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枯野と琴  作者: 村野夜市
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やっぱり、ここにいたか。


自分以外の声を聞いたのはずいぶん久しぶりだ。

はっとして顔を上げた枯野の前にいたのは、見覚えのないひとりの少年だった。


「貴方は?」


「ウサギ穴の管理人にして、冥府の番人だよ。

 君を迎えにきた。」


「冥府の番人?

 そうか。とうとう、俺は・・・」


「あ、勘違いしないでおくれ。

 冥府に連れて行くわけじゃないよ。

 だいたい、あそこは生きてる者の行く場所じゃない。

 まったく、生きているやつを連れて行くとろくなことがないからね。

 ゆっくり眠っている者らを引っ搔き回すばっかりで。

 ああ、いや、これは、余計なことだったね。」


ぶつぶつ言う少年の後ろから、いきなり誰か飛び出してきて、枯野の首にしがみついた。


「枯野!

 どこを探してもいないと思ったら、こんなところにいたのか。」


あたたかいその腕と、よく知った声に、枯野はぴくりとからだを動かした。


「ソウビ、さ・・・?」


「俺、反魂の術までやったんだぞ?

 そんなものに頼っても、もう一度お前さんに会いたくてね。

 けど、何回やっても、お前さんは現れないし。

 じじいにはこっぴどく叱られるし。

 もうお前は巣穴から出てくるなって、閉じ込められてね。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 とにかく、お前さんを見つけられてよかった。」


「反魂の術なんて、そうほいほいやられちゃ、僕が大迷惑なんだよ。」


少年はむっつりと言った。


「しかし、死んでないのに、この世界には気配を見つけられないって言うから。

 それで思い出したんだ。

 まったく、ウサギ穴に隠れるなんて、よく思いついたもんだ。

 ここはかくれんぼをするためにあるんじゃないんだけどね?」


「・・・すいません・・・」


枯野は素直に頭を下げた。


「俺も、どうしていいか分からなくて・・・

 琴音さんに俺の死骸なんて見せたくなかったから、ここに逃げ込んだまではよかったんですけど。

 待てど暮らせど、息は止まらないし・・・

 そのうちに、傷も癒えてしまって・・・

 結局、死にぞこなってしまいました・・・」


「バカ野郎!

 生きててよかったじゃないか・・・」


かれのぉ、とソウビはすがりついたまま、おいおい泣いた。

枯野は、ちょっと困ったように笑って、それから、はい、と頷いた。


「俺じゃあ、お前さんをこの世に引き止めるにゃあ、役不足かもしれねえ。

 けど、お前さんには琴音がいるだろ?

 琴音のために、生きようと思わねえのか?」


「・・・思います。

 ずっと、そうしてきました。

 けど、傍にいたら、琴音さんを危ないことに巻き込んでしまうから・・・」


「琴音、ねえ・・・

 あの娘、今、結構、大変なことになってるよ?」


え?と聞き返す枯野の前で、少年は手首につけた数珠の玉を一つ千切って放り投げた。

玉はみるみる大きく広がって、闇のなかに円い窓を開いた。


窓には琴音の姿が映っていた。

枯野は思わず駆け寄って、窓に手をつくと、食い入るように見つめた。


そこは花野屋の琴音の部屋だった。

見覚えのある物入れが部屋の隅に置いてあった。

琴音は柱にもたれて、人形のように座っていた。

その目は虚ろな穴のようで、何も映してはいなかった。


「・・・琴音さん?」


想像もしなかった琴音の様子に、枯野は呆然とした。

こんなはずではなかった。

自分という危険の去った琴音は、健やかに明るく暮らしているだろうと思っていたのに。


「あの娘の心のなかから、君は君という存在をすべて消してしまった。

 だけど、君のことは、あの娘の心の奥深くまで、たくさんの場所を占めていた。

 それを無理矢理消したんだから、あの娘は、心を半分以上も失ったも同然だ。

 まあ、ああなっても、仕方ないよね。」


少年は淡々と言った。


「そんな・・・俺は、こんなつもりは・・・」


「なかった?

 まあ、そうだろうけど。

 けど、君は間違いを犯した。

 君は、あの娘の言葉を信じてやらなかった。

 あの娘は君に、どうにかして、自分の心からの思いを伝えようとしたのに。

 そんなものは呪いだ幻だと断じたのは君だ。

 あの娘の心を壊したのは君だよ。」


罪を断じられて、枯野は愕然と膝をついた。


「俺は・・・そんな・・・琴音さんの心を・・・俺が、壊した・・・?」


呆然と呟く枯野の肩にソウビは手を置いた。


「いや、まだ間に合う。

 枯野、帰ってやってくれ、琴音のところに。

 琴音を救ってやれるのは、お前さんだけだ。」


枯野は頼りない目をしてソウビを見上げた。


「けど、俺は琴音さんの心を操るだけじゃない。

 俺といれば、琴音さんは命を縮めてしまうんです。」


「セイレーンに恋をした人間は、命を縮める、だっけ?」


少年はどこか冷ややかに言った。


「僕の知り合いに、昔、セイレーンに本気で恋をした愚かな奴がいるんだけどさ。

 そいつは命を縮めるどころか、病気がちだったのが、ずいぶん丈夫になったんだよ。

 まあ、それでも、年を取ってあちこちガタもきはじめて。

 そろそろ冥府に連れて行くかなって、思ってたところに、もう一度セイレーンが現れて。

 あら不思議。またまたぴんぴん元気になったんだよね。」


少年は揶揄うように枯野を見上げた。


「言い伝えってのは、半分くらい信じる、でちょうどいいんじゃないかな。

 ってことは、半分くらいは嘘だと思っていいと、僕は思うよ。」


揶揄うような瞳に、励まし、勇気づける色が混じる。


「みんな、君を困らせよう、君を不幸にしようとして、そう言ったわけじゃないよ。

 君を不幸から遠ざけよう、辛い思いをさせたくない、そう思ったんだろうよ。

 だけどさ、君の幸せは、君自身が選ぶべきだ。

 どうして、君は愛されないなんて思うの?

 君がセイレーンだろうとそうでなかろうと、君自身を愛する人がいるとどうして信じないの?」


ソウビも枯野の胸元を掴んで、ぐらぐらとゆすった。


「確かに、先のことは分からねえ。

 分からねえから、不安になるのも、仕方ねえ。

 けど、その分からない未来のために、どうして今を壊す必要がある?

 それは、琴音の心を壊してまでやることじゃねえだろ?

 未来は分からねえなら、ここにある今を、大事にすりゃあいいじゃねえか。」


「たとえ時間は短くなったとしても、その間一緒に幸せに生きるか。

 それとも、長い時間を互いにばらばらになって虚ろに生きるか。

 まあ、選ぶのは、君たち自身だけれども。」


少年は年に似合わないため息を吐いた。


「少なくとも、こうして生きているんだから、君はいつまでもこんな暗闇のなかにいるべきじゃない。」


少年は枯野が大事に握っている光の玉のほうへ顎をしゃくってみせた。


「君だって、闇より光がいいんだろう?

 だからそれを、そんなに大事そうに握っているんだろう?

 だったら、いい加減諦めて、現実に還るんだ。」


枯野は手の中の玉を見つめた。

ずっと暗闇のなかで見つめ続けた小さな光を。


「俺は、この暗闇のなかで、この光だけを頼りにしていました。

 これは、琴音さんが最後に流した涙の粒です。

 琴音さんの心を壊したのは、俺なのに。

 この闇のなかで、俺を守ってくれたのは、琴音さんの涙だった。」


枯野は悔しそうに声を振り絞った。


「俺なんかに出会ってしまったばっかりに、琴音さんは、不幸になったんです。

 普通の人間ならしなくていいような怖い目に合ったり、その身に危険が迫ったり。

 それでも、ずっと傍にいて護りたいって思ってました。

 けど、傍にいれば、琴音さんの命を縮めてしまうんなら。

 もう、俺なんか、いないほうがいい。

 俺はこんなにたくさん、琴音さんから幸せをもらっているのに。

 琴音さんに俺があげられるものは、不幸にすることだけだなんて・・・」


いきなりソウビにゲンコツで殴られて、枯野ははっと口を噤んだ。


「自分に、なんか、をつけるな、と言っただろう?

 俺なんか、って言うたびに、それは、お前のことを大事に思う人たちまでも貶めるんだぞ?」


ソウビは怖い顔をして枯野を睨んでから、ふっと力が抜けるように微笑んだ。


「少なくとも、お前さんといるときの琴音は、不幸だとは思わなかったけどね。

 いっつも、幸せそうにお前さんを見上げてたじゃねえか。」


「あの娘が不幸だなんて、どうしてそんなこと決めつけてるの?

 あの娘が幸せかどうかは、あの娘が決めることだろ?

 他人の気持ちを決めつけるのは、君の悪い癖のようだね。」


少年に言われて、枯野はしょんぼりと下をむいた。


「君は、君が思うより、大勢の人から、大切に思われているよ?」


そう言って、少年はどこからともなく大量の紙の束を取り出した。


「大勢の者が、君に還ってきてほしいと、祈っている。

 それは、ずっしり重たい嘆願書になって、僕の元に届くんだよ。

 まったく、書類仕事を増やさないでほしいんだけど。

 椿の舞を見に行く暇がなくなるだろ?」


少年は紙束を枯野に押し付けた。

はらはらとめくれる紙に書かれているのは、これまで枯野が関わってきた人たちの名だった。


「君が助けた者たち。

 君を仲間と思う者たち。

 君にいてほしいと思う者は、君が思うより多くいる。

 だから、君はこんな場所にいるべきじゃない。

 君を必要としてる者たちの元に還れ。」


それでも頷けない枯野に、ソウビは悲しそうに言った。


「確かに、俺はお前さんにとっては、頼りない相棒だろうよ。

 お前さんは、俺にはなんも期待してないのかもしれねえ。

 けど、それでも、俺は、お前さんのことは、諦めたくねえ。

 諦めたくねえから、首に縄つけてでも、連れて帰る。」


泣きそうな顔のソウビに、枯野は、ちょっとうつむいて、それから、もう一度改めて見つめた。


「すいません。兄さん。」


え?とソウビが目を丸くする。

枯野は決まり悪そうに目を逸らすと、言い訳するように言った。


「アニキってのは俺の柄じゃないし。

 この辺が妥当かなあって。

 もうずっと考えてたんですけど。

 なかなか、口には出せなくて。」


枯野はもう一度ソウビに視線を戻して言った。


「期待してないなんてこと、ないです。

 ただ、俺には、貴方の相棒になる資格なんてないかなって、ずっと思っていて。

 迷惑かけたくない、って・・・」


「水臭えんだよ、お前さんはよ!」


ソウビは枯野の頭を小突いた。


「迷惑かどうかは、お前さんじゃねえ、俺が決めることだ。

 で、俺は、お前さんのことを、迷惑だなんて思ったことはねえ。」


枯野は頼りない目をしてソウビを見上げた。


「俺は、帰ってもいいんでしょうか?」


当たり前だ、とソウビが頷く。

君はどうしたい?と少年は枯野に尋ねた。


「俺は、帰りたいです。」


枯野はきっぱりと言った。


「やれやれ。やっとその気になってくれたか。」


少年は肩を竦めて数珠玉をもうひとつ千切った。

それを投げると、明るい光の扉が現れた。


「ああ、そうだ。

 ひとつ言っておくのを忘れてた。

 大王はもう、君たちには手出ししない。

 表向きは右大臣が、裏側はこの僕が抑えている。

 少なくとも、琴音に降りかかる危険のひとつは減っている。

 安心してくれていいよ。」


 そして、扉を指差した。


「さあ、お行きよ。

 先のことを憂いて、今なすべきことをしないのは本末転倒だ。

 君は今、君が思う最善のことをなすべきなんだよ。」

 

枯野は頷いて、ソウビと共に、扉をくぐった。





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