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春の声を聴くころ、老夫婦の営む見世、花野屋に、新しい禿がふたりやってきた。
見世のたったひとりの常連客、枯野にいつもつき従っていたふたりの少女だ。
そっくりな稚児髷を結い、そっくり同じ花柄の着物を纏う、そっくりなふたり。
違っているのは髷の元結の紐の色だけ。
紅の紐をしているほうが椿。朱の紐をしているほうが山茶花。
しかし、その紐の色も、光の加減でよく見間違う。
その話を持ってきたのは枯野だった。
いつものように座敷に上がると、琴音が来るまでの間、老夫婦が話相手をしてくれる。
そこでおもむろに切り出した。
「あの、このふたり、このお見世に預かっていただくわけにはいきませんか?」
はい?と老夫婦は目を丸くした。
「・・・ご存知のように、うちにはとてもおふたりを買い入れる金子はございません。」
恐る恐るそう返したのは老爺だった。
それに枯野はぶんぶんと手を振った。
「いや、あの、金子は、いりません。
いや、むしろ、こっちが払わないといけないかと。」
枯野はそう言うと金貨のぎっしりつまった袋を取り出した。
「このふたり、よく食べますから。
こんなんじゃ足りないと思いますけど。
また持ってまいりますから。
しばらくはこれで、なんとか・・・」
「い、いやいやいや。そういうわけにはまいりませんでしょう?」
老爺は目を丸くして袋を押し返した。
「そもそも、おふたりの親御さんはどうお考えか?
大事な娘をふたり、花街に売ろうなどとは、よほどの事情でしょうか?」
老婆は横からそう言った。
すると、椿がにこにこと言った。
「親か?親などおらんぞ?
べつに、わしらは売られるわけではない。
って、いたっ!」
余計なことを言うなとばかりに、山茶花は椿の尻を思い切りつねった。
それから椿の発言にかぶせるように、にこやかに言った。
「わたしたちの親はおりません。
こちらには行儀見習いとして、しばらくの間御厄介になりたいと、そういうわけでございます。」
「行儀見習い?」
「ここに、か?」
呆然と繰り返す老夫婦に、山茶花はにっこり微笑んでうなずいた。
「枯野様になおいっそうよくお仕えするために、様々なことを学びたいと。
そのために、こちらで修行させていただきたく存じます。」
「なんとまあ。」
「しっかりしたお子だこと。」
目を丸くする老夫婦に、山茶花は、恐れ入ります、とゆったりと頭を下げた。
「修行するのはわれらではないぞ?
琴音の舞や謡。この際だから、茶道と華道も仕込んでやる。
もちろん、礼などいらぬ。
おじじの美味い飯を三度、それから美味い茶菓子も・・・むごむごむご。」
椿の口に拳骨を突っ込んで、山茶花は老夫婦ににっこり微笑んだ。
「こちらの金子は、わたしたちのお世話になることに対するお礼です。
どうぞお受け取りください。」
そう言って、枯野の出した袋を老夫婦のほうへ押しやる。
「もちろん、だからと言って、わたしたちは、こちらに客として参るつもりはございません。
修行なのですから、お見世の言いつけを守り、懸命に働きたいと思っております。」
そう言って、両手をついて頭を下げた。
「金子など、あっても困るものでもなかろうに。
もろうておけ。
この見世にはせいぜい、存続してもらわねば困るからのう。」
自由になった椿がまた余計なことを言いかけた。
山茶花は、伏せた顔をちらりと椿のほうにむけると、ちっ、と小さく舌打ちをした。
すると、椿は目を丸くし、ごくりと唾を呑んで、何故かおとなしく口を噤んだ。
「とまあ・・・ご迷惑かもしれませんけど、よろしくお願いします。」
不穏な空気の漂いかけたところで、枯野が困ったようにそうまとめた。
老夫婦は、はっとしたように枯野を見ると、曖昧に頷いた。
「なに、心配はいらぬ。
迷惑などかけはせんし、わしらはきっと役に立つ。」
「おじじさまのご飯は本当に楽しみにしております。
毎日それをいただけるなんて、嬉しくて仕方ありません。
それに報いるよう、精一杯、勤めさせていただきます。」
ふたりはにこにこと言った。
花野屋にやってきたふたりの禿のことは、じきに、噂になった。
いつも琴音について歩く、そっくりなふたりの美少女。
三人の姿は、実によく目を引いた。
そのうちに、見世物小屋に入る感覚で、見世を訪れる客も現れるようになった。
そしてその客たちは、いつも予想以上の感動を得て、帰ることになった。
とにかくあの禿は、ただものじゃない。
その噂はあっという間に花街に広がり、物見高い人々は、次々と見世を訪れるようになった。
かくして老夫婦の営む見世は、再び、繁盛し始めていた。




