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そのときだった。
枯野の懐からなにやらぽろりとこぼれ落ちた。
あ、と言って琴音が手を伸ばす。
もちろん、その位置からは到底届かないけれど。
枯野はその琴音の仕草につられて、自分の膝の上を見た。
「あ。ああ。これ。」
それは来る途中で買った手土産の櫛だった。
枯野は櫛を拾い上げると、ついてもいない埃を袖口で拭った。
それから、無造作に琴音のほうへ突き出した。
「手土産には、こういうものがいい、とか・・・」
琴音は恐る恐る近づいてくると、差し出された櫛を受け取った。
それは、見事の螺鈿の細工の櫛だった。
そこに描かれた文様に、琴音ははっとした。
それは、昔、女衒に買ってもらった櫛にどことなく意匠が似ていた。
あの、助けた仔狐の代わりに、置いてきた櫛だった。
それにしても、この櫛の細工は見事だった。
確かに絵柄はよく似ていたけれど、細工の良し悪しで言えば、こちらのほうが間違いなく上だ。
七色に輝く螺鈿を光にかざして見ると、あまりの美しさに、思わずため息が漏れるほどだった。
櫛を眺める琴音の様子を枯野はじっと見つめていた。
それはまるで、試験の結果を待つ仔狐のようでもあった。
うまくいくといい。けれど、自信はまったくない。
琴音を見つめる枯野の顔には、くっきりとそう書いてあるようだった。
客にもらったものは、その場で身につけてみせるのが芸妓の礼儀。
風音からはそう習っていた。
けれど、琴音はその櫛を髪に挿すことはできなかった。
よくよく櫛を眺めてから、琴音は大切そうにそれを両手で包んで枯野を見た。
「このような品、わたしの身には余ります。」
琴音の言った言葉の真意が分からなくて、枯野は首を傾げた。
それに琴音は続けて言った。
「いつか、わたしが、この櫛にもふさわしいような立派な芸妓になれましたら。
そのときは、これをつけて舞い、謡いたいと存じます。」
琴音は大事そうに櫛を両手で包むと、そのまま懐にしまい込んだ。
枯野はそれをじっと見つめていたが、あえて何も言おうとはしなかった。




