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枯野と琴  作者: 村野夜市
31/124

幕間

遠い遠い海で、歌を歌っておりました。

いつからか、どのくらいの間かは、分かりません。

ただ、竪琴を弾きながら歌を歌うことが、なにより好きでした。


姉さまたちと暮らしたその暖かな海の記憶は、いつも胸のなかに灯る灯りです。


あるとき、二本足の男たちが大勢やってきました。

ニンゲンを惑わす悪い妖怪だと言われ、無理やり捕えられて、箱の中に入れられました。

外の見えない木箱のなかで、長い長い時を過ごしました。

木箱は何度もぶつけられ、ゆらりゆられて、どこかへ運ばれてゆきました。


どんなにひどく扱われても、木箱は結局、壊れませんでした。

ぎいぎいという音がして、木箱がこじ開けられたのは、見たこともないような異国の地でした。


お化粧をして裾の長い着物を着せられて、歌を歌うよう命じられました。

歌を歌っていれば、辛いことも忘れられました。

竪琴の音を聞けば、遠い故郷の海を思い出しました。

紙の壁でできた狭い部屋の、草を編んだ床の上で、わたしは歌を歌いました。


変わった歌を歌う者がいる。

そんな評判が立ったようでした。

それから、次から次へと男たちがやってくるようになりました。


たくさんの男たちが、来ては去り、来ては去り・・・

皆、熱に浮かされた目をして、言いました。

愛してる、君がほしい、俺のものになってくれ。

だけど、同じ男が二度来ることはありませんでした。


そこにはもう、あの海はありません。

どこまでもたゆたう波はありません。

ただ、繰り返し繰り返し、やってくるのは、濁った眼をした男たち。

耳に響くのは、口先ばかりの甘い言葉。


懐かしいあの海に帰りたかった。

潮騒をもう一度、聞きたかった。


あのヒトは、初めて、二度、来たヒトでした。

甘い言葉の一つも言わず、ただ、琴を弾いてほしいと言いました。


あのヒトの目は清んでいました。

三度、四度とやってきても、その目の濁ることはありませんでした。

そのうちに、そのヒトに逢うことが楽しみになりました。

そのヒトの前でなら、いつまでも歌っていたいと思いました。


けれども、そんな気持ちとは裏腹に、恐ろしさもまた感じ始めました。

いつか、あのヒトも、あんな濁った眼をして、甘い言葉を吐くようになるのかもしれない。

そうしてもう二度と会えなくなってしまうかもしれない。


最初は小さな種だった恐怖は、日に日に、大きく育ちました。

やがて大木になった恐怖は、心に根を張り、広がった枝葉は、希望の光を遮りました。


あのヒトが滅ぶ姿だけは見たくない。

とうとう、両の手をついて、懇願しました。


わたくしは、殿方を惑わす、悪い妖なのです。

どうか、もうこれ以上、わたくしの許へお通いになるのは、おやめください。


けれども、あのヒトは言いました。


わたしもまた妖です。

好いた相手を惑わすのは、わたしとて同じこと。

けれどももう、引き返すつもりはありません。

貴女とならたとえ滅んでも構わない。


わたくしも、貴方となら、滅んでも、構わない。


心と心の通じ合うのを感じました。

生まれて初めて、わたしは恋をしました。


けれども、わたしは妖でした。

人の世に妖はあってはならぬもの。

遠いところにいるこの国の王様は、とうとう、わたしを殺すことを家来たちに命じました。


わたくしを背に追って、彼は逃げてくれました。

山のなかの小さな庵に、ふたりで静かに暮らしました。


やがてわたくしは身ごもりました。

この身に宿った新しい命は、あの海のように暖かでした。

それはそれは、幸せでした。


月満ちて、愛しいわが子と引き換えに、わたくしは、命を落としました。

もちろん、悔いなどありません。

彼はわたくしに、海を返してくれたのですから。


愛しいわが子を、彼は、枯野と名づけました。

それは彼の国の、古い舟の名前でした。

遠く海原を行く舟。

彼とわたしの子にふさわしい名前でした。








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