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ふたりの禿は琴音と同じ部屋に寝起きして、四六時中、琴音の傍にいた。
これまで琴音の引き受けていた雑用は、ほとんどこのふたりがこなしてしまう。
しかし、それで琴音が暇になったかと言えば、そういうことはなかった。
朝起きてから、夜、寝るまで、ふたりは暇さえあれば、琴音に芸事や作法を仕込んでくれた。
これでは、どちらが行儀見習いなのか、分からない。
流石の琴音もそんなふうに思ったけれど、ふたりの真意は到底、推し量れなかった。
尋ねてみても、ふたりともはぐらかすばかりで、納得のいく答えは聞けなかった。
いや、椿はときどきうっかり何か言いそうになったけれど、いつも山茶花に止められていた。
そのうちに、ふたりの禿が噂になり、ぼちぼちとお客も訪れるようになった。
そうすると、琴音も本来の芸妓としての仕事が忙しくなっていった。
ふたりの禿を、琴音は日頃、お師さまと呼んでいた。
あるときそれをうっかり、客の前で出してしまった。
しくじったことに琴音は青くなったけれど、そのときの客は、そのことを面白がって喜んだ。
それ以降、しっかりした禿と、まだ青く初々しい芸妓の組み合わせとして、むしろ評判になった。
忙しい毎日のなかでも、琴音は少しでも時間があれば、枯野から預かった琴を弾いていた。
琴の音を誰にも聞かせてはならない。
それは老婆との固い約束だった。
しかし、見世は繁盛して、以前よりも人の出入りは多くなった。
そのために、琴音はあまり琴を弾く時間を取れなくなっていった。
見世が忙しくなったのと、枯野の訪れに間があくようになったのは、ほぼ同じころだった。
仕事が以前より忙しくなった、と枯野に言われて、琴音はひどく落胆した。
けれど、花街の芸妓には、待つことの外にできることはなかった。
毎日毎日が忙しく過ぎて行った。
それなのに、琴音は何故か、ぼんやりしていることが多くなった。
稽古をしていても、客の座敷に就いていても、いつの間にかぼんやりしてしまっている。
そんなときには、決まって、枯野のことを考えていた。
ゆらのとの
となかにふれる
なづのきの
はっと気づくと、そう口ずさんでいることも多い。
そうして、そんなときには、必ず、枯野の謡を思い出す。
風呂場から聞こえてきた、あの伸びやかな声。
それは幻聴となって、何度も何度も、耳の中に響いた。
さやりさやさや さやりさや
琴音はこの見世に来る前は、サヤという名だった。
枯野の声でその昔の名を呼ばれたような気がして、はっと振り返る。
そんなことを日に何度も何度も繰り返した。
朝、目を覚ませば、今日は枯野が来てくれるだろうかと考える。
夜、床に就くときには、明日は枯野は来てくれるだろうかと考える。
あのどこか不器用な、はにかむような笑顔が見たい。
ぼんやりしていると、きまって禿のどちらかに叱られて、なにか用をさせられるけれど。
用事の手を止めて、視線を彷徨わせる。
視線の端に、ちらりとでも、あの枯草色の髪が映らないか。
琴音さん、と呼ぶ、あの声が聞こえてこないか。
五感を研ぎ澄ませて、身構えて、琴音は枯野を待ち続けていた。




