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狐の姿に戻って巣穴で眠っていた枯野は、突然の大音声に叩き起こされた。
「なんだここは、くっせえな。獣くせえ。
おい、枯野ってやつの家は、ここか?」
「ここか~?」
ずいっと遠慮なく入口から覗いたのは、枯野でも知っているほどの有名人だった。
寝ぼけた枯野の目も一瞬で覚めるほど美しい白銀の妖狐。
長老のたったひとりの孫で、秘めたる実力は郷一番とも噂されている。
ただし当人は仕事が嫌いで、家が大好き。
よほどのことのない限り、家から出てこないというのも有名だ。
「ソウビ、さま?」
「おう。さま、はいらねえ。
ソウビと呼べ。」
「ソウビとよべ~。」
にこやかに語尾を繰り返すのは、これまた絶世の美少女。
ソウビの使い魔、だろうか。
「ええと、なんでまた、こんなむさくるしいところへ・・・?」
「おう。本当にむさくるしいな。
それにしても、穴、覗きながら話すのは面倒だ。
ちょっとここまで、出てきてくれねえか。」
「でてきてくれねえかあ。」
あわてて巣穴から外に出た。
狐の巣穴は人の姿をしている者には小さすぎる。
かといって、今から巣穴を家に変えている暇はない。
椿と山茶花が琴音の見世に行ってから、枯野の暮らしはまたこんなふうに戻ってしまった。
ひとりでいると、どうしてもこうなってしまう。
長閑なひなたに、白銀の妖狐とその使い魔、その前にお座りをする大きな狐。
奇妙な図が出来上がってしまった。
「話には聞いていたが、こうしてみると、本当にでかいな、お前。」
「でかいな、おまえ~。」
ソウビは遠慮のない目で、狐姿の枯野の頭から足先まで二往復した。
「どうも、すみません・・・」
狐姿の枯野はちんまりと肩を竦めて小さくなろうとする。
しかし、小さくなるには限界がある。
枯野の努力はあまり効果はなかった。
「いやいや。謝るこたあねえ。
大きいことはいいことだ。
大は小を兼ねる。」
「・・・ええと・・・、かねる~。」
「いや、俺も感心した。
これが噂の金狼殿かってな。」
「キンロ~ドノカ~。」
「キンロー?」
「おう、そこ、ウバラと被ってんぞ?」
かんらかんらと笑ってソウビは隣の美少女をぐいと前に押し出した。
「こいつはウバラ。俺の使い魔だ。
人の言葉を現在勉強中だ。」
「べんきょ~ちゅ~だ~。」
嬉しそうにウバラは繰り返した。
「しっかし、なんだ、その首の鈴は?
飼い猫かなんかみたいだな?」
「みたいだなあ~。」
指摘されて、慌ててソウビは鈴を毛のなかに隠した。
狐の姿になると、帯につけた鈴は、首にぶら下げるようになってしまう。
いそいそと隠す枯野に、ソウビは、まあいい、と小さく笑って続けた。
「お前さん、物の分かったやつらの間じゃ、金の狼って呼ばれてんだ。
お前の実力は、見ているやつにはちゃんと分かる。」
「狼?
・・・俺は、狐だと・・・」
長老様も言ってくださって、とぼそぼそと口の中で付け足した。
「ったりめえだ。んなこた、分かってるよ。
あだ名だろ?狼みたいに強え、って。」
「・・・俺は、そんなに、強く、ないです。」
「謙遜も度を過ぎるとただの卑屈になるぞ?
お前、むこう山のカマイタチ、一匹で乗り込んで全滅させたんだろ?」
「あれは・・・椿も山茶花も来られなかったから・・・」
「いや、そこじゃねえ。
ってか、責めてねえ。
感心してんだ、って。」
「そうなん、ですか?」
実は昨夜遅く帰還し、長老に報告した枯野は、そこで少々、叱られたのである。
いくらなんでも無謀だ、と。
すっかりしょんぼりして帰ってきて、そのまま眠ってしまったのだった。
「もう少し実力を考えてお役目を請けろ、って・・・
けど、俺、なるべく手っ取り早く稼ぎたくて・・・」
「お前、花街の妓に入れあげてんだって?」
ソウビにずけずけ言われて、枯野は憤慨したように顔を上げた。
「入れあげる、とかじゃないです!
あの人は、俺の命の恩人だから。
なんとかして恩返ししたいって思ってるだけで。」
「恩返しか。まあ、らしい、よな。
けど、無茶はいけねえ。
怪我したら、恩も返せなくなるぞ?」
「・・・・・・。」
もっともなことを言われて、枯野はまたしょんぼりとうつむいた。
「長老様にも同じこと、言われました。」
「・・・お前、早く稼いで、そいつのとこ、行きたいんだよな?」
「・・・・・・。」
ソウビに言い当てられて、枯野は下をむいたままうなずいた。
「まあ、その気持ちは、分かる。」
ソウビは腕組みをしてうなずいてから、おや?と辺りを見回した。
「ウバラ?おい、ウバラ!どこ行きやがった?」
そういえば、さっきからソウビの言葉を繰り返していたウバラの姿が見えない。
枯野もきょろきょろと辺りを見回した。
すると、枯野の巣穴のなかから、うきゃきゃきゃきゃ、というウバラの笑い声が聞こえてきた。
「ウバラ!」
ソウビがその名前を呼ぶと、ウバラは、は~い、と返事をして巣穴から顔をのぞかせた。
ウバラの口元には黒い塊がいくつもこびりついている。
それを見たソウビは、げえ~、と顔をしかめた。
「おい、何、拾い食いしやがった?
こんなとこにあるモン、得体が知れねえだろ?
ったく、なんでもかんでも、拾って食うな、ってあんなに言ってんのに・・・」
「あ。
それ多分、俺が、昨日もらってきた饅頭だと・・・」
枯野が思いついて言った。
その瞬間、いきなり枯野の首元にウバラが飛びついた。
「まんじゅー?!」
首を絞められて、枯野がぐへっと声を上げる。
ソウビはあわててウバラを枯野から引き離そうとしたが、なかなかウバラは離れようとしなかった。
「まんじゅう!!!」
「・・・お、俺は・・・まんじゅうでは・・・あり、ま・・・」
「まんじゅう!よこせ!!」
さっきまでたどたどしくしゃべっていたウバラが、はっきりとそう言った。
それに、枯野もソウビも目を丸くした。
「おい、ウバラ。
そこは、よこせ、じゃねえ。
ください、か、せめて、ちょうだい、だ。
言い直せ。」
ソウビの凄むような声に、ウバラは、はっとしたように枯野から手を離した。
それから、ちんまりと枯野の前に座ってしょんぼりと言った。
「・・・ごめ・・・なさい。」
「あ、いや・・・」
「まんじゅう、ください。」
両手をついて頭を下げる。
そんなウバラに、流石の枯野も少し笑ってしまった。
「また今度、もらってきますよ。
そういや、椿と山茶花もあの饅頭は大好物だなあ。」
ふたりとも山のように積み上げたのをぺろりと平らげるのだ。
「・・・まんじゅー・・・」
ウバラは悲しそうにそう繰り返した。
また今度、というのがいつになるのか分からなくて悲しいらしかった。
そんなウバラを見ていたソウビは、よし、といきなり言った。
「その見世に今から俺を連れて行け。」
「え?」
「お前も、その見世には会いたいやつがいるんだろ?
ちょうどいいじゃねえか。
一緒に花街へ繰り出すとしようぜ?」
「え?いや、俺は・・・」
「つべこべ言ってねえで、早く支度しろ。
とりあえず、人の姿に変化しろ。」
「へんげしろ~。」
ウバラも嬉しそうに言った。




