28
妖狐の郷にある長老の館は、妖狐たちの長としての執務を行う場所でもある。
そこに住まうは、誰も本当の年を知らないほど長く生きた、全身白銀色に輝く老妖狐だった。
一族の長老としての役目はなかなかに大変なものだった。
郷に依頼された任務を妖狐たちに振り分け、その遂行を助ける。
その上に、郷の日常的な問題事の解決。
一筋縄ではいかない外の世界との交渉事も、長老の仕事だ。
長老の仕事を補佐をする狐も大勢いたが、最終的な決定をするのは長老であり、その責任も重い。
次から次へと難題は押し寄せ、休む暇もない。
ときには非情な決断を下さねばならないことも、理不尽を飲み込まねばならないこともある。
それでも郷の命運を担い、みなの命と行く末を守るために、老体に鞭打って、執務をこなし続ける。
その顔つきはいつも厳めしく、近寄り難い雰囲気を醸し出していた。
館の奥には長老の私室があった。
こじんまりとしたその部屋には、長老の身内と、ごくごく親しい旧友だけが訪れる。
執務中は厳しい顔をしている長老も、この部屋にいるときだけは、ただの好々爺になった。
今日、その私室に訪れていたのは、ふたりの童女だった。
ぱっと見た年のころは、十かそこらか。
お揃いの花柄の着物に稚児髷を結っている。
髷の元結の色がわずかに違うだけで、そっくりなふたりだった。
ふたりの前には、湯飲みに大きな茶瓶、それから山のように菓子が広げられていた。
ふたりは遠慮する様子もなく、次々に菓子を頬張っては、茶も自ら継ぎ足している。
一見すると、訪ねてきた可愛い孫と祖父の図、にも見えた。
ぱくぱくと菓子を食べながら、ふたりは長老になにやら話をしていた。
ふたりの様子はそれほど深刻そうではなかったが、長老のほうはかなり難しい顔をしている。
ふたりの話にときおり頷きながら、なにか考えこんでいるようにも見えた。
「・・・というわけじゃ。」
「しばらくは、様子を見守ろうと思います。」
話し終えたふたりは、湯飲みの茶を同時に飲み干すと、そそくさと立ち上がった。
そのふたりを引き止めるように、長老は声をかけた。
「お待ちください。
では、その妖物は、今、花野屋にあるのですね?」
「そうじゃ。
枯野は琴音に預けたからのう。」
「郷に持ち込むより安全かと。
それに枯野に持たせておくのも、よくないと思いますわ。
あの仔の血は、妖物と引き合ってしまいますから。」
「その花野屋、という場所は、安全なのですか?」
長老の質問に、ふたりの童女は顔を見合わせると、もう一度、そこに座り直した。
「安全かどうかは、正直、わしらにも分からん。」
「ここに置くよりはまし、としか言えません。」
「しかし、少なくとも、潮音はそこにおったのだし。」
「大勢にその音を聞かせるようなことをしなければ、大丈夫だと思いますわ。」
代わる代わる話すふたりを、長老は慎重に見つめていた。
ふたりはふーん、と同時にため息を吐くと、長老を説得するような顔になった。
「行方の分からぬままよりは各段に安全になったじゃろうし。」
「この世のどこかにあるのはいたしかたありませんし。
なにか問題を起こさぬよう、見守る他に手だてもないかと。」
「壊すことは、やはり難しいのですか?」
長老の質問にふたりは、うーん、と同時に唸った。
「あれだけの妖物じゃもの。
壊すとなると反動もすごいじゃろう。」
「下手をすれば国ごと滅ぼす、などということも、あるかもしれません。」
ふたりの回答に、長老はますます苦虫を嚙み潰したような顔になった。
「なんだってまた、そのようなものが持ち込まれてしまったのか。」
「物に罪はない。
神にも繋がろうというお方をかどわかし、この国に連れ込んだのは、余所者らの仕業。」
「迷惑だと言ってしまえばそうなのでしょうけれど。
持ち込まれたその力は、うまく使えば、強い護りの力にもなりましょう。」
ふたりは淡々とそう答えた。
そのふたりにむかって、長老は尋ねた。
「おふた方は、かの妖物の力を、本当に取り込めるとお考えか?」
ふたりは顔を見合わせてから、同時に頷いた。
「我らには、枯野がおる。」
「もしかすると、琴音もまた、重要な役割を果たすかと。」
「枯野・・・琴音・・・」
長老はその名を繰り返した。
ふと、その瞳が柔らかくなると、長老は役目を脱ぎ捨てた顔で、ふたりに問うた。
「あの仔は、枯野は、元気にしておりますか?」
「元気にしておるよ。
相変わらず、放っておけば、野良狐のような生活に戻ってしまうが。」
「近頃は、琴音によう思われたいと思うようになったのか、身形にも少しは気を遣うように。」
「食事は?ちゃんと摂っておりますか?」
「そこは、花野屋のおじじもおるからの。
あのおじじの料理はそれはそれは美味い。
十日と開けずに通っておるから、枯野の毛並みもすっかりようなったよ。」
「このお菓子もおじじさまが土産にと持たせてくださったのです。
どうぞおひとつ、召し上がれ。」
勧められて長老は饅頭をひとつ手に取った。
「ふむ。なるほど。これは美味い。」
「じゃろう?」
「わたくしたちの舌を虜にするなどと、小面憎いおじじさまですわ。」
ふたりの童女は顔を見合わせて、くくくと笑った。
「確かに。
齢五百年を越える古木の精霊をも満足させるとは。
なかなかに素晴らしい腕前ですな。」
「これ、乙女の年齢を軽々しく口にするでない。」
「貴方はいつまで経ってもそのような気遣いのできない仔狐ですわね。」
ふたりの童女に仔狐扱いをされて、長老は自らの額を叩いて笑った。
「これはこれは。まったくおふたりにはいつまで経っても敵いません。」
「当たり前じゃ。精進しやれ。」
「わたくしたちに勝とうなんて、百年早いですわ。」
ふたりはけろりと言ってのけた。
「しかし、そなたの懸念も、分からぬでもないのう。」
「ならば、わたくしたちが傍について見張るというのは如何でしょうか?」
「ほう、それはよいかもしれぬ。」
「禿としてなら、わたくしたちも花野屋に置いてもらえましょう?」
楽しそうに話すふたりに、長老は奇妙な顔になった。
「おふたりが、禿、ですか?
禿とは、たしか、見習い、というような者かと?」
「なんじゃ?文句があるのか?」
「この姿なら、問題ないかと。」
ふたりは長老にすごんで見せてから、いいことを思いついたように笑った。
「もっとも、実際には、見習いは我らではなく、琴音のほうじゃな。」
「ちょうどいいですから、琴音の謡や舞も、もう少し鍛えて差し上げましょう。」
ふふふ、と不穏な笑みを交わすふたりに、長老はやれやれという顔をした。
「おふたりとも、お年もお年ですから、どうかあまりご無理はなさらず。」
「なんじゃ?年寄り扱いするでない。」
「見た目なら、貴方のほうが、よほどジジイですわ。」
ふたりは、つん、と顔を背けた。
左右対称の鏡像のように揃った姿に、長老は丁寧に頭を下げた。
「郷の護りの精霊さまに、このような無理を申し上げて、本当に申し訳ありません。
しかし、こたびは、郷の一大事。
どうか、お力をお貸しくださいませ。」
途端にふたりはけろりと笑って、長老に言った。
「なんのなんの。わしらも久しぶりに外の風に吹かれて楽しいわい。」
「しばらく行かない間に、外の世界もずいぶん変わっておりますもの。
たまには刺激を受けるのもよいものです。」
それから上機嫌に帰って行った。




