表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
枯野と琴  作者: 村野夜市
25/124

24

枯野が見世を訪れるのはきまって早朝だった。

老夫婦は枯野を裏の私室に案内するけれど、枯野は、それはいつも固く固辞した。

代わりに、見世の一番いい座敷を取る。

そこで食事をして、少しばかり休憩をすると、いつも日の暮れる前には帰っていった。


いくらからだの大きな枯野といえども、大広間にぽつんと座っているのはなんとも寒々しい光景だ。

それでも、枯野はそこがいいと言って譲らない。

そうして帰りには、いつも部屋代として、多くの金子を置いていった。

見世としては、正直、これにたいそう助けられている、というのも事実だった。


老夫婦はそんな枯野を、せめて心を尽くしてもてなした。

老爺は若いころ、どこか有名な料亭で働いていたという経歴の持ち主だ。

その料理の腕は、いまだ衰えず、というより、なおいっそう進化していた。

客の舌に合わせて、塩加減や温度を、微妙に調節してみせる。

その能力を枯野へのもてなしに最大限活用したのである。


あまり感情を表には出さない枯野だったけれど、老爺の鋭い目は、その微妙な変化も読み取った。

好き嫌いもせず、出されたものは行儀よく平らげる枯野も、本当は酸味が少しだけ苦手だった。

それを見抜いた老爺は、枯野への料理の味付けを、微妙に変化させた。

結果、老爺の料理を食べる枯野は、少しばかり、行儀が悪くなってしまった。

あまりのおいしさに、箸が止まらず、礼儀も忘れて、がつがつと頬張るようになったからだった。


老爺の技には、口煩い使い魔たちにも、文句のつけようがないようだった。

幼い童女の姿をしているけれど、ふたりとも、びっくりするくらいよく食べる。

ましてや、老爺の絶品の料理となれば、際限なく、いくらでも入るようだった。


食べっぷりのいい三人に料理を作るのは、老爺にとっても楽しい仕事らしかった。

曲がりかけていた腰も、いつの間にかしゃんと伸びた。

あっという間にきれいに空になる皿を見ては、ますます腕を振るう。

すると老爺の料理は、もっと美味しく、もっと美しくなっていく。

それにつられて、枯野たちの食欲も、ますます増進していった。


長くひとり暮らしをしていた枯野は、自分のからだのことに気遣ったことはあまりなかった。

腹が減れば、狐の姿になって、木の実や草の実、野ネズミなどを獲って食べていた。

けれど、老爺の料理を食べるようになってから、肌や髪の色も、艶々と美しくなっていった。

こころなしか背も少し、また伸びたようだった。


最初、見世に来たころには、枯野の髪は、野原の枯れすすきが絡まったような状態だった。

あるとき、老婆は風呂を沸かして、枯野に入るように勧めた。

枯野は風呂に入っても、頭はざあざあと湯をかけるだけでろくに洗っていなかった。

老婆はそれを丁寧に洗い、櫛で解きほぐしてやった。

すると、それはまるで、波打つ金の糸のような美しい髪になった。

たっぷりと肩を覆いつくすその髪を、老婆は、綺麗な色の紐で結わえてやった。

たったそれだけのことで、枯野は見違えるような美しい若者になった。

その姿を見た全員、思わず言葉を失って、目を丸くした。


枯野のその姿に、老婆は、笑いながら目頭を抑えていた。

枯野の髪と瞳の色は、潮音にそっくりだったからだった。


琴音はまじまじとその枯野を見てから、はっとしたように目を逸らせた。

枯れ葉の絡まったぼさぼさ頭に日向くさい匂いのする枯野を、嫌だと思ったことはなかったけれど。

こんなに美しい姿を隠していたなんて、反則だと思った。

頬が熱くてたまらない。

思わず逃げ出して、井戸で何度も何度も顔を洗った。


もっとも、せっかく老婆が整えてやっても、数日すると、枯野の姿はまた元通りになってしまった。

そうしてまた見世にやってくるときには、頭に枯れ葉を絡ませた姿になっていた。

けれど、老婆にとっては、そんな枯野の世話をしてやるのも、また楽しみなようだった。


せめてものもてなしにと、琴音は、自らの芸のありったけを披露した。

枯野は、琴音の芸を、絶賛した。

惜しみなく拍手を送り、素晴らしいと連呼した。

それに琴音はずいぶん励まされる心地がした。


しかし、しばらくすると、琴音は、枯野の評価はあてにならないと思うようになった。

枯野は、何を見せても、舞の途中ですっころんでも、謡の調子を外しても、素晴らしいと手をたたく。

なんなら、くしゃみをしただけでも、今のくしゃみが素晴らしいなどというのである。


枯野とは反対に、使い魔たちの評価は辛かった。

謡も舞もぜんぜんなっていないと、平気で酷評した。

ただ、使い魔たちはそれだけでは済ませなかった。


「どれ、いっちょ、この椿さんが、お手本を見せて進ぜよう。」


そう言って踊りだしたのは椿だった。


「ならば、わたしは、謡いましょう。」


山茶花はそう言うと謡い始めた。


山茶花の謡に合わせて椿が踊る。

童女の形をしているのに、ふたりの謡や舞には華があった。

それをすぐに見抜いた琴音は、ふたりの前に手をついて頭を下げた。


「椿先生。山茶花先生。

 どうか、わたしに、謡と舞の稽古をつけてくださいませ。」


ふたりは一瞬顔を見合わせてから、にんまりと微笑んだ。


「うむ、よかろう。」

「このようなものでよろしければ、いくらでも、教えて差し上げますわ。」


ふたりはあっさりと快諾した。

先生と呼ばれたのが、まんざらではなかったらしい。


使い魔たちはなかなかに手厳しい師匠だった。

それでも、琴音はそれによくついていった。

広い座敷は、舞や謡の稽古をするには、ちょうどよかった。

老爺の料理を心行くまで堪能した後、そこは琴音の芸の稽古場になった。

かくして、琴音の芸にも、ますます磨きがかかっていった。


老爺の料理と琴音の芸と。

一年が経つころには、それを目当てに訪れる客も、ちらりほらりはあるようになった。

それもこれも枯野のお陰と、皆してそう言うのだった。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ