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枯野と琴  作者: 村野夜市
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視界の端に映った髪に、ふとそちらを見た琴音は、緑色の瞳と目が合って、そのまま立ちすくんだ。

特徴のある容姿をしているし、見間違えるはずもない。

それは、先日、琴音のことが心配だと言って訪れた、一見の客だった。


この南天は霊験あらたかなどこかの社の木の枝かなにかだったのかしら。

けれど、霊験あらたかな社の木など切ったりしたら、罰が当たるかも。

頭の隅っこで、琴音はそんなことをぼんやりと考えていた。


会いたいと願っていた人が、たった今、目の前にいる。

嬉しくて、びっくりして、一瞬、まともな動きも思考も止まってしまう。


客人のほうも驚いたような顔をして、琴音のほうを見ている。

切れ長の目の奥の瞳は、小さな翡翠の玉のようだ。

あまり見ない色の瞳だけれど、とてもきれいだと思った。


客人は先にそっと目を伏せて、琴音から視線を外した。

ずっと見ていられる玉石のような瞳を隠されて、琴音は何故か、ひどくがっかりした。

すると、客人は、なにかはっとしたように顔を上げた。

それから、いきなり、つかつかと琴音のほうに歩み寄ってきた。


目の前に立たれると見上げるほどに大きい。

全身から熱気が放たれているようだ。

客人は、琴音から腕二本分くらいの位置にくると、そこに立ち止まって口を開いた。


「あ。その・・・」


それだけ言ったきり、あとが続かない。

ただ、そのままそこに微動だにせずに立っている。

暑くもないのに、額からは滂沱の汗が滴り落ちていた。


すると、その両脇から、可愛らしい童女がふたり、ひょこひょこと顔をだした。


「うちのあるじがなんともすまぬことだ。」

「あるじさまは、緊張してお口がきけぬようです。」


ふたりはしっかりとした口調でそう言った。


年のころは、十かそこらか。琴音がここの見世に連れて来られたときと同じくらいだろうか。

髪はお揃いの稚児髷に結い、着物もお揃いの花の柄。

髷を結う元結の色がほんのわずかに違うだけで、あとは瓜二つなふたりだった。


「わしら、長旅から戻ったばかりゆえ、少々疲れておる。」

「こんな時間ですけれど、休ませてもらえませんか?」


花街の見世が始まるのは夜からと決まっている。

こんな早朝から開いている見世はない。

前夜から泊まりの客なら、まだまどろみのなかにいるだろうけれど。

こんな時間から上がらせてくれと言う客など、非常識もいいところだ。


「あ。少々、お待ちください。」


琴音は慌てて見世のなかに引き返していった。

琴音とて、まだ化粧も着替えもせずに、普段着のまま掃除をしていたのだ。

とてもではないが、客を迎えらえる状況ではない。

それでも、何故か、今ここで、この客を断りたくはないと強く思った。


老爺に相談すれば、きっとなんとかしてくれる。

琴音の胸にはそんな期待があった。


琴音が見世の奥へと戻ると、枯野は、その場で、はあ、と深いため息を吐いた。

実は、忘れていた呼吸を、ようやく思い出したのだ。


南天に手を合わせる琴音を見つめていたら、思いがけず、目が合ってしまって。

そこから目を逸らせることができなくなった。

細い三日月型の眉も、清んだ黒い瞳も、記憶にあるそのままだ。

もっとも、この間訪れたときから、まだひと月ほどしか経っていないけれど。


胸のなかに、息苦しいほどの幸福感が込み上げる。

喘ぐように呼吸をして、枯野は、ぶんぶんと頭を振った。

だめだ。これではただの不審者だ。

そうでなくても、自分の身形は人を怯えさせるらしい。

けれど、琴音にだけは怯えられたくなかった。


仔狐だったころにはそれほどでもなかったが、ここ数年、枯野はすくすくと成長した。

すくすくと、すくすくと、多少、自分でも迷惑に感じるほどにすくすくと。

背も伸び、からだも大きくなった。

狐の姿をしていても、郷の狐たちよりだいぶ大きいし、人に変化するとなおさら大きい。

最近は、大きいことも郷の狐たちに嫌な顔をされる理由になっていたりする。

枯野は、いつも少し背中を丸めて、なるべく小さくなろうとからだを竦めるのが癖になっていた。


ため息を吐く枯野を見て、ふたりの使い魔は顔を見合わせた。


「なるほど。分かりやすいのう。」

「あるじさま、分かりやす過ぎます。」


「むこうも、まんざらでもなさそうじゃが。」

「これは、先行きが楽しみですねえ。」


こそこそとそう囁きあって、なにやら意味ありげな笑みを浮かべた。


そこへ、見世の奥から、琴音に連れられてひとりの老婆が現れた。

日頃は見世の奥向きの仕事に従事していて、あまり客の前に姿を現すことはない。

けれど、今は非常事態だし、手の離せない老爺に代わって、客の応対をしようと出てきたのだった。


老婆は、見世の前に立ちはだかる小山のような大男を見上げた。

あまりに高いところに顔があるので、腰に手を当ててそっくり返ると、そのまま後ろに倒れそうになる。

慌てて手を出して老婆を支えようとした枯野と、老婆の見開いた目が合った。

その瞬間、老婆は、驚いたように声をあげた。


「潮音?!」


「え?」


枯野は聞き返しながらも、老婆のからだを倒れないように捕まえた。

枯野に抱きかかえられたような姿勢のまま、老婆はもう一度言った。


「潮音?

 ・・・いや、そんなはずはない・・・けど・・・」


「母さんを知ってるんですか?」


そう尋ね返した枯野を、老婆はもう一度まじまじと見つめた。









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