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ひとりの小間物商人が、花野屋を訪れていた。
小間物をたくさん入れた箱を背負っている。
商人は、見世の奥へと通されていく。
奥まった部屋の襖を開くと、人形のようなひとりの美しい娘がいた。
その娘は、柱にもたれて、だらしなく両足を投げ出して、座っていた。
両手も放り出したまま、ぴくりとも動かさない。
ただ、ときどき瞬きをするので、人形ではないと分かる。
けれどその目は、何も見ていなかった
あの海人の村から戻ってから、もうずっと琴音はこんなふうだった。
「今度こそ会心の作っすよ、琴音さん。」
京は担いできた箱を下ろすと、中から見事な細工物を取り出した。
「どうです?
赤い紅葉のなかで遊ぶ狐っす。
ちゃんと、金と銀の二匹っす。
この、金の狐をよく見てください。
ほら、目の色が緑になってるでしょう?
ここんとこ、結構、苦労したんっすよ・・・」
京は柄の説明をしながら、櫛を琴音の手に持たせた。
けれど力の入らない琴音の手は、それをぽろりと落としてしまった。
京は落ちた櫛を拾うと、琴音の目の前でひらひらと振ってみせた。
それでも、琴音はなんの反応も見せずに、ただ、ぼんやりと宙を見つめるだけだった。
「うーん、おいら、頑張ったんっすけどねえ。
やっぱりこれも、お気に召しませんか。」
京は気落ちした様子もなく、諦めたような笑みを浮かべた。
「まったく、アニキの大馬鹿野郎は、いっぺん殴ってやりたいっすね。
琴音さんをこんなふうにさせて、いったいどこほっつき歩いてんだか。」
琴音の表情は何も変わらない。
それでも京は言った。
「そんな悲しそうな顔しないでくださいよ。
殴ったりしませんって。
まあ、アニキなら、おいらに殴られたって、蚊に刺されたほども感じないでしょうけどね。」
京は手に持った櫛を、部屋の隅の行李にしまい込んだ。
行李のなかには、二匹の狐と紅葉をあしらった小間物が、うずたかく積みあがっていた。
「これも、ここに入れておきます。
また来ますよ。
琴音さんが、目を輝かせるような物、今度こそ、作ってきます。」
ちょうどそこへ、ふたりのそっくりな禿がお茶を持ってやってきた。
「京殿。わしの頼んだものは?」
「わたしのお願いしたものはどうなりました?」
ほとんど同時に尋ねるふたりに、京は苦笑した。
「もちろん、持ってきました。
こちらは椿さんの。
こちらは山茶花さんの、っす。」
ふたりは同時に歓声を上げた。
「やっぱり、細工物は京殿の作るのに限る。」
「わたしたちの好みを、ちゃあんと熟知して作ってくださいますもの。」
椿と山茶花の花をあしらった櫛はどっちがどっちか分からないほどにそっくりだった。
それでもふたりはどっちがどっちのものかちゃんと分かっていて、それぞれに喜んだ。
「琴音、そろそろ、この櫛を着けてみる気にはならんか?」
「琴音さん、この櫛をつけてさしあげましょうか?」
ふたりは物入れの一番上に置いてある櫛を取って琴音を見た。
琴音はなんの反応もしない。
けれど、椿がそれを取って琴音の髪にさそうとすると、ぽろり、と瞳から涙を零した。
「やはり、まだだめか。」
「わたしたちでは、だめなのでしょう。」
ため息を吐くふたりを京が宥めた。
「無理をさせるのはよくありませんよ。
琴音さんの心が癒えるのを待ちましょう。」
「京殿には申し訳ないの。」
「毎月、こうして様子伺いに来てくださるのに。」
申し訳なさそうな顔をするふたりに、京は首を振った。
「おいらなら、かまいませんよ。
ここに来ると、いっつも美味しいご飯を食べさせてもらえますしね。
ソウビのアニキは、まだ、ここには来られないんですか?」
「あやつ、すっかり気落ちして、元の引きこもりに戻ってしまったからの。」
「あるじさまがいないと、巣穴から出る気にならないんだそうです。」
ふたりは同時にため息を吐いた。
京はふたりの気持ちを引き立てるように明るく言った。
「今日は海老と鯛を持ってきましたから。」
「いつもすまんの。」
「ここにいない人たちの分も、食べてしまいましょう。」
ふたりもにっこりと返した。




