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琴音が見世に来た頃から、見世には不思議な贈り物が届くようになった。
毎朝、玄関先に一輪だけ、花が置いてあるのだ。
竜胆、桔梗、撫子、小菊・・・
どれも野山に生えているような花ばかりだったけれど、欠かさず、毎日置いてある。
最初は、どこからか風に飛ばされてきたのかと思った。
けれど、毎日欠かさず置いてあるし、そんな偶然が毎日続くことは流石にないだろう。
ならば、誰かが意図して置いているのかと、ようやく気づいた。
毎朝早く起きて、玄関先を掃くのは、琴音が最初にもらった仕事だった。
まだ暗いうちに起きるのは辛かったけれど、こうして働くのは気持ちがよかった。
朝方まで客の相手をする風音は、昼頃までゆっくり眠っている。
客のいないときも、からだの具合のあまりよくない風音は、横になっていることも多かった。
風音の眠っている間に、琴音は掃除や買い出し、ちょっとした修理まで、くるくると働いた。
老夫婦は琴音のことも、実の孫のように可愛がってくれた。
初めて見たときにはお化け屋敷だと思った見世も、馴染むと居心地のいい家になった。
やがて季節が巡るにつれて、贈り物も少しずつ変化していった。
花のない冬には、木の実や小さな雪だるまが置いてあったこともあった。
紅い梅が一輪置いてあったときには、不思議なくらいに嬉しかった。
竹筒に松が挿してあったのは、あれは、正月飾りのつもりだろうか。
大きな椿の花は、一日だけ髪に挿していた。
雪割草が届くころには、夜明けもだんだん早くなっていた。
土筆に蕨、ナズナに野蒜は、籠にいっぱい届いた。
有難く、おひたしにして食べた。
春・・・夏・・・季節が移り変わるように、花も変わっていった。
そしてまた、秋。籠いっぱいの栗には、飛び上がるくらい嬉しかった。
今年は芋や、なんと、白米まであった。
木の実や果物もたくさん届いた。
ここまでくると、もう、誰かが贈り物をしてくれていることに間違いはなかった。
けれども、見世の常連客に尋ねてみても、誰も心当たりはないと言うばかりだった。
贈り物はその後も延々と続いた。
干物や、水あめ、餅菓子に蜂蜜。
精のつくような食べ物もよく置かれていた。
それに加えて、このところは、胸の病に効く薬草も一緒に置かれるようになった。
そして、その贈り物の籠の上には必ず、季節の花が一輪、のせてあるのだった。
胸を病む風音の病状は一進一退だった。
具合の悪いときには、何日も寝ていなければならないこともあった。
そんなときには、食べ物や薬の贈り物はとても有難かった。
送り主の分からないこの不思議な有難い贈り物を、風音は狐の贈り物だろうと言った。
琴音は、この見世に来た日に、狐を罠から放してやった話をした。
そんな恩返しのお伽噺みたいなこと、あるのかねえ、と風音は笑った。
出会いこそあんなふうだったけれど、風音は琴音の面倒をとてもよくみてくれた。
文字も数も、謡や舞も、琴音は風音から習った。
ときに厳しく、ときに温かく、風音は琴音に芸を仕込んでくれた。
風音の稽古は厳しかったけれど、琴音はよくそれについていった。
風音は笛と舞の名手だった。
切なく歌う風音の笛の音は、わざわざ遠くからそれを聞きに足を運ぶ客もいるほどだった。
しなやかなその舞は、天女のようだという評判だった。
老爺の作る料理も、見世の評判のひとつだった。
素材の仕込みから何一つ手を抜かずに、すべてをたったひとりで作り上げる。
丁寧に仕上げられたその料理は、芸術品だとさえ言う人もいた。
若いころはどこか名のある料亭で働いていたとか、王宮の厨房にいたのだとか。
真偽のほどの分からない噂は山ほどあった。
ただ、老爺はどの噂に関しても、真実だとも嘘だとも言及しなかった。
ただ、にこにこと笑って、あとはひたすらに、手を動かすのみだった。
胸を病んでいても、風音は決して芸に手を抜くようなことはしなかった。
たとえ高い熱のあるときでも、客の前に出れば、しゃんと背筋を伸ばして微笑んだ。
やがて、禿として琴音は風音の座敷に付くようになった。
謡いながら舞う風音は、本当に美しかった。
これなら、天女を名乗れると、琴音は思った。
それは儚いうたかたのような極楽の世界だった。