幕間
遠い遠い海で、歌を歌っておりました。
いつからか、どのくらいの間かは、分かりません。
ただ、竪琴を弾きながら歌を歌うことが、なにより好きでした。
姉さまたちと暮らしたその暖かな海の記憶は、いつも胸のなかに灯る灯りです。
あるとき、二本足の男たちが大勢やってきました。
ニンゲンを惑わす悪い妖怪だと言われ、無理やり捕えられて、箱の中に入れられました。
外の見えない木箱のなかで、長い長い時を過ごしました。
木箱は何度もぶつけられ、ゆらりゆられて、どこかへ運ばれてゆきました。
どんなにひどく扱われても、木箱は結局、壊れませんでした。
ぎいぎいという音がして、木箱がこじ開けられたのは、見たこともないような異国の地でした。
お化粧をして裾の長い着物を着せられて、歌を歌うよう命じられました。
歌を歌っていれば、辛いことも忘れられました。
竪琴の音を聞けば、遠い故郷の海を思い出しました。
紙の壁でできた狭い部屋の、草を編んだ床の上で、わたしは歌を歌いました。
変わった歌を歌う者がいる。
そんな評判が立ったようでした。
それから、次から次へと男たちがやってくるようになりました。
たくさんの男たちが、来ては去り、来ては去り・・・
皆、熱に浮かされた目をして、言いました。
愛してる、君がほしい、俺のものになってくれ。
だけど、同じ男が二度来ることはありませんでした。
そこにはもう、あの海はありません。
どこまでもたゆたう波はありません。
ただ、繰り返し繰り返し、やってくるのは、濁った眼をした男たち。
耳に響くのは、口先ばかりの甘い言葉。
懐かしいあの海に帰りたかった。
潮騒をもう一度、聞きたかった。
あのヒトは、初めて、二度、来たヒトでした。
甘い言葉の一つも言わず、ただ、琴を弾いてほしいと言いました。
あのヒトの目は清んでいました。
三度、四度とやってきても、その目の濁ることはありませんでした。
そのうちに、そのヒトに逢うことが楽しみになりました。
そのヒトの前でなら、いつまでも歌っていたいと思いました。
けれども、そんな気持ちとは裏腹に、恐ろしさもまた感じ始めました。
いつか、あのヒトも、あんな濁った眼をして、甘い言葉を吐くようになるのかもしれない。
そうしてもう二度と会えなくなってしまうかもしれない。
最初は小さな種だった恐怖は、日に日に、大きく育ちました。
やがて大木になった恐怖は、心に根を張り、広がった枝葉は、希望の光を遮りました。
あのヒトが滅ぶ姿だけは見たくない。
とうとう、両の手をついて、懇願しました。
わたくしは、殿方を惑わす、悪い妖なのです。
どうか、もうこれ以上、わたくしの許へお通いになるのは、おやめください。
けれども、あのヒトは言いました。
わたしもまた妖です。
好いた相手を惑わすのは、わたしとて同じこと。
けれどももう、引き返すつもりはありません。
貴女とならたとえ滅んでも構わない。
わたくしも、貴方となら、滅んでも、構わない。
心と心の通じ合うのを感じました。
生まれて初めて、わたしは恋をしました。
けれども、わたしは妖でした。
人の世に妖はあってはならぬもの。
遠いところにいるこの国の王様は、とうとう、わたしを殺すことを家来たちに命じました。
わたくしを背に追って、彼は逃げてくれました。
山のなかの小さな庵に、ふたりで静かに暮らしました。
やがてわたくしは身ごもりました。
この身に宿った新しい命は、あの海のように暖かでした。
それはそれは、幸せでした。
月満ちて、愛しいわが子と引き換えに、わたくしは、命を落としました。
もちろん、悔いなどありません。
彼はわたくしに、海を返してくれたのですから。
愛しいわが子を、彼は、枯野と名づけました。
それは彼の国の、古い舟の名前でした。
遠く海原を行く舟。
彼とわたしの子にふさわしい名前でした。




