12
父の古い知り合いだという古木の精霊は、結局、押し掛け使い魔になって居ついてしまった。
長いこと巣穴で呑気な独り暮らしをしていたが、これはこれで悪くはなかった。
風呂に入れ、着物を洗えと、あれこれ口煩く言われるのには多少、閉口したけれども。
使い魔たちは、先回りして何やかやと枯野の世話を焼いてくれる。
それは父と一緒に暮らしていたころとは少し違う賑やかさだった。
母親というものは、もしかしたらこんな感じだろうか、とちょっと思った。
使い魔たちはお役目にももちろん、ついてきた。
それが使い魔というものだと言われたら、断る理由もない。
それにしても、この使い魔たちは強すぎた。
「ふん。こんな雑魚、わしなら、ちょちょいのちょーい、じゃ。」
「今の、ちょちょいのちょーい、の、ちょ、のところで、消滅してましたね。」
「なんじゃ、骨のない。
もちょっと、強いのはおらんのか?」
「悪霊、おかわりする使い魔は、迷惑なだけですね。」
というわけで、お役目のほうも、すっかり助かってしまった。
お役目の後、毎回、そそくさと家に帰る枯野を、あるとき、ふたりは意味ありげな目で見つめた。
「そういえばおぬし、花街には寄らんのか?」
「お役目の帰りには花街によって、朝までどんちゃん騒ぎ、ですよねえ?」
よもやまさか、使い魔に花街行をねだられるとは思わなかった。
枯野はごくりと唾を呑んでから、急いで首を振った。
「お、俺は、そういうのは、その・・・」
「なんじゃ、おぬし、酒を飲めんのか?」
「そんなはずはないでしょう?
由良も酒には強かったはずですし。
母御は花街の方でしょう?」
「母さんは、花街の人、だったんですか?」
驚いて聞き返した枯野に、なんじゃ、知らんかったのか、と椿は軽く言った。
「妖狐が人を見染めるなど、花街以外、どこでやるのじゃ?」
「そうですねえ、お役目がらみ、ということも、ないことも、ない?」
「お役目がらみはまずかろう。商売相手に手を出してどうする。」
「そこはそれ、危機を乗り越えた男女となれば、手に手を取って、逃避行~・・・」
わいわいと勝手にやり始めた使い魔たちは放っておくに限る。
最近は、多少は扱いも心得てきた。
しかし、母親が花街の妓だったとは枯野も知らなかった。
父親は、母の話をしてくれなかったわけではない。
山に咲く竜胆を見つけたときの母の様子とか。
若菜摘みに行って、寒いなか、一日中、若菜を探し回ったときのこととか。
それこそ、母の表情から、仕草から、微に入り際にわたって、事細かく、話し尽くしてくれた。
どんな声で、どんなふうに話したのか。
何を見て、どんなふうに目を輝かせたか。
身振り手振り、声真似に図解まで取り交ぜて、それはそれは詳しく話してくれた。
ことに、枯野がお腹に宿ったときや、お腹の中で育っていったときのことは、またすごかった。
それこそ、その間の出来事すべてを語って聞かせてもらったと言っても、過言ではないだろう。
しかし、実は父は、母のすべてを話してくれていたわけではなかったのか。
使い魔たちの話を聞いて、枯野はそう思った。
それにしても、花街というのは、どうにも敷居が高い。
うっかり一度だけ行ってしまったが、あれ以来、足を踏み入れていない。
琴音のことは気になったから、仔狐に頼んで花は届けさせていたけれども。
むしろ、自分はもう二度と、行くことはないと決めていたのだ。
「酒なら、厨に置いてあります。
肴も、いつもの食事でじゅうぶんに美味い。」
「家で飲むのも悪くはない。
けどのう・・・たまには、賑やかなのも、のう?」
「歌舞音曲の類も、教養のひとつですよ?」
ふたりして両方から袖に縋る。
「おふたりがいればじゅうぶんに賑やかです。」
枯野は袖ごとふたりをひきずった。
ずるずるとひきずられながら、ふたりはウソ泣きをする。
「えーん、えーん、ご主人様が、遊ばせてくれないよお。」
「あるじさま、意地悪ですぅ。」
童女の大きな泣き声に、何事かと道行く人々が振り返る。
枯野は焦った。
「ちょ、やめてください。
人が見るじゃないですか。」
「やめてほしけりゃ、連れて行け。」
「連れて行ってくだされば、いつでもやめてさしあげます。」
完全に脅している。
「だいたい、おふたりみたいな子どもの姿で花街になんか入れませんよ。」
枯野はなんとか言い逃れようと必死に言い訳を探す。
しかし、それは、無駄な言い訳だったようだ。
「子どもでなけりゃよいのか?」
「それは、お安い御用です。」
ふたりは袖にとりついたまま、どろん、と変化した。
「ねえねえ、おにいさん、ちょっと、寄ってかない?」
「おにいさん、わたしたちと、遊びましょ?」
「う、わっ!ちょっ!やめ、やめてくださいっ!」
熟女に両方から弄ばれて、枯野はさっきより大きな悲鳴を上げた。
そこへ使い魔たちは追い打ちをかける。
「ねえねえ、おにいさん、行こうよぉ。」
「ねえねえ、おにいさん、行きましょうよぉ。」
甘えるように袖に縋りつき、枯野の顔を下から覗き込む。
鼻にかかった甘たるい声を作り、わざと周囲にも聞こえるように言う。
「「お・に・い・さ・ん・って・ばあ」」
辺りの人たちはちらりとこちらを見てから、冷笑する。
端から見れば、昼間っから美女ふたりに挟まれた色男、の図に見えるのかもしれない。
もちろん、それは事実とはまったく逆のことだったけれども。
周囲の冷たい視線に耐えかねて、枯野はしぶしぶ承知した。
「・・・分かりました。行きますよ。」
途端にふたりは、やったあ、と嬌声を上げた。
枯野は心底疲れ果てた顔になった。
「俺の知ってる見世は一軒しかありませんけど。」
「そこでよい。」
「そこでいいです。」
「そこなら、別に元の姿でいいですよ。」
「それは助かる。」
「それは助かります。」
「あんまり妙なことはしないでくださいね?」
「妙なこととは、なんじゃ?」
「大丈夫、心得ております。」
はなはだ不安に駆られつつ、枯野はふたりを琴音の見世に連れて行くことにした。




