表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
枯野と琴  作者: 村野夜市
3/124

女衒に連れられて花街に着いたサヤは、その華やかさに目を丸くした。

どこもかしこも、高価な油を使った灯りを灯し、夜だというのに、街ごと明るく輝いている。

道行く人々は、男も女も皆着飾り、楽し気な笑い声を立てていた。


ここは話しに聞く極楽というところだろうか。

そんなことを考えながら女衒について歩く。

女衒は、きょろきょろと物珍し気に辺りを見回すサヤを、こっちにおいでと急がせた。


華やかな表通りを通り過ぎ、うら寂れた薄暗い通りに、その見世はあった。

あまりにもオンボロなその建物に、サヤは目を丸くした。

がらがらと音を立てて扉を引き開けると、女衒は見世の奥に向かって大声で呼ばわった。


「おおーい。姫さんを連れてきましたぜ?」


ほーい、と声がして姿を現したのは、少し腰の曲がった老爺だった。


薄暗い見世のなかに、往年の華やかさは、もう影も残っていなかった。

襖や衝立に描かれた絵は、色褪せ、ところどころ剥げている。

絵に描かれた美人も、どこか物悲しい幽霊のように見えた。

さっきのが極楽なら、ここは、お化けの棲む墓場だ。

子ども心にも、とんでもないところに連れてこられた、とサヤは思った。


老爺はにこにことサヤに話しかけた。


「おうおう、よう来られた。

 名は?なんという?」


「・・・サヤ・・・」


サヤはびくびくしながらも答えた。

老爺の笑顔は温かくて、なんだか仏様みたいだと思った。


「サヤ、か。

 しかし、ここではその名ではいかぬのう。

 さて、名はなんとしようか。

 サヤ・・・サヤ・・・清けし・・・清か・・・」


「あんたの名前は、琴音、だよ。

 それだけはもう、決めてあるんだ。」


そう言って姿を現したのは、年増を少し過ぎたくらいの妓だった。

ほっそりとしなやかな姿態は若柳の枝のようで、なんともいえぬ美しさを漂わせている。

寝ていたのか、少し乱れた髷や着物も、かえって、その姿に艶を付け足しているようだった。


「あたしは、風音。

 あたしの名から音を取って、あんたは琴音。

 いいね?」


姿に似合わぬぱきぱきとした物言いで、風音はそう宣言した。

そのときから、サヤは琴音になった。


「おうおう、太夫。

 寝ておらなくとも、いいのか?」


老爺は心配するように風音に駆け寄ろうとした。

しかし、足が弱っているのか、素早くは動けない。

その老爺に、こちらに来るなと言うように、風音はぴたりと手のひらを立てて見せた。


「今日は具合がいいんだ。

 それに、待ちに待った新しい禿が来るってのに、寝てなんかいられないよ。」


「確かに今日は太夫の顔色もよさそうだ。

 どうだい、この娘は?

 太夫のお眼鏡に適うといいがね。」


女衒は顔見知りなのか風音に気安く話しかけた。

風音はそれにゆったりと微笑んで返した。


「おじさんの目に狂いはないだろ?

 なにせ、このあたしを選んだものおじさんだからね?」


「ああ、確かにその通りだ。」


女衒は明るく笑うと、琴音のほうをむいて言った。


「このじいさまは、地獄で子どもを救う地蔵菩薩さまのようなお方だ。

 ここは一見お化け屋敷のようだが、表通りの似非極楽に比べれば、よほど極楽。

 お前様も、そう心得て、心底お仕えするとええ。」


琴音は神妙な顔で頷くと、風音を見上げて、知る限り一番丁寧に頭を下げた。


「よろしく、お願いいたします。」


目を上げると、風音の楽しそうな目と目が合う。

風音はにこにこと言った。


「あたしはもう働けないからさ。

 これからは、あんたがこの見世を守っていくんだよ?」


突然、背中にのしかかってきた重責に、琴音は目を白黒させた。

すると、風音は、おかしそうに、ははは、と笑った。


「なんてね。ウソウソ。

 まだもうしばらくは、あたしも頑張るからさ。

 あんたのこと一人前にするまではね。」


小さな妹をからかうように、風音は付け足した。


「なにせ、あたしの厳しいしごきに耐えられる娘を、って、おじさんにはお願いしといたからねえ。

 明日から、楽しみにしておいでよ?」


真に受けて、ごくり、と生唾を呑む琴音に、周りの大人はみな笑った。


「この娘なら、大丈夫だ。

 心根も真っ直ぐだし、芯も強い。

 なにより、優しい心を持っている。

 可愛がってやっておくれ。」


女衒はそう言い残すと、じゃあ、そろそろ、と言って帰っていった。

風音も、じゃあ、あたしも、と言って、脇の部屋へ入ろうとする。

けれど、その前で、ぴたりと足を止めると、振り返りもせずに言った。


「だから、じっちゃんは、こっち来なくていいって。

 伝染ったら困るから。

 後で、じっちゃんのおかゆ、いつもみたいに置いといて。」


それだけ言うと、後ろ手に手を振って、そのままぴしゃりと襖を閉めた。


琴音が隣を見ると、半分、腰を浮かせかけたまま、気まずそうに笑う老爺と目が合った。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ