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琴音の悲鳴に気づいて最初に駆け付けたのはソウビだった。
着物を血に染め、呆然と立ち尽くして、琴音は悲鳴を上げ続けていた。
浜には他に人影はなかった。
何があったのか、ソウビにはすぐには分からなかった。
なんとか琴音を落ち着かせようとしたけれど、琴音の耳に言葉は届かない。
やむを得ず、気を失わせるしかなかった。
琴音の着物を染めていたのは、琴音の血ではなかった。
手に小さな怪我をしているが、それがこれほど大量の血を流すことはない。
血の匂いに、それが枯野のものだということはすぐに分かった。
こんなに大量の血を流した枯野が、無事なはずはない。
けれど、その姿はどこにもなかった。
琴音の足元に、小さな刀が抜き身で落ちていた。
枯野ほどの者が、こんな刀で切りかかられたとしても、これほどの大怪我をするはずはない。
けれど、その刀からは、嫌になるくらい枯野の血の匂いがしていた。
いったい誰が、枯野にこんな怪我を負わせたのか。
それが謎だった。
この場には琴音しかおらず、琴音にはもちろん、そんなことをする理由がない。
第三者がこの場にいたのだろうか。
けれど、琴音と枯野以外の気配は、まったく残っていない。
ソウビにすら気配を感じさせないとなると、よほどの大物かもしれない。
しかし、それならそれで、争いの残り香のようなものもありそうなものなのに。
そんなものも、その場には一切残っていなかった。
枯野が祝いの宴の真っ最中に、海へ行ったのには気づいていた。
それがなんで、こんな怪我をする羽目になったのか、その経緯が、皆目理解できない。
怪我をしても、枯野なら、すぐに治癒術を使うはずだ。
血を流し過ぎて気を失ったとしても、その姿はどこかにあるはずだ。
事情を知るのは琴音だけだけれど、琴音はまともに話せそうにはなかった。
それにしても、枯野がこんな状況の琴音をひとりにしているのもおかしかった。
あのウサギ穴で、琴音が我を失ったときにも、枯野は琴音を抱きかかえて決して離さなかった。
これは、よほどのことがあったとしか思えない。
枯野を見つけて、事情を聞くしかない、けれど。
ソウビは枯野の姿を探し続けた。
大怪我をして、どこかでうずくまっている、まぬけな相棒の姿を。
どこかにいるはずだと、信じていた。
枯野の気配なら、よく知っていた。
どんなに遠くにいても、すぐに分かるはずだった。
なのに、その気配はどこにも感じ取れなかった。
念話を繋ごうとしても、どこにも繋がらなかった。
妖狐は、その遺骸は、決して人目には晒さない。
考えたくなくても、その言葉は、心のなかに自然と浮かび上がってきた。
いらない知識を、ソウビは自分の記憶から消してしまいたかった。




