
それから、両手を合わせて、枯野を拝むようにして言った。
「なにはともあれ、引き受けてくださらんか。
大丈夫。そなたの困るようなことにはせん。
しかし、こたびはまたとない、まさしく千載一遇の機会なのじゃ。
どうかどうか、この老い先短い年寄りを憐れむと思って、この願い、聞き届けてくだされ。」
とてもとても誰かに憐れまれるような長老ではなかったけれど。
そこまで言われて断れる枯野ではない。
仕方なく引き受けはしたものの、それでもやっぱり困り果てた。
そもそも、他人の色事など、自分が首を突っ込んでいいことだとは思えない。
恋をしてはいけないと、父に固く禁じられた自分に、色事とは永遠に縁遠いもの。
ましてや花街の妓にふられた腹いせをしろとか。
そもそも、このお役目は請けるべきお役目なのだろうかと、そこから疑問に思ってしまう。
郷の請けるお役目は、いつも正義の味方とは限らない。
恩のある人間からの頼みだとか、恩のある人間の子孫の願いだとか。
義理堅く情の篤い妖狐たちは、断り切れずに請けてしまう。
そもそも、惚れた腫れた、振った振られたの話に、正義も悪もない。
もう何も考えずに、言われた通りにやってしまえばいいのかもしれないけれど。
実際に、そうしてしまう妖狐たちも多いけれど。
枯野はその手の願いをどう叶えたものだか、非常に困る。
願いを叶えることは、本当にその恩人への恩返しになるのだろうかとすら思ってしまう。
そんなことを考えだすときりがない。
だから、枯野は極力この類のお役目は請けないようにしているのである。
とはいえ、請けてしまったものは仕方がない。
枯野はとりあえず、その花街の妓とやらを確かめようと、花街へとむかうことにした。
お役目とはいえ、三日も続けて花街に通うとは思わなかった。
ちらり、と、今日も琴音の姿を遠目にでもいいから、見られないかと思う。
思ってから、いやいや、今日はそちらには行かないのだから、と頭を振って忘れようとした。
件の妓は、表通りのとある見世の一番人気の妓らしかった。
女人の美の基準は分からないが、まあ、美人なのだろう。
もっとも、琴音のほうが、もっと数段美しいと思う。
と、そこまではなんとか調べたものの、早くもそこで行き詰った。
いや、調べたなどと胸を張って言えるものでもない。
見世の前に掲げた絵姿を、遠くから眺めただけなのだから。
・・・・・・。困った。
やっぱりこのお役目は無理だ。
長老には謝って赦してもらおう。
そう思ってきびすを返しかけたときだった。
「かれの~~~。」
嬉しそうにそう言って、腕に縋り付いてきた者がいる。
見なくても分かる。
ウバラだ。
「ウバラさ・・・」
「よお。
連日の花街通いとは、お前さんも、色男の仲間入りかい?」
「なかまいりかい~?」
むこうから手を振っているのは、ウバラにはつきもののソウビだった。
「ソウビさ・・・」
「お前さあ、その、さ、で止めるの、なんとかならねえのか?」
「ならねえかあ~。」
ソウビはそう言って笑いながら、枯野の前に立って見上げた。
「まった、浮かねえ顔しやがって。
んで、今日はまた、なんの難題、言い使ってきた?」
「つかってきた~?」
すっかりお見通しのようだ。
「・・・実は・・・」
枯野は、自分が口で説明するより早いと思って、さっさと訴え状をソウビに見せた。
「・・・なるほど、ねえ。
じじいも考えやがったな。」
「かんがえやがったな。」
訴え状を一読したソウビは、そう言って鼻で笑った。
「やはり、長老には、なにか深いお考えあってのことですか?」
「まったく。あの狸じじい、ろくなこと思いつかねえ。」
「つかねえ~。」
「・・・・・・。」
妖狐の長老を狸に例えるとは・・・
妙なところにひっかかった枯野が首をひねっている間に、ソウビはさっさと歩き出した。
「まあ、いいや。
二婆もこのところ退屈していやがるし。
ちょっと遊ばせてやるか。」
「やるかあ~。」
ウバラも枯野の腕を捕まえたままソウビの後についていく。
ウバラにひっぱられるようにして、枯野もソウビについていった。
ソウビがふたりを連れて行ったのは、もちろん、花野屋だった。
三日続けて姿を現した枯野に、老夫婦も琴音も、とても驚いた顔をした。
「あ。どうも、すみません。」
枯野は思わず謝ってしまう。
「あ、いやいや。謝ることはない。
来てくれて嬉しいのだから。」
「そうじゃそうじゃ。
まずは、お茶と饅頭でも用意しようかの。」
老夫婦はそう言って急いで奥に走って行った。
「・・・あの、今日は、ソウビさ、たちに用があって来たので・・・。」
言い訳するように言う枯野に、琴音は悲し気に首を傾げた。
「わたくしは、お邪魔だと?」
「あああ。いえいえいえ。
でも、琴音さんも、お忙しいでしょうし・・・
そう毎日毎日かまってもらうわけにもいかない、というか・・・
あああ、けど、もし、時間あったら、少し話せると嬉しい、というか・・・」
耳まで真っ赤になって、琴音から目を逸らせながらも、枯野は必死に言い募った。
それに、琴音は思わず、ふふ、と笑みを漏らした。
「今日は、お師匠様たち目当てのお客様が二組おられますけど・・・。
そのお座敷の後なら、お伺いします。」
「・・・俺も、今日は仕事があって、ちょっと、どうなるか分からないというか・・・
あああ、でも、琴音さんのあく時間には、きっと、戻ります。」
枯野は顔を上げてきっぱり言い切った。
琴音も嬉しそうに微笑んだ。
「楽しみにしておりますわ。」
「俺も。琴音さんにちゃんとお会いできるように、仕事を終わらせてきます。」
言い切ってから、いや、本当に終わらせられるのかな、と少し考えたけれど。
いやきっと終わらせる、終わらせてみせると思い直した。
なんと言っても、琴音が楽しみにしていると言ってくれたのだから。
お役目など最速で終わらせて戻ってくる。
枯野はそう心に誓った。




