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枯野と琴  作者: 村野夜市
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人でも殺しそうな殺気立った目をして、枯野は露天商の店先に立っていた。

その視線の先にあるのは、およそ、この形相の大男には似つかわしくない小間物たち。

色とりどりの飾り物や細工物だった。


さっきから、およそ小半時も、まるで動かぬ石像のように、枯野はここで立ち尽くしている。

石像でない証拠は、この寒いのに額から流れる滂沱の汗だ。

それから、ときどき、ぎょろり、と視線を動かす。

全身から立ち上る殺気に、通りかかる人々も何事かとこちらを見る。

そして、枯野の姿を見るや、関わりたくない、と足早に去っていった。


店主の京は、呆れた顔をして、枯野に声をかけた。


「ダンナ、それで、今回も、そのお嬢さんの好みは聞けなかったんっすか?」


「・・・・・・聞けなかった。」


蚊の鳴くような声で答えた枯野だったが、京はちゃんと聞き取っていた。


「それで、前回のも、だめだった、と。」


「・・・・・・だめだった。」


京はため息を吐いた。


このダンナ、どこかに思い人がいるらしい。

毎回、仕事の帰りに、その人に土産を買って帰るのだ。

しかし、その思い人はなかなかに気難しいらしく、一度も土産を気に入ってくれないそうだ。


この客が、ここへ来始めててから、もう一年近くになるだろうか。

はじめのころは、いつも童女の従者をふたり引きつれていた。

ひどい人見知りらしく、会話はいつもその従者を通してしていたのだけれど。

最近になって、ようやく、本人とも話せるようになった。


すると、従者は、主人をひとりここに残して、市に遊びに行くようになってしまった。

主人の守は任せた、というところだろうか。

今ごろ、どこかの露店で、買い食いでもしていることだろう。


最初に来たときから、あまりにも印象深い客だったので、買って行った物も全部覚えている。

品を変え、意匠を変え、色を変え。

京もいろいろと助言してきた。

けれど、そのどれひとつとして、気に入ってはもらえないらしい。

流石に、それは、細工師としての京の矜持にも関わる問題だ。


「なんで、好み、聞いてこないんっすか?」


気に入らないなら、気に入るものを作ってやろう。

京としてはそう思う。

けれど、このダンナ、大きなナリをして、蚤の心臓。

好みを聞き出すことすら、できないらしい。


「それができたら、苦労、しない・・・」


それでも、律儀なのかなんなのか、店を変えようとはせずに、毎回、京の店に来てくれる。

それに、京の言い値よりいつも多く払ってくれる。

京にとっては、悪くない客、お得意様、と言ってもいいかもしれない。

単に、知らない店に行くのが億劫なだけかもしれないが。


しかし、京としても、そろそろ手も尽きてきた。

さて、どうしたものか、と首をひねると、目の前の枯野も同じように首をひねった。


「それにしても、相当、気難しいお嬢さんなんっすね、ダンナの思い人って。」


「思い人ではなく、恩人だ。」


いやいや、これはもう、ただの恩人への手土産ではないだろう。

京はそう思ったけれど、黙っていた。

この一点だけは、枯野はどう言おうと譲らないからだ。


「気難しいわけじゃない。

 あの人は、とても優しくて、慈悲深くて、道端の仔狐にでも・・・」


枯野は毎度繰り返すことをまたくどくどと言い始めた。

京は、そそくさと遮った。


「ああ、はいはい。

 んで、どうします?

 この、簪なんか、どうっすか?」


「・・・簪は、もう、十回、失敗した。」


「じゃ、この櫛は?」


「櫛は三十回、失敗した。」


結い紐の数を聞くのはやめておくことにした。


どうしたものか悩みつつ、京は、傍らに放り出してあった大きな貝殻を取り上げた。

先日、知り合いの古物商から押し付けられた貝殻だ。

貝殻には、琴のように、糸が張ってある。

しかし、ところどころ糸は切れていて、おまけに、どう鳴らしてみても、音はしない。

見た目はどうやら琴らしいが、琴としてはまったく役に立たない。

ならば、貝殻を剥いで、螺鈿の材料にしようと、引き取ってきたのだ。

貝殻は、光に映すと、なかなかに美しく輝く。

これはいいものができそうだと京も思っていた。


「ダンナ、こないだ、いい素材を手に入れましてね。」


京は貝殻を見せながら枯野に話しかけた。


「これで作りゃ、どんなものだって、それはそれはいいもんができると思うんっすけどね。」


枯野は、京の差し出した貝殻を手に取った。


そのときだった。


突然、貝殻は、いや、その琴は、得も言われぬ美しい音色を立てて鳴り出した。


「え?あれ?

 お、俺は、何もしていない、はず・・・」


琴の音色に、辺りの人々は一斉に振り返る。

枯野は、琴を取り落としそうになりながら、情けない目を京にむけた。


「京殿。助けてほしい。」


「いや、助けるもなにも・・・それ、音なんかしなかったのに・・・」


京も、あわあわと慌てながら、枯野の手から琴を引き取った。

するとその途端、あれほど大きな音を立てていた琴は、すん、と黙り込んだ。


「あ?あれ?」


「ひとりでに鳴る琴などというものがあるとは、知らなかった。」


枯野は恐々と琴を見ている。

京も不思議そうに琴を矯めつ眇めつして確かめた。


「いや、鳴りませんぜ?ダンナ。

 おいら、さっきから鳴らしてみてますけど。

 いっこうに鳴りません。」


「・・・けど、さっきは・・・」


何気なく手を出した枯野の手に、再び琴が渡った瞬間、また、琴は大きな音で鳴り出した。

京は目を丸くして叫んだ。


「うっへ~、ダンナ、ダンナには、なにか、特別なことがおありなんじゃないっすか?」


「特別?

 いや、そんな話は、聞いたこともない。」


驚いてまた取り落としそうになった琴を、枯野は、慌てて京に押し付けた。


「とにかく。俺が持っていると、人目を引く。」


「その言い方、なんか物騒っすけど。

 まあ、確かに、その通りっすね。」


京はもう一度戻ってきた琴を、あちこちひっくり返しながら確かめた。

けれど、どう見てもそれはなんの仕掛けもない、壊れかけた琴だった。


「いやはや。驚かしてすいませんっした。」


軽く頭を下げて琴を仕舞おうとした京を、枯野は引き止めた。


「その琴、譲ってもらえないだろうか?」


「これを、っすか?」


京は怪訝そうに聞き返した。


「あの人は、名前に琴とつくんだ。

 もしかしたら、琴なら喜んでくれるかもしれない。」


「ほう。」


京も一瞬、乗り気になったように見えた。

けれど、すぐにまた、その顔を曇らせた。


「しかし、これ、壊れてますし。

 だいたい、ダンナ以外の人には鳴らせないでしょ?」


「京殿に鳴らせないだけだろう?

 あの人には鳴らせるかもしれない。」


「・・・おいら、こう見えて、器用貧乏なたちでね?

 琴だって、ちょちょいのちょい、くらいは弾けるんっすけどね?」


京は不満そうに返したが、まあ、いいか、と笑った。


「しかし、女人への贈り物にするには、こいつはちょいと、くたびれすぎてますね?」


「・・・確かに。」


「んじゃ、ダンナ、ダンナが次いらっしゃるまでに、おいらがこいつを直す、ってのはどうです?」


「直してもらえるのか?」


「お安い御用っすよ。」


京はにこにこと頷いた。


「ダンナにはいっつもお世話になってますしね。

 誠心誠意心を込めて、この琴、直してごらんにいれます。」


「それは助かる。」


枯野も嬉しそうに言って、懐から金貨のいっぱいつまった袋を取り出した。


「前金はここに。

 琴と引き換えに、後金も支払う。」


ずしりと重い袋を押し付けられそうになって、京は慌てて両手を振った。


「って、いやいやいや、前金も後金もいりませんって。

 だいたいこれ、知り合いの古物商から、ただ同然で押し付けられた代物っすしね。

 お代を頂いちゃ、罰が当たります。」


「罰は当たらない。

 それに、直すのは、京殿の技だ。

 技に対価を支払うのは当然のこと。」


「ダンナ、真面目っすねえ?」


京は肩を竦めて笑った。


「んじゃ、この琴をお渡しするときに、お代はいただきますよ。

 もしかすると、直せないかもしれないしね。」


「直せない、のか?」


途端に不安そうになった枯野に、京はくすくす笑った。


「なんだ。よっぽどお気に召したようっすね?

 いやいやいや、直しますよ。直しますとも。

 これ、直せなきゃ、おいらの男がすたります。」


「頼む。」


ぐいと頭を下げた枯野に、へいへ~い、と京はにこやかに返事をした。



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