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二日続けて花街に行ったことはない。
いや、こっそり花を届けに行くときは、二日どころか何日も通ったけれど。
いつも琴音には会わずに帰っている。
物陰からこっそりその姿を眺めることはあったけれど。
琴音には気づかれないように細心の注意を払ってきた。
どうしてか、ずっと、そうすべきだと思っていた。
けれど、ソウビに連れて行けとうるさく言われて、仕方なく、枯野は行くことにした。
枯野の変化した姿を見上げて、ソウビは、ほう~、と感心した声を漏らした。
「人に変化しても、でけえな、お前。」
「でけえなあ、おまえ~。」
「・・・はあ。
どうもすみません。」
「って、謝るな、って。
お前、謝り癖ついてるだろ?
よくねえぞ?それ。」
「よくねえぞ~それ~。」
にこにことウバラが口真似をする。
このウバラ、見た感じ、年のころは、十六七、番茶も出端なお年頃。
黙ってじっとしていれば、とてつもない美少女だ。
たどたどしい口調と、少しばかり常識外れなのは、郷の外の生まれだかららしい。
道々、ソウビはそんな話をしてくれた。
「こいつは元々、ひっそりと咲いていた野ばらだった。
けど、俺はこいつに惹かれて、思わず手を伸ばしちまった。
そんときに、俺の血がこいつにかかって、こいつを妖物にしてしまった。
狂ったこいつを殺さないためには、俺と使い魔の契約をするしかなかったんだ。」
ウバラは蝶を見つけて、うきゃきゃきゃきゃ、と追いかけていく。
幼く見えるのは、それだけ、自分の心や興味に素直なままなのだろう。
「郷の使い魔たちは、花園の出が多いだろう?
あそこの花は人の言葉も操るし、ある程度の常識も教え込まれてくるからな。
けど、ウバラは、その前に使い魔になっちまったから。
現在ただいま、修行中の身、ってとこだな。」
「しゅぎょ~ちゅ~のみ~ことだな~。」
蝶に振り切られたらしく、戻ってきたウバラはにこにこと言った。
「なんちゅうか、使い魔にするなら、花園のやつらのほうが安心感とかあるんだろうけど。
俺は、そもそも、使い魔をほしかったわけんじゃないんだ。」
「ないんだ~。」
ソウビの話に枯野はうんうんとうなずきながら聞いている。
こいつ、不思議なくらい話しやすいな、とソウビは密かに思った。
誰に対しても物怖じなどしないソウビだけれど、面倒だと思う相手には徹底的に関わらない。
たいていそれは第一印象で決まる。そうして、それが覆ったことは一度もない。
枯野に対しては、ソウビの印象はそれほど悪くはなかったらしい。
いや、それどころか、ソウビは枯野のことを面白いやつだとすら思い始めていた。
その証拠に、ウバラとのなれそめなど、聞かれもしないのに話してしまっている。
こんなこと、尋ねられても話さないソウビなのに。
「お前さん、花園の二婆を使い魔にしてんだと?」
ソウビは今度はお前の番だとばかりに枯野に話を振った。
「にばば?」
「にばばにばば~。」
その言葉の響きが気に入ったのか、ウバラが連呼する。
ソウビはそれに苦笑した。
「お前さ、ときどき、ウバラに被るな。
俺、そういうやつに弱いのかな?」
「・・・あの、にばば、とは、いったい・・・?」
生真面目に尋ねる枯野に、ソウビはへっと笑って答えた。
「ふたりのばばあ、だ。
椿と山茶花。
あいつら、けっこうなばばあなんだろ?」
ああ、と枯野は納得する。
それから、しまった、という顔になった。
「婆扱いをすると、怒られます。
それに、見た目は、ウバラさんより若いくらいだし。」
「うちのじいさまより年食ってるくせに、婆扱いすると怒るなんざ、おこがましいやつらだ。
まあ、いいや。
あいつら、けっこうな大物なのに。
よくもまあ、使い魔になんてできたよな?」
「・・・俺は、使い魔にした覚え、ないです。
勝手に使い魔みたいなこと、してくれてる、っていうか・・・
なんか、うちの父親を気に入ってくれてるようなこと、言ってましたけど・・・」
「由良殿だな?」
「父を、ご存知、ですか?」
ソウビがその名を口にした途端、枯野は少し身構えるようにした。
それを安心させるようにソウビは付け足した。
「由良殿は俺の親父の親友だったらしいからな。
もっとも、俺は、親父の顔も知らねえんだけど。
俺がまだ仔狐だったころ、由良殿は何回か会いに来てくれたんだ。
自分は、郷の裏切者だから、あんまり関わっちゃ迷惑だろうって言いながらな。
俺に親父の話を聞かせてくれた。」
「・・・そうでしたか。」
枯野は警戒を解いてしんみりとうなずいた。
危険な任務を請ける妖狐は、無事に郷に帰ってこない者も多い。
ソウビの両親も、任務の途中で行方不明になり、いまだにその行方は分からない。
それは枯野も知っていた。
ウバラは今度は道端の花に気を取られていた。
座り込んでじっと見つめている。
ソウビはごく自然に、それを待つように足を止めた。
枯野もつられて足を止める。
ふたりはそのまま話し続けた。
「お前ん家は、代々郷の花園の番人をしていた名家だからな。
まあ、うちも、そこそこの名家だしな。」
そこそこどころではなく、郷の長を出す家柄だ。
かなりの名家である。
「お前のことも、よく話してたよ。
小さな息子がいる、って。
自分の宝物なんだ、って。
なにがあっても、守ってやりたいんだ、って。
俺、ちょっと、嫉妬してたな。」
枯野は下をむく。
ソウビの言葉に父の声が重なって聞こえる。
優しく穏やかな父の声が、枯野はとても好きだった。
「今はちょっと事情があって、あまり堂々と表に出せないけど。
いつか、会いに行ってやってくれ、って。
そう言ってた。」
ソウビは枯野を見上げるとけらけらと笑った。
「しっかし、由良殿は、僕の小さな宝物、って呼んでたけどね?
こりゃまた、立派にすくすくと育ったもんだ。」
「・・・すいません。」
「だから、謝るなって、言ってんだろ?」
ソウビは軽く顔をしかめて、枯野を睨んだ。
「それに、その他人行儀な話し方も、そろそろやめねえか?
背中がむずむずする。」
「・・・しかし・・・」
「家の格なら、お前ん家のほうが上なんだ、って。
うちは、何代か前の先祖がすげえやつだったってだけの成りあがりだからな。
お前ん家のほうが、由緒?ってのは正しいんだ、って。」
「・・・今は、違いますから・・・」
頑なに首を振る枯野に、ソウビは、ああもう面倒くせえ、と吐き捨てた。
「ああ、そうだ。
俺だって、家の柄とか、格とか、正直どうでもいい。
けど、お前とは、友だちになりたい。
友だちとして、やっていきたい。
いいか。こんなこっ恥ずかしいこと、何回も言わせんなよ?」
詰め寄られて、睨まれて、枯野は、うんうん、と何回も頷いた。
「さあ、これから、俺のことは、ソウビ、と呼べ。
さま、も、さん、もいらねえ。
ただのソウビ、だ。
俺もお前のことは枯野と呼ぶ。
さま、も、どの、も、さん、もつけねえ。
俺はただのソウビ。お前はただの枯野。
これから、俺たちはそういう仲だ。」
枯野はうんうんとうなずいている。
それにソウビはにやりと笑って言った。
「なら、これから練習だ。
なに、いいから、一回言ってみろ。一回言えば慣れる。
ほら、言え。」
間近で凄まれて、枯野はあたふたした。
「は?いや、それは、あの、また後で・・・」
「後じゃねえ。今、ここで。ほら、言え。
簡単じゃねえか。ソ、ウ、ビ。たったの三文字だ。」
「いや、あの・・・」
「いいから、言え。この俺がいいって言ってんだから。言え。」
「けど、俺は・・・」
「言え、っつってんだろ?」
「いえ~つってんだろ~。」
復活したウバラが楽しそうに付け足した。
ついでに、ずいずいと、ソウビの真似をして、枯野に迫ってきた。
「いえ~いえ~いえ~。」
ふたりして楽しそうに詰め寄ってくる。
少しずつ後退りしていた枯野は、とうとう、木にぶつかって、それ以上逃げられなくなる。
「言えー。言えー。言えー。」
「いえ~いえ~いえ~」
絶対、このふたりは面白がっている。
枯野は、困り果てて、仕方なく、蚊の鳴くような声を出した。
「っ、っそ、そ・・・び・・・」
「そび、じゃねえ。ソウビ。
薔薇、だ。
じじいのつけやがった名前だが、俺はそこそこ気に入ってんだ。
ちゃんと呼べ。」
「あ。はい、すみません。
そ、ソウビ・・・」
おたおたしつつも、なんとか言えて、一番ほっとした顔になったのは枯野だった。
ソウビは目を細めるとにんまりと満足げに笑った。
「ようし。ちゃんと言えたじゃねえか。」
「いえたじゃね~か。」
ソウビは自分より頭ひとつぶん以上上にある枯野の頭をくしゃくしゃとかき回した。
それから、うへっ、と言って、手を離した。
「なんだ、お前の頭。今、なんかちくっとしたぞ?」
そう言って、自分の手を確かめる。
「げ。小枝だ。小枝、絡んでるぞ?お前の頭?」
信じられないという顔で、枯野の顔をまじまじと見る。
「・・・すいません。」
枯野はぼそりと謝った。




