21
人でも殺しそうな殺気立った目をして、枯野は露天商の店先に立っていた。
その視線の先にあるのは、およそ、この形相の大男には似つかわしくない小間物たち。
色とりどりの飾り物や細工物だった。
さっきから、およそ小半時も、まるで動かぬ石像のように、枯野はここで立ち尽くしている。
石像でない証拠は、この寒いのに額から流れる滂沱の汗だ。
それから、ときどき、ぎょろり、と視線を動かす。
全身から立ち上る殺気に、通りかかる人々も何事かとこちらを見る。
そして、枯野の姿を見るや、関わりたくない、と足早に去っていった。
店主の京は、呆れた顔をして、枯野に声をかけた。
「ダンナ、それで、今回も、そのお嬢さんの好みは聞けなかったんっすか?」
「・・・・・・聞けなかった。」
蚊の鳴くような声で答えた枯野だったが、京はちゃんと聞き取っていた。
「それで、前回のも、だめだった、と。」
「・・・・・・だめだった。」
京はため息を吐いた。
このダンナ、どこかに思い人がいるらしい。
毎回、仕事の帰りに、その人に土産を買って帰るのだ。
しかし、その思い人はなかなかに気難しいらしく、一度も土産を気に入ってくれないそうだ。
この客が、ここへ来始めててから、もう一年近くになるだろうか。
はじめのころは、いつも童女の従者をふたり引きつれていた。
ひどい人見知りらしく、会話はいつもその従者を通してしていたのだけれど。
最近になって、ようやく、本人とも話せるようになった。
すると、従者は、主人をひとりここに残して、市に遊びに行くようになってしまった。
主人の守は任せた、というところだろうか。
今ごろ、どこかの露店で、買い食いでもしていることだろう。
最初に来たときから、あまりにも印象深い客だったので、買って行った物も全部覚えている。
品を変え、意匠を変え、色を変え。
京もいろいろと助言してきた。
けれど、そのどれひとつとして、気に入ってはもらえないらしい。
流石に、それは、細工師としての京の矜持にも関わる問題だ。
「なんで、好み、聞いてこないんっすか?」
気に入らないなら、気に入るものを作ってやろう。
京としてはそう思う。
けれど、このダンナ、大きなナリをして、蚤の心臓。
好みを聞き出すことすら、できないらしい。
「それができたら、苦労、しない・・・」
それでも、律儀なのかなんなのか、店を変えようとはせずに、毎回、京の店に来てくれる。
それに、京の言い値よりいつも多く払ってくれる。
京にとっては、悪くない客、お得意様、と言ってもいいかもしれない。
単に、知らない店に行くのが億劫なだけかもしれないが。
しかし、京としても、そろそろ手も尽きてきた。
さて、どうしたものか、と首をひねると、目の前の枯野も同じように首をひねった。
「それにしても、相当、気難しいお嬢さんなんっすね、ダンナの思い人って。」
「思い人ではなく、恩人だ。」
いやいや、これはもう、ただの恩人への手土産ではないだろう。
京はそう思ったけれど、黙っていた。
この一点だけは、枯野はどう言おうと譲らないからだ。
「気難しいわけじゃない。
あの人は、とても優しくて、慈悲深くて、道端の仔狐にでも・・・」
枯野は毎度繰り返すことをまたくどくどと言い始めた。
京は、そそくさと遮った。
「ああ、はいはい。
んで、どうします?
この、簪なんか、どうっすか?」
「・・・簪は、もう、十回、失敗した。」
「じゃ、この櫛は?」
「櫛は三十回、失敗した。」
結い紐の数を聞くのはやめておくことにした。
どうしたものか悩みつつ、京は、傍らに放り出してあった大きな貝殻を取り上げた。
先日、知り合いの古物商から押し付けられた貝殻だ。
貝殻には、琴のように、糸が張ってある。
しかし、ところどころ糸は切れていて、おまけに、どう鳴らしてみても、音はしない。
見た目はどうやら琴らしいが、琴としてはまったく役に立たない。
ならば、貝殻を剥いで、螺鈿の材料にしようと、引き取ってきたのだ。
貝殻は、光に映すと、なかなかに美しく輝く。
これはいいものができそうだと京も思っていた。
「ダンナ、こないだ、いい素材を手に入れましてね。」
京は貝殻を見せながら枯野に話しかけた。
「これで作りゃ、どんなものだって、それはそれはいいもんができると思うんっすけどね。」
枯野は、京の差し出した貝殻を手に取った。
そのときだった。
突然、貝殻は、いや、その琴は、得も言われぬ美しい音色を立てて鳴り出した。
「え?あれ?
お、俺は、何もしていない、はず・・・」
琴の音色に、辺りの人々は一斉に振り返る。
枯野は、琴を取り落としそうになりながら、情けない目を京にむけた。
「京殿。助けてほしい。」
「いや、助けるもなにも・・・それ、音なんかしなかったのに・・・」
京も、あわあわと慌てながら、枯野の手から琴を引き取った。
するとその途端、あれほど大きな音を立てていた琴は、すん、と黙り込んだ。
「あ?あれ?」
「ひとりでに鳴る琴などというものがあるとは、知らなかった。」
枯野は恐々と琴を見ている。
京も不思議そうに琴を矯めつ眇めつして確かめた。
「いや、鳴りませんぜ?ダンナ。
おいら、さっきから鳴らしてみてますけど。
いっこうに鳴りません。」
「・・・けど、さっきは・・・」
何気なく手を出した枯野の手に、再び琴が渡った瞬間、また、琴は大きな音で鳴り出した。
京は目を丸くして叫んだ。
「うっへ~、ダンナ、ダンナには、なにか、特別なことがおありなんじゃないっすか?」
「特別?
いや、そんな話は、聞いたこともない。」
驚いてまた取り落としそうになった琴を、枯野は、慌てて京に押し付けた。
「とにかく。俺が持っていると、人目を引く。」
「その言い方、なんか物騒っすけど。
まあ、確かに、その通りっすね。」
京はもう一度戻ってきた琴を、あちこちひっくり返しながら確かめた。
けれど、どう見てもそれはなんの仕掛けもない、壊れかけた琴だった。
「いやはや。驚かしてすいませんっした。」
軽く頭を下げて琴を仕舞おうとした京を、枯野は引き止めた。
「その琴、譲ってもらえないだろうか?」
「これを、っすか?」
京は怪訝そうに聞き返した。
「あの人は、名前に琴とつくんだ。
もしかしたら、琴なら喜んでくれるかもしれない。」
「ほう。」
京も一瞬、乗り気になったように見えた。
けれど、すぐにまた、その顔を曇らせた。
「しかし、これ、壊れてますし。
だいたい、ダンナ以外の人には鳴らせないでしょ?」
「京殿に鳴らせないだけだろう?
あの人には鳴らせるかもしれない。」
「・・・おいら、こう見えて、器用貧乏なたちでね?
琴だって、ちょちょいのちょい、くらいは弾けるんっすけどね?」
京は不満そうに返したが、まあ、いいか、と笑った。
「しかし、女人への贈り物にするには、こいつはちょいと、くたびれすぎてますね?」
「・・・確かに。」
「んじゃ、ダンナ、ダンナが次いらっしゃるまでに、おいらがこいつを直す、ってのはどうです?」
「直してもらえるのか?」
「お安い御用っすよ。」
京はにこにこと頷いた。
「ダンナにはいっつもお世話になってますしね。
誠心誠意心を込めて、この琴、直してごらんにいれます。」
「それは助かる。」
枯野も嬉しそうに言って、懐から金貨のいっぱいつまった袋を取り出した。
「前金はここに。
琴と引き換えに、後金も支払う。」
ずしりと重い袋を押し付けられそうになって、京は慌てて両手を振った。
「って、いやいやいや、前金も後金もいりませんって。
だいたいこれ、知り合いの古物商から、ただ同然で押し付けられた代物っすしね。
お代を頂いちゃ、罰が当たります。」
「罰は当たらない。
それに、直すのは、京殿の技だ。
技に対価を支払うのは当然のこと。」
「ダンナ、真面目っすねえ?」
京は肩を竦めて笑った。
「んじゃ、この琴をお渡しするときに、お代はいただきますよ。
もしかすると、直せないかもしれないしね。」
「直せない、のか?」
途端に不安そうになった枯野に、京はくすくす笑った。
「なんだ。よっぽどお気に召したようっすね?
いやいやいや、直しますよ。直しますとも。
これ、直せなきゃ、おいらの男がすたります。」
「頼む。」
ぐいと頭を下げた枯野に、へいへ~い、と京はにこやかに返事をした。




